佐名(さな) 築山殿の母・今川家の人質となった井伊直平の娘

大河ドラマ「おんな城主直虎」で花總まりさん演じる佐名は井伊直平の娘。井伊家が今川家に服従する証として人質として出された女性でした。

いったんは今川家にはいったあと、関口義広(親永)と結婚。娘を出産します。その娘はやがて徳川家康の正室として築山殿と呼ばれた女性です(ドラマでは瀬名)。

井伊家が徳川家とかかわるきっかけとなった女性といえるかもしれません。
のちの世の井伊家と徳川家の親密な関係とは裏腹に、佐名の人生は恵まれたものではありませんでした。敵だった今川だけでなく、自分を人質に出した井伊家にも屈折した感情を持つ女性として描かれます。

佐名(さな)・井伊直平の娘

父:井伊直平
母:井平河内守の娘
子:築山殿(おんな城主直虎では瀬名)

大河ドラマ「おんな城主直虎」では佐奈(さな)となってる女性。井伊直平の娘は本当の名前は伝わっていません。大河ドラマの”佐名”は娘・瀬名からの連想でしょう。

戦国時代の永正(1510)ごろ。井伊直平は遠江国の守護・斯波義達とともに今川氏親と争っていました。しかし斯波義達は今川に敗れてしまいます。斯波氏に従っていた井伊家も領地を奪われてしまいました。

今川義元の時代、遠江を安定して収めるために敵対していた領主でも服従するものには領地を返しました。当時の井伊家の当主・井伊直平も今川氏に服従し井伊谷を返してもらいます。服従する代わりに人質をだすことになりました。

人質となったのは井伊直平と井平河内守の娘の間に生まれた娘(ドラマでは佐名)です。当時は服従する家が人質として娘を輿入れさせることは珍しくありませんでした。しかも井伊家当主の直平には娘がいました。当然、直平の娘が人質として出されることになります。

その時期は天文7(1538)から10年(1541)の間だろうと思われます。このころ結婚適齢期だったとすれば、直平が30~40歳ころに生まれた娘ということになります。直平は子供が多いのであり得る話です。

井伊直平が娘を今川義元の側室に出した。といわれていますが、そのまま今川家にいたわけではありませんでした。義元の家臣・関口義広(親永)と再婚します。また別の資料では、一度・今川義元の妹にしたあとに関口義広と結婚した。ともいわれています。

低い身分の女性が格式の高い家に嫁ぐ場合、いったん身分の高い人の養女になって嫁ぐことがありました。井伊家は今川家に服従した国人領主(地頭)の家柄にすぎません。でも、いちど今川家の一員となれば、今川家の重臣の家にも嫁ぐことはできました。

関口氏は今川家の重臣です。今川家と縁のある女性が嫁ぐのにふさわしい家柄でした。

義広には二人の娘がいました。上の娘が松平元康(徳川家康)と結婚します。元康と結婚した女性こそ、松平信康を生み築山殿(ドラマ「おんな城主直虎」では瀬名)と呼ばれた女性です。

系図にはでてくるものの、直平の娘とされる女性がどのような人生を送ったのかはよくわかっていません。かつて今川家に逆らった井伊家。その井伊家が領地を回復するための代償として今川に差し出されたのですから、穏やかな人生ではなかったのかもしれません。

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ドラマの佐名

ドラマ「おんな城主直虎」では佐名は自分を人質に出した井伊家に対しても穏やかではない感情をもつ女性として描かれます。

当時は珍しくないできごととはいえ。現代人なら「家のためになんで私が犠牲にならないといけないの?」と思いたくなるシチュエーション。ドラマの佐名はまさにそんな女性として描かれることになりそうです。でも、心の中ではやっぱり実家のことが気になる。こっそりと実家の手助けをしてみたり。そんな複雑な内面をもつ女性として描かれます。

また、佐名の娘・瀬名(築山殿)は井伊直虎と友情で結ばれることになります。佐名の井伊家に対する屈折した気持ちは晴れる日がくるのでしょうか。