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尹元衡(ユン・ウォニョン)三大悪女の夫は姉の力で権力を握った

5 李氏朝鮮の重臣

「オクニョ・運命の女」(原題の漢字表記は獄中花)に登場するユン・ウォニョン(尹元衡)は実在の人物。ユン・ウォンヒョンとも書きます。

妻は朝鮮王朝三大悪女の一人、鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)。三大悪女の影に隠れてちょっと知名度が低いかもしれません。でも尹元衡(ユン・ウォニョン)もなかなかの悪者なんです。

「オクニョ」では大妃の弟として絶大な権力を持ちます。ヒロイン・オクニョに立ちふさがる敵として登場します。でも宮廷では権力があるのに姉やナンジョンには頭の上がらないところもありますね。強いのか弱いのかよくわからない人物として描かれます。

史実のウォニョンは姉の権力のおかげでやりたい放題。かつての仲間や身内まで裏切ってしまう権力欲の強い人だといわれています。歴史上のユン・ウォンヒョンを紹介します。

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尹元衡(ユン・ウォニョン)の史実

いつの時代の人?

彼が生きたのは1509年~1565年。朝鮮王朝(李氏朝鮮)の主に11代仁宗~13代明宗の時代です。

日本では戦国時代まっただ中。織田信長(1534~1582)の親世代の人になります。

 どんな人?

 尹一族は名家も多い家柄です。中宗の2人めの正室・章敬王后も尹一族の本家の家柄でした。ウォニョンも尹一族ですが身分の高い家ではありませんでした。ウォニョンの父は平凡な役人、ウォニョンは5男でした。

中宗の王妃だった章敬王后が亡くなると、ウォニョンの姉が次の王妃になりました。

1533年。24歳で科挙に合格して官僚になりました。兄の尹元老(ユン・ウォンロ)とともに姉・文定王后のために働きます。

鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)とはいつ出会ったのかはわかりませんが。宮廷に仕えるようになって以降だと思われます。

金安老・士林派と対立

ウォニョンが宮廷に入ったころ。権力を持っていたのは金安老(キム・アルロ)でした。金安老は士林派という儒教を重視する派閥のリーダーでした。権力の乱用が目立ってきたため中宗は尹一族を採用して対抗させたのでした。

当初は章敬王后の兄・尹任(ユン・イム)らとともに、キム・アルロと対立しました。

1534年。姉・文定王后が王子(のちの明宗)を出産。自分の甥を王位につけようと考えるようになり、ユン・イムとの関係は悪くなります。

1537年。キム・アンロによって流罪になりますが。文定王妃らによってキム・アンロが処刑されたため、ウォニョンは復帰しました。

大尹派と対立

文定王后の息子・慶源大君を王にしようとするウォニョンは、章敬王后の息子で世子のイ・ホ(仁宗)を王にしようとするユン・イムと争うようになりました。

ウォニョンの派閥を小尹派、ユン・イムの派閥を大尹派と呼びます。

1544。中宗が亡くなり仁宗が王になります。力をつけた大尹派の攻撃で職を奪われました。

ところが仁祖は即位して8ヶ月で亡くなりました。

1545年。甥の明宗が王になりました。明宗は幼かったので姉の文定大妃が垂簾政治を行いました。再び宮廷に復帰したウォニョンは大尹派に復讐を考えます。

文定大妃、ウォンロとともに、仁祖の葬儀を「1年に満たないから」という理由で簡略にすませてしまいました。

乙巳士禍

ウォニョンは兄のウォンロらとともに大尹派の粛清を考えました。「ユンイムが中宗の8男・鳳城君を王にしようとしている」「桂林君を王位につけようとしている」などと濡れ衣をきせて多くの大尹派や文定大妃に逆らう士林派の人々を投獄したり処刑しました。この争いを乙巳士禍といいます。

この功績で従二品に昇進しました。

良才駅壁書事件

1547年。良才駅壁書事件が発生。「上には女王、下には奸臣。この国はすぐに滅びるだろう」という張り紙が貼られました。ウォニョンはユンイムの残党の仕業だとして大尹派の残党と追放、士林派の人々も追放しました。

兄を追放

1548年。兄のユン・ウォンロと権力争いになりました。このとき文定大妃はウォニョンに味方しました。ウォンロを流刑にしました。ウォンロは流刑先で死亡します。

1551年。右議政に任命されましたが占い師の言葉を信じて引き受けませんでした。

このころ正妻のキム氏を追い出してチョン・ナンジョンを正妻にします。

権力の絶頂期

1557年。右議政になりました。
1563年。領議政になりました。

ウォニョンは重要な役職を与える代わりに賄賂を要求しました。死刑を宣告された者でも金を払えば釈放されたといいます。その金であちこちに農園を買ったといいます。

最後

1665年。文定大妃が亡くなりました。

チョン・ナンジョンに毒殺されたキム氏の継母カン氏がウォニョンとナンジョンを訴え出ました。ウォニョンは官職を失い京畿道江県にもどり隠居しました。流刑になったともいいます。

それだけでは収まりませんでした。重臣や民衆から死刑にせよとの意見が大きくなりました。ナンジョンは毒を持ってくる役人が来たと勘違いして毒を飲んで自殺しました。しかしその時家の前を通り過ぎたのは役人ではありませんでした。ウォニョンは嘆き悲しみ、毒を飲んで自殺しました。

正妻キム氏はライバルの親戚

ウォニョンの正室・金氏はキム・アルロの姪でした。キム・アルロといえば、ウォニョンが宮廷に入ったとき権力闘争していた相手です。最初は名門の金一族と婚姻関係を結んで力をつけようとしたのかもしれません。しかし宮廷に入ってキム・アルロと対立するようになると金一族の正室との関係が悪くなったのかもしれませんね。

ウォニョンはチョン・ナンジョンを溺愛していたようです。正妻を追い出しただけではありません。他の妾も追い出して、妾との間にできた子供は殺害しました。

ドラマの「オクニョ」では追い出された妾の子がテウォンという名前で登場します。歴史の記録に残っていませんが、似たような境遇にあった人はいたんですね。

妻が鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)だったり、姉が文定大妃ということで女性の影に隠れがちな尹元衡(ユン・ウォニョン)。彼自身もかなりアクドイことをやって私腹を肥やしていたようですね。

改革者の一面も

ドラマの「オクニョ」では妾との間に生まれた息子のテウォンを官職につけるために制度を変えました。

歴史上のウォニョンも似たようなことをしています。

科挙の制度を改革して嫡子(正室の子)しか受けられなかったのを庶子(妾の子)でも受けられるようにしました。妻(チョン・ナンジョン)が貧しい身分だった影響を受けているといわれます。

庶子というだけで科挙の試験すら受けられないのは不当な差別に思えるかもしれません。当時の朝鮮ではそれが当たり前だったのです。ウォニョンはそれを変えようとしました。

それは身分制度の厳しい朝鮮王朝では世間を揺るがす大きな出来事でした。それだけに身分の高い人達の反発も大きかったようなのです。だから余計に悪者扱いされたのですね。

テレビドラマ

趙光祖 1996 演:イ・ヨンホ
林巨正 1996 演:パク・グニョン
女人天下 2001 演:イ・ドクファ
不滅の李舜臣 2004 演:チェ・ビョンハク
オクニョ(獄中花) 2016 演:チョン・ジュノ

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