わろてんか 藤岡儀兵衛のモデル 林豊次郎 は吉本せいの父

朝ドラ「わろてんか」で遠藤憲一演じる、てんの父・藤岡儀兵衛のモデルになったのは吉本せいの父・林豊次郎です。

ドラマでは京都の老舗薬問屋「藤岡屋」当主。跡取り息子ではなく入り婿という設定。堅物でめったに笑わない人です。それどころか、笑い上戸のてんに笑いを禁止する堅物ぶり。

でも、モデルになった林豊次郎とはかなり違うようです。林豊次郎は京都ではなく兵庫県明石の出身なんですね。店があったのは大阪。薬屋ではなく米穀店でした。

せいの実家が米穀店で親の仕事を手伝いながら商売を学んだという事実は、ドラマの嫁ぎ先が大阪の米穀店。米穀店の仕事をしながら商売を学んだという設定に活かされているようです。

そんなせいの父・林豊次郎について紹介します。

吉本せいの父・林豊次郎とは

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出身は明石

せいの父親、林豊次郎は文久元年(1861)年生まれ。大阪で米穀店を営んでいました。
豊次郎は生粋の大阪人ではありません兵庫県明石の出身でした。豊次郎は若い頃に大阪に出て、大阪市内を転々としました。

いつのころからか、大阪市北区南同心町で米穀店を営むようになりました。
江戸時代には武士の多く住む地位でした。明治維新で武士がいなくなり。主のいない武家屋敷はとりこわされ、町人が住む長屋や小さな家がいくつも出来ました。

豊次郎も維新の後に同心町に引っ越してきたのです。

大阪に溶け込もうと大阪人らしくふるまう

豊次郎は大阪生まれでも大阪育ちでもありません。でも大阪の町に馴染むように努力しました。言葉も行動も地元の人々を真似て、大阪人らしくふるまおうとしました。

新参者はとけ込もうとするあまり、地元の人以上に地元民らしくなることがあります。

豊次郎や娘のせいも大阪人以上に大阪人らしくあろうとしました。さいわいにも、豊次郎の店は小さな店でしたが商売は繁盛していました。

子供もたくさん生まれ、店を手伝っていました。特に年長者のせいはよく店を手伝いました。

豊次郎の店は小さく使用人は雇えません。子どもたちも貴重な働き手でした。

機転の効くせいは、店番や妹や弟たちの面倒もよくできたので豊次郎にとってもありがたい存在でした。

せいが小学校卒業を控えると、豊次郎はせいを女学校に進学させるかなやみました。その頃には家業も順調で女学校にやれる経済力はありました。

ハイカラな姿で町を歩く女学生をみて「うちの子ならもっと見栄えがするやろな」と思うこともあったといいます。

ところがせいの母親、豊次郎の妻のちよが猛反対していたのです。
また小さな米穀屋の娘が女学校に通えば、周囲の妬みを買うのではないかという不安もありました。できるだけ周囲に馴染もうちしていた豊次郎にはそんな気苦労もありました。

結局、豊次郎は妻のちよに押し切られ、せいの進学は諦めました。

せいの結婚後

せいが女中奉公から戻るとすぐに結婚させました。奉公している間に結婚話を決めていたのです。相手は本町の荒物屋箸吉の跡取り息子。取引先でもありました。老舗の店だけに安心して嫁に出したことでしょう。

ところが、せいの嫁ぎ先が廃業。せいと豊次郎の家に戻ってきてしまいました。夫の泰三もついてきます。泰三は何もせず居候していました。豊次郎はさすがに泰三に見切りをつけてせいに離婚を勧めました。その一方で「嫁入り先から戻ることがあるなら、骨になって戻れ」と言われたこともある。とせいが語ってるように、厳しいのか優しいのかよくわからないとこおもありました。せい自身による脚色もあるようですが、娘を心配していたのは確かでしょう。

それでもせいは離婚しませんでした。

そのうち、泰三が寄席を始めたいと言い出しました。寄席を始めるための資金調達をしているせいから、お金を貸してほしいと言われ。仕方なくお金を貸すことになりました。
せいに離婚を勧めたこともありますが、それでもお金を出したのはせいの商才があればなんとかなると思っていたのかもしれません。

その後、林豊次郎がどうなったのかについては詳しい資料がありません。

というよりも。林豊次郎はいち米穀店の主です。そんなに伝記が伝わってるわけではありません。ドラマに登場する藤岡儀兵衛は、父親という立場と、店の主という立場以外は林豊次郎と共通点がありません。ドラマオリジナルといってもいいくらいなんです。

でも、娘を大切に思っていたという点では共通しているかもしれませんね。