2017-03

武田家

武田信虎・信玄に追放された父親は息子よりも長生きだった

武田信虎は武田信玄の父親です。信玄が信虎を追放して武田家の主になりました。そのせいで乱暴でわがままな大名の印象が強く残ります。 しかし、信虎は力を失っていた武田家をふたたび甲斐の国主にしました。信玄が家督を継いだときに他国を攻めることができ...
武田家

大井夫人(瑞雲院)・息子たちにも慕われた武田信玄の母

大井夫人は武田信玄の母親です。 武田信虎と争っていた大井氏から人質として武田に来ました。信虎の正室となります。 晴信は信虎を追放しますが、母の大井夫人は甲斐国で暮らしました。 息子の教育に熱心で、ときとして戦場にいる息子に手紙を送ることもあ...
ドラマ情報

朝ドラ「ひよっこ」はどんな話?舞台・時代・ヒロインの設定は?

連続テレビ小説(朝ドラ)「ひよっこ」はどんなお話でしょうか? ここしばらくの朝ドラは、「あさが来た」「とと姉ちゃん」「べっぴんさん」と実在の人物をモチーフにしたドラマが続いていました。 2017年前期の朝ドラはひさしぶりにオリジナルの物語。...
武田家

山本勘助・武田信玄に仕えた築城・情報収集の名人

山本勘助は武田信玄(晴信)に仕えた武将です。軍師と言われることがありますが、勘助自身は身分の高い人ではありません。築城や情報収集に優れた人物だったと言われます。 山本勘助は40歳を超えて武田家に士官しました。まるで中年サラリーマンの中途採用...
2 飛鳥時代

聖徳太子(厩戸皇子)実在した皇族政治家の生涯

聖徳太子はかつてはお札の肖像にもなった有名人です。正式には上宮厩戸豊聡耳太子と言います。近年は聖徳太子は死後に付けられた名前だから厩戸皇子と呼ぶべきと話題になりました。 聖徳太子は仏教の信仰と深く結びつき現実離れした伝説が広まりました。太子...
徳川家

松下常慶・虎松(井伊直政)を徳川家康に引き合わせた功労者

松下常慶は井伊直虎が徳川家に仕官するときに重要な役割を果たしました。武家の出身ですが出家して修験者となり各地を回りました。やがて徳川家康に仕え各地の情報を集める仕事をしていたと言われます。 井伊直政が徳川家に仕官できたのも常慶がいたとも言わ...
武田家

諏訪御料人・武田家に滅ぼされた諏訪家の姫は武田勝頼の母

諏訪御料人は武田信玄(信晴)の側室。武田勝頼の母です。井上靖の「風林火山」では”由布姫”、新田次郎の「武田信玄」では”湖衣姫”といいいます。 井上靖の「風林火山」(2007年大河ドラマ)では”由布(ゆう)”という名前で登場します。強気な女性...
井伊家

菅沼忠久・家康に寝返るきっかけを作った井伊谷三人衆の一人

菅沼忠久は井伊谷で井伊家の家臣でした。井伊家が井伊谷の地頭を追われた後。徳川家康に味方して小野但馬守を討ちます。その後、徳川家康から井伊谷を任されますが井伊直政が仕官すると、直政の配下となりました。 とはどんな人だったのでしょうか。  菅沼...
井伊家

鈴木重時・重好。井伊家と徳川家に仕えた井伊谷三人衆のひとり

鈴木重時は徳川家康に従った井伊谷三人衆の一人です。井伊家に仕える武士の一人。井伊谷三人衆の中でも比較的井伊家と関係が深い家柄でした。井伊谷の代官となった小野但馬守を攻めて井伊谷を治めますが、家康が遠江を統一する戦の中で討ち死にします。重時の...
井伊家

近藤康用・秀用、今川家から徳川に寝返った井伊谷三人衆

近藤康用は井伊谷三人衆の一人。今川家の家臣でしたが徳川家康に味方しました。 家康の遠江侵攻をたすけたことで井伊谷を与えられます。井伊家に代わって井伊谷を治めました。子の秀用は井伊直政の配下になりましたが、直政とうまくいかずに井伊家を出て行っ...
今川家

関口氏経は井伊谷徳政令をめぐって次郎法師(井伊直虎)と対立した?

関口家は今川家の分家筋にあたる名門の家柄。今川義元・氏真の時代には今川家を支える重臣として働きました。 関口氏経は氏真に仕えました。井伊谷をめぐる徳政令では重要な働きをします。井伊直虎を井伊谷の領主から解任し、井伊谷を今川家の直轄地にするこ...
戦国の人々

祝田禰宜・井伊谷徳政令をめぐり次郎法師(直虎)と争う

戦国時代に井伊谷で出された徳政令(井伊谷徳政令)には祝田禰宜が深く関わっていました。 井伊谷徳政令をめぐって次郎法師(井伊直虎)と争ったとされるのが祝田禰宜です。禰宜とは神主のことです。でも祝田禰宜は商人でもあったんです。なぜ神主が徳政令に...
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