わろてんか 藤岡しず・ハツのモデルはいたの?

朝ドラ「わろてんか」で鈴木保奈美演じるてんの母”藤岡しず”と竹下景子演じるてんの祖母”藤岡ハツ”にはモデルはいるのでしょか。

藤岡しずは、おっとりした天然キャラ。夫と子供の間を取り持つ優しくも聡明な女性です。

藤岡ハツは、老舗「藤岡屋」の伝統を誰よりも重んじる厳しい人。てんの父・藤岡儀兵衛も頭が上がりません。でも普段は可愛らしいところもあるという設定。

ヒロイン・てんは吉本せい(林 せい)をモデルにしています。せいの母や祖母がモデルになっていそうですよね。でも、祖母についてはほとんど分かっていません。母ちよについてはドラマとはかなり違った人物として伝えられています。

残念ながら、しずとハツはドラマオリジナルの人物といっていいようです。

ヒロインのモデルになった吉本せいの母・林ちよはどのような人物だったのか紹介します。

林 ちよ 吉本せいの母は厳しいおかみさん

林ちよは幕末の元治元年(1864年)に産まれました。ちよの詳しい資料は残っていませんから、実家はどのような家でいつ結婚したのかはわかりません。

ちよは林豊次郎と結婚して米穀店をいとなみます。豊次郎は今の兵庫県明石の出身でした。ちよも明石の出身だったのかもしれません。

豊次郎とちよの間には12の子供がいました。

長女は産まれてまもなく亡くなりましたが、信之助、きく、せい、ふみ、ふみ、千之助、正之助、ヨネ、冨子、勝(弘高)、治夫(八太郎)がいました。

せいが産まれたのは明治22年。父・豊次郎27歳、母・ちよ25歳のときです。戸籍上は明治32年に大阪に転居したことになってますが、明治31年に5女ふみの死亡届が大阪に出されているので、それ以前に明石から大阪に出たのでしょう。

林家も吉本家も転籍を繰り返しているので、足跡をたどるのは難しいのです。

ドラマでは天然キャラとして描かれる母しずですが。せいの母・ちよは古風で厳しい母親でした。

ちよの信条は「体は労働をいとわず、心は正直に」でした。林商店は商売はそこそこ成功してましたが、使用人をおけるほど裕福ではありません。ちよは11人の子供を育て家の中をきりもりしていました。律儀な働き者だったようですね。

夫豊次郎が娘のせいを女学校に入れようとしたときも、ちよが猛反対したといいます。娘1人を女学校に入れる程度のお金はあったようですが。ちよが反対したのはお金のことよりも、女に学問は必要ない。という考えのようです。当時は女性は裕福な家でも義務教育(尋常小学校)を卒業したたら女中奉公に出されることはよくありました。商家の娘にとって女中奉公は嫁入り修行としての意味があったのです。

せいは、店の手伝いをして接客をよくしていました。豊次郎がせいを可愛がったので好きなようにさせていたのもありますし、せいが店に出るのが楽しかったのもあるようです。

でも明治維新より前に産まれたちよには、女は店に出ずに子守や家事をすればいいのにという考えもあったのではないかとも言います。

娘を可愛がる父親に対して、娘に厳しい母親。という家庭だったようです。

後にせいが結婚し、嫁ぎ先が倒産した時のことです。遊んでばかりいるせいの夫吉本泰三に愛想をつかした豊次郎が「離縁しろ」と言いました。その一方で、せいは父親から「嫁入り先から戻ることがあるなら、骨になって帰れ」(つまり帰ってくるな)と言われたともいいます。父親から正反対のことをいわれたのも奇妙な話ですね。もしかすると「帰ってくるな」はちよが豊次郎にいわせた言葉なのかもしれません。

嫁ぎ先が倒産した後、せいと泰三は実家の林家に居候することになるのですが。実家とはいえ、せいにとっては居心地のいいものではなかったようです。泰三が寄席の経営という危険な賭けに出ようとするときも、せいは止めるどころか一緒になって進めました(ドラマなどではせいが寄席の経営を提案したことになってます)。それも厳しい母親のいる実家から早く出て、自分の店をもちたいという気持ちもあったのかもしれません。

厳しい母親だったといわれるせいの母・林ちよ。詳しいことは分かっていませんから、ドラマでも創作の部分が大きくなります。わからないなら自由に作ろうということでしょうか。「わろてんか」ではてんの実家は吉本せいの実家・林家とは別物になっています。

藤岡しずと藤岡ハツはドラマオリジナルの人物と考えたほうが良さそうですね。