6 戦国・江戸時代

6. 江戸時代

伊集院須賀・西郷隆盛の最初の妻はわずか一年で離縁

西郷隆盛には3人の妻がいました。 最初に結婚した相手は伊集院須賀。薩摩の上級武士・伊集院家の娘でした。 伊集院家は西郷家よりも身分の高い武士の家でした。隆盛の一目惚れで結婚を申し込んだといいます。しかしその結婚生活は幸せなものではなく。隆盛...
徳川家

井伊万千代・徳川家康に仕えた若き日の井伊直政の活躍

井伊万千代は井伊直政が元服するまで名乗っていた名前です。 14歳で徳川家康の小姓となった万千代は、家康のそばで仕え手柄をたて続けます。わずか6年の間に300石から4万石に大出世。井伊の家臣だは徳川家康を支える有力な家臣団に成長しました。 井...
井伊家

井伊谷三人衆(菅沼忠久・鈴木重時・近藤康用)とは何をしたのか

徳川家康が遠江に侵攻した時、3人の部将が道案内したといいます。 その三人とは、菅沼忠久、鈴木重時、近藤康用です。まとめて井伊谷三人衆とよばれます。 井伊谷三人衆は井伊直虎が注目される以前から知られれた存在でした。 一般には徳川家康が遠江を領...
井伊家

ドラマよりも多かった?井伊直虎を支えた七人の重臣たち

戦国時代の井伊家。とくに井伊直虎時代には7人の重臣がいたといわれます。 井伊家やその家臣たちも長引く戦で多くの人々を失いました。家臣団も井伊直平、直盛のじだいとはまた違った顔ぶれだったようです。 井伊直虎に仕えた重臣たちをみてみましょう。 ...
井伊家

松下源太郎清景・直政の義父

松下清景は井伊直政の母の再婚相手。NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」では「しの」となってる女性と結婚しました。 一時期・井伊直政の養父となり、井伊家を支える重臣になります。 松下清景とはどんな人だったのでしょうか。  松下 源太郎 清景とは...
徳川家

於大の方・徳川家康の母は苦労人

徳川家康の母は於大の方です。家康は歴史上の超有名人ですが、その母親となると意外と知られていないのではないでしょうか? 松平家に嫁入したのに、実家が裏切り離縁されたり。実家の都合で再婚したり。息子・家康に兄が殺されたり、夫が失踪したりと家康の...
戦国の人々

堀川城の悲劇・瀬戸方久と龍雲丸が大ピンチ?

戦国時代。浜名湖周辺の堀川城で戦いがありました。「堀川城の悲劇」と後世に伝わる戦いでは、徳川家康の行った戦としては珍しく農民の惨殺が行われたといわれます。 堀川城といえば、大河ドラマ「おんな城主直虎」で気賀を見張るための城として作られたとい...
井伊家

庵原朝昌と新野左馬之助の娘(桜)

庵原氏は今川家を支えた一族。その一族のひとり庵原朝昌に新野左馬之助の娘が嫁ぎました。左馬之助といえば幼いころの井伊直政(虎松)を守って奮闘した人物です。 その新野左馬之助の娘と、今川家臣・庵原朝昌は結婚しました。それだけではありません、庵原...
今川家

大沢基胤は徳川軍の攻撃から堀江城を守った

大沢基胤は浜名湖周辺を治める領主でした。今川義元の死後、徳川家康に攻められ敗戦続きの今川軍の中で、徳川軍相手に大きなダメージを与えた武将です。 その抵抗ぶりには家康も大沢基胤の城を落とすのを諦めました。大沢基胤は家康の配下になりましたが、そ...
今川家

関口氏純は築山殿(瀬名姫)の父、家康の裏切りで自害

関口氏純は今川家の重臣。 今川義元・氏真に仕えました。 関口家は今川家の分家筋にあたる名門の家柄です。今川家中でも高い地位にいました。 関口氏純は徳川家康の正室・築山殿の父親です。 しかし家康が今川家を裏切ったために切腹させられてしまいまし...
今川家

早川殿(蔵春院)は今川氏真と一生を供にしたおしどり夫婦だった?

