岩山糸(いわやま いと)・西郷隆盛の妻とはどのような人?

西郷隆盛の妻として有名なのは糸子(いとこ)。

ドラマ「西郷どん」では岩山糸(いと)の名前で登場。

実在の糸子は上野の西郷隆盛の銅像ができたとき除幕式に招待され「こげなお人ではなか」(つまり似ていない)と語ったことで有名です。

ドラマでは「好奇心旺盛で、ときに無類の行動力を発揮する芯の強いおてんば娘。幼い頃から西郷どんにひそかに思いを寄せる。一度は心ならずも他家へ嫁ぐが、紆余曲折の末、西郷3人目の妻となる運命の女性。」

という設定になってます。

糸子とはどのような女性だったのでしょうか?簡単に紹介します。

隆盛の3人めの妻・岩山糸子(いわやま いとこ)

糸子は薩摩藩士岩山八郎の娘でした。小柄で華奢な女性だったといいます。

西郷は3度めの結婚でしたが、糸子も再婚、21歳でした。

結婚後も西郷は多忙で薩摩にはあまりいませんでした。当時の西郷は薩摩藩軍賦役(軍の司令官)。長州征伐や禁門の変などで薩摩軍を率いていました。薩摩藩にとっても無くてはならない人物になっており、家でゆっくりする暇はなかったのです。

西郷が多忙だったのは最初の妻・須賀(すが)のときも同じです。当時も西郷は江戸に滞在することが多く須賀は一人で家族の面倒を見ていました。当時は西郷は41石の下級武士だったので生活も大変でした。そこでみかねた須賀の実家から離縁されました。

しかし糸子と結婚したときの西郷は下級武士ではありません。薩摩の要人となっていたため経済的な苦労は少なかったといわれます。西郷が薩摩にいるのは1年のうち1ヶ月程度でしたが、夫婦仲はよく三人の子供が産まれました。

糸子は、西郷の二人目の妻・愛加那との間にうまれた子供を引き取って育てました。愛加那は西郷が奄美大島で謹慎生活をしていたときに出会った女性。島の妻は薩摩にはつれてこられない規則になっていたため、西郷が島に戻る時に残してきました。それでも子供は郷士身分となることができたので西郷家で引き取りました。

また、京都の寺田屋事件で大怪我をした坂本龍馬と妻・お龍を西郷が匿ったときも、糸子が世話をしました。

糸子は西郷が不在の家で五人の子供を育てました。

西郷が出世すればするほど人付き合いも広くなり来客も多くなりました。明治維新後、新政府の要人となった西郷に会おうと頻繁に客が来ます。来客の世話をするのも糸子の約目です。

1877年。西南戦争が起こると、新政府軍は薩摩に上陸。武村の西郷の家は焼かれ、糸子と家族は逃げ延びました。8畳一間と土間だけの小屋に避難して暮らしたといいます。西郷は西南戦争で戦死。このとき糸子は34歳。結婚生活は13年でした。

西郷隆盛と糸子の子どもたち

西郷隆盛と糸子の間には3人の子供がいました。

寅太郎(とらたろう)
明治天皇の命令でドイツ留学。ポツダム陸軍学校に留学後プロイセン陸軍少尉になりました。帰国後は陸軍少尉となり、後に貴族院議員になりました。

午次郎(ごじろう)
郵便会社の重役になりました。

酉三(とりぞう)
早世

昭和時代の政治家で佐藤内閣で法務大臣を勤めた西郷吉之助は寅太郎の息子です。