井伊信濃守直盛・今川家の支配に苦労する次郎法師(直虎)の父

井伊直盛は次郎法師(井伊直虎)の父親です。

井伊家の当主ですが、家中をまとめるのに日々苦労します。今川家に服従したものの、家中では快く思わない者もいるからなんですね。かといって地頭(国人領主)では当時の日本では最大級の大名だった今川家に抵抗できるはずもありません。

難しい時代に井伊家の当主を務めた井伊直盛とはどんな人だったのでしょうか。

 井伊 信濃守 直盛(いい しなののかみ なおもり)とは

名 前:井伊直盛(いい なおもり)
通称・官名:次郎・信濃守
生 年:(1506年?)
没 年:年月日(1560年)
祖父:井伊直平
父:井伊直宗
妻:新井左馬之助の妹(祐椿尼、ドラマでは千賀)
子:次郎法師(直虎)

次郎法師(直虎)の父親。井伊家22代当主。遠江国井伊谷2万5千石の地頭(領主)でした。地頭といっても鎌倉幕府が派遣した地頭とは性格のことなるものです。ある地域を治める小規模な領主を意味しました。国人領主と呼ぶこともあります。

天文13年(1544)。男児に恵まれなかったため、従兄弟の直親を娘婿にすることにしました。直親の父・直満に謀反の疑いがかけられ謀殺されたため、いったんはあきらめます。

叔父が殺され娘の許嫁を失う原因を作った小野和泉守は処分しませんでした。今川家からの命令だったので受け入れざるを得ませんでした。家中では小野和泉守に対する不満が高まりましたが、結果としては家中が反小野・反今川でまとまることにもなったのは皮肉なことです。直盛にとっては身内同士の争いを避けられるという一面はあったかもしれません。その代り今川派と反今川派のかじ取りに腐心することになります。

天文16年8月(1547)。今川義元の命令で三河国西郷(愛知県豊橋市)に出陣。

天文18年12月(1549)。三河国安祥城(愛知県安城市)に出陣。太原雪斎が指揮を執り今川軍が織田信広を人質にした戦でした。

天文23年。阿弥陀堂の建立では大檀那(お布施の多い有力な檀家のこと)となります。
天文24年。万福寺薬師堂の再興でも大檀那となりました。

弘治元年(1555)。直親が井伊谷に戻ってきたので養子として迎え入れました。

 永禄3年5月19日(1560)。桶狭間の戦いで討ち死に。享年55。今川義元の近くで戦っていたようです。そのとき井伊家の家臣16人も亡くなったといわれています。

直盛りは領民の訴えをよく聞く領主だったようです。領内に向けて出した幾書状が幾つか残っています。たとえば、領民が年貢を減らしてほしいと願い出ると、年貢を減らすから必ず納めるように、という内容の書類を発行しています。

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ドラマで演じるのは杉本哲太さん

大河ドラマでは杉本哲太さんが演じる井伊直盛りは生け花が趣味という穏やかな面をもち、今川家の支配に苦労する井伊家の当主として描かれます。

生け花をすると聞くと女性らしいと思うかもしれません。ドラマでは穏やかな面を強調するために生け花のシーンを入れていると思います。

華道は武士のたしなみ

でも、当時の身分の高い武家では生け花は武家のたしなみとして行われていたようです。茶道や華道はもともとは男性が行っていたものなんです。ドラマでは茶道をする武将はよく描かれますが、華道のシーンが描かれるのは珍しいですね。人と交流するシーンによく使われる茶道に対して華道は一人ですることが多いので絵になりにくいという要素があります。

華道には禅の思想が入っているといいます。自分の内面と向き合う要素があり、精神鍛錬や心を落ち着かせるために必要だったのかもしれません。

主な参考資料
梓澤要,城主になった女 井伊直虎,NHK出版
石田正彦,おんな城主 井伊直虎 その謎と魅力,アスペクト
楠戸義昭,この一冊でよくわかる! 女城主・井伊直虎 PHP文庫
歴史REAL おんな城主 井伊直虎の生涯,洋泉社MOOK 歴史REAL
井伊家のひみつ,ぴあMOOK