今川氏真の正室は早川殿。蔵春院ともいいます。関東の戦国大名・北条氏康の娘です。 今川氏真とは政略結婚で結ばれましたが、5人の子供をもうけ。 実家が対立しても別れることはなく生涯ともに暮らしました。当時としては珍しい夫婦です。 本当の名前は分...
井伊家

小野万福(亥之助・朝之)。虎松(井伊直政)を支えた従兄弟

小野玄蕃の息子として生まれ、虎松とともに育った小野亥之助。ドラマでは子供のいない小野但馬守政次に可愛がられ、小野家の跡継ぎのような立場に描かれています。 実際は、小野但馬守政次の弟・小野玄蕃の息子として生まれ、小野家からは離れて井伊直親の屋...
井伊家

小野但馬守政次は井伊家の家老なのになぜ裏切り者になったのですか?

大河ドラマ「おんな城主直虎」で、井伊家の家老をしている小野但馬守政次。 歴史上は井伊家を裏切り領地を乗っ取った悪人として語られることが多いです。その一方で、「おんな城主直虎」のように井伊家に忠義を尽くす人物だったと主張する人もいます。 いっ...
井伊家

井伊虎松(井伊万千代)・幼いころの井伊直政はどのように生き延びたのか

徳川家康に仕え、彦根藩初代藩主になった井伊直政。幼名は虎松といいます。 直政の子供時代は恵まれたものではありませんでした。生まれてすぐに父親・井伊直親が殺害され、井伊家存亡の危機が訪れます。井伊直虎(次郎法師)が後見人となり、幼くして家督を...
武田家

武田信虎・信玄に追放された父親は息子よりも長生きだった

武田信虎は武田信玄の父親です。信玄が信虎を追放して武田家の主になりました。そのせいで乱暴でわがままな大名の印象が強く残ります。 しかし、信虎は力を失っていた武田家をふたたび甲斐の国主にしました。信玄が家督を継いだときに他国を攻めることができ...
武田家

大井夫人(瑞雲院)・息子たちにも慕われた武田信玄の母

大井夫人は武田信玄の母親です。 武田信虎と争っていた大井氏から人質として武田に来ました。信虎の正室となります。 晴信は信虎を追放しますが、母の大井夫人は甲斐国で暮らしました。 息子の教育に熱心で、ときとして戦場にいる息子に手紙を送ることもあ...
武田家

山本勘助・武田信玄に仕えた築城・情報収集の名人

山本勘助は武田信玄(晴信)に仕えた武将です。軍師と言われることがありますが、勘助自身は身分の高い人ではありません。築城や情報収集に優れた人物だったと言われます。 山本勘助は40歳を超えて武田家に士官しました。まるで中年サラリーマンの中途採用...
徳川家

松下常慶・虎松(井伊直政)を徳川家康に引き合わせた功労者

松下常慶は井伊直虎が徳川家に仕官するときに重要な役割を果たしました。武家の出身ですが出家して修験者となり各地を回りました。やがて徳川家康に仕え各地の情報を集める仕事をしていたと言われます。 井伊直政が徳川家に仕官できたのも常慶がいたとも言わ...
武田家

諏訪御料人・武田家に滅ぼされた諏訪家の姫は武田勝頼の母

諏訪御料人は武田信玄(信晴)の側室。武田勝頼の母です。井上靖の「風林火山」では”由布姫”、新田次郎の「武田信玄」では”湖衣姫”といいいます。 井上靖の「風林火山」(2007年大河ドラマ)では”由布(ゆう)”という名前で登場します。強気な女性...
井伊家

菅沼忠久・家康に寝返るきっかけを作った井伊谷三人衆の一人

菅沼忠久は井伊谷で井伊家の家臣でした。井伊家が井伊谷の地頭を追われた後。徳川家康に味方して小野但馬守を討ちます。その後、徳川家康から井伊谷を任されますが井伊直政が仕官すると、直政の配下となりました。 とはどんな人だったのでしょうか。  菅沼...
PR