春日信達・寝返りの代償は高くついた

九曜
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春日信達は武田信玄の家臣・高坂弾正として有名な高坂昌信の次男。

川中島の中心、海津城代を父の代から務めました。

でも真田昌幸の寝返り工作をうけたばかりに、処刑されてしまうのです。

さらには、一族まで不幸な運命に。

春日信達とはどんな人だったのでしょう。

 

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春日信達とはどんな人

 

春日信達(かすが のぶたつ)は高坂昌元(こうさかまさもと)ともいいます。

父は武田信玄の家臣、高坂 昌信。高坂弾正と言った方がなじみがあるかもしれません。信濃国の領主でも古くから武田家に仕えていた人物。村上、上杉との戦いで活躍しています。でも晩年は春日という姓にかえたそうです。春日虎綱とも言われます。信濃国海津城代でした。

春日信達は次男。生年は分かっていません。
兄の昌澄が1575年長篠の戦いで討死したため、嫡子となります。
天正6年(1578年)上杉謙信の死後に起きた上杉家の相続争い・御館の乱が起ります。父・虎綱は上杉との交渉役を任せられましたが、5月に亡くなってしまいます。信達は父の後を継ぎ、海津城代、上杉との交渉役となりました。武田勝頼と上杉景勝の同盟・甲越同盟の締結に貢献しました。

天正7年(1579年)、海津城代を安倍宗貞に交代。信達は駿河国・三枚橋城(静岡県沼津市)の城代となりました。北条氏から武田を守るためです。

天正10年(1582年)2月。信長の甲州攻めがはじまると、三枚橋城を放棄して勝頼のいる新府城に向かいます。信達は新府城の守りを固めるためと主張しました。でも独断で帰ったため城の守りを放棄して逃げたのだと思わてしまいます。勝頼の側近・長坂光堅らによって非難され勝頼に同行うすることは許されませんでした。

そこで信綱はかつていた海津城に入りました。

 

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武田家滅亡後の春日信達

 

武田氏滅亡後。信達は海津城を拠点とした森長可に服従します。

このとき息子・庄助をはじめとする信濃国衆の家族は人質になりました。

森長可は庄助の烏帽子親になりました。森勝助の名をもらってます。
(烏帽子親:元服のとき烏帽子をかぶせる人。有力者がなることが多く、親の様な存在)

6月に本能寺の変が起きると信濃では旧武田家臣団による反乱が起こりました。森長可が信濃をすてて逃げようとすると、春日信達は信濃国衆をまとめて長可の逃亡を阻止します。

長可は森勝助たち信濃国衆からとった人質を使って信達と交渉します。交渉を行った森長可の家臣・大塚次右衛門は強気な態度ででした。人質をとられている信達は「松本まで行けば人質を解放する。森軍には手出しをしない」という条件をのむしかありませんでした。

でも納得しない国人衆もいたので長可の帰り道を塞ぐなどの妨害を行いまいた。

戦上手なうえに人質をとっている森長可に適うはずがありません。信達らは敗退します。再度、交渉の場が設けられ「長可の逃亡を邪魔しない」という確認をおこないました。

信達たちが邪魔したことを長可は根に持っていました。松本まで来ると人質を皆殺しにして木曽谷へ逃亡しました。

信達は息子を殺され、他の領主も家族を殺されました。

大河ドラマ「真田丸・6話」で長可が「我々を追い出したことを後悔するぞ」と言った裏には、こういう事情があったのです。

 

 

上杉に寝返りを見破られる

 

その後、信達は上杉景勝に従い海津城代になりました。

春日信達の海津城は川中島の中心地。川中島は真田昌幸の小県郡のとなりにありました。

6月の時点では春日信達と真田昌幸は上杉に従っていました。

しかし北条氏直は上野・信濃を占領するために北上を続けます。6月には小県の多くの領主を従わせます。真田昌幸も目前に迫る北条に対して北条側に寝返りました。

 

しかし弟の加津野昌春(後の真田信尹)は上杉に所属させたまま調略を任せました。

昌幸の寝返り工作が春日信達の命運を決めることになります。

北条氏直は小県の次は川中島をめざしていました。そこで真田昌幸は上杉に残っている昌春を使って海津城主、春日信達の調略を行います。

春日信達は調略に乗り北条に寝返りました。

しかし密偵がつかまり、信達が北条に寝返ったことが上杉景勝にばれてしまいます。

7月13日。信達は上杉景勝によって処刑されます。

ちなみに、歴史上は信繁は春日信達の調略には関わっていません。

春日信達の調略の失敗により、北条氏直は川中島への進軍をあきらめ甲斐へ進むことになります。

 

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更なる春日一族の不幸

 

しかし春日家の不幸はそれでは終わりませんでした。

慶弔5年(1600年)関ヶ原の合戦の後、川中島藩主となったのは”あの”森長可の弟・森忠政でした。忠正は兄を追い出した春日信達の一族を徹底的に探し出して処刑したのです。

こうして春日一族は、歴史から消えることになります。

せめて、森長可を大人しく返していれば。息子や一族も死なずにすんだかも。信濃衆にしてみれば、森長可は嫌なやつだったかもしれませんが。

 

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