村松 三太夫 高直・高齢の父を追った赤穂義士

村松 三太夫は吉良邸に討ち入った赤穂四十七士の一人です。

生きて母に孝行しろと言われながらも、父を追いかけて赤穂に行き、討ち入りのメンバーに加わります。

討ち入りでは高齢だった父の分まで働くと意気込み、裏門から一番に突入し、屋敷内で奮戦したといわれます。

村松 三太夫とはどんな人だったのでしょうか。

 村松 三太夫 高直

生年:延宝年(1677年)
没年:元禄6年2月4日(1703年)
名前:村松高直(むらまつ たかなお)
通称:三太夫・ 三大夫(さんだゆう)
父:村松秀直
  赤穂藩士、江戸詰め。
母:村松茂清の娘

村松秀直の長男として生まれ、いずれは村松家の家督を継ぐ身でした。元禄14年3月14日(1701年)浅野内匠頭が刃傷事件を起こして切腹したときも、高直は父秀直とともに江戸にいました。とうじはまだ家督を継ぐ前の部屋住みの身分でした。

父・秀直は大いに怒って大石ろ仇討ちの相談をするため赤穂に向かうことにしました。高直には「生きて母に孝養をつくせ」と言い同行を許しませんでした。しかし高直はがまんできず、父のあとを追って赤穂に行きました。神奈川あたりで父に追いつき許しを得て同行します。

大石内蔵助に神紋血判書を出して江戸にもどりました。

やがて高直は家を出て、磯貝十郎座衛門・茅野和助ともに芝源助町の家借で暮らし始めます。

荻野十左衛門・植松三太夫などの偽名を使って吉良邸を調べるなどの活動をしていたといいます。

父・秀直とともに吉良邸討ち入りに参加。高齢であまり動けない父の分まで働くと意気込んでいたといいます。当日は裏門隊に所属しました。一番に屋敷に突入し屋敷内で大暴れしたといいます。

吉良上野介を討ち果たした後、幕府によて岡崎藩水野忠之の屋敷に預けられます。

元禄16年2月4日(1703年)。幕府の命令で切腹します。享年27。

辞世句 「極楽を断りなしに通らばや弥陀諸共に四十八人」

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