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ドラマよりも多かった?井伊直虎を支えた七人の重臣たち

直虎

戦国時代の井伊家。とくに井伊直虎時代には7人の重臣がいたといわれます。

井伊家やその家臣たちも長引く戦で多くの人々を失いました。家臣団も井伊直平、直盛のじだいとはまた違った顔ぶれだったようです。

井伊直虎に仕えた重臣たちをみてみましょう。

 

目次

井伊直虎を支えた家臣たち

江戸時代に書かれた資料「菅沼家譜」によると井伊直虎時代には七人の家臣がいたと言われています。

小野、松下、松井、中野、菅沼、近藤、鈴木です。

・小野家

家老・小野但馬守政次が直虎時代の井伊家を支えていました。今川家とも直接通じている目付役のようなものです。親今川派の代表です。

・中野家

中野直之。井伊直親の後見人を務めた中野直由の嫡男。中野家は井伊家から分家した一族です。この時期には成人男子が少なくなっていた井伊一族の中でも代表的な立場にあったと思われます。反今川派。

・菅沼家

菅沼忠久。井伊谷三人衆のひとり。もともとは今川家に仕えていた三河国の領主でした。父・元景が井伊直盛に仕え、その後も菅沼家は井伊毛に仕えたようです。後に今川家を裏切り徳川家康と内通します。近藤康用と鈴木重勝を説得し徳川の味方にしました。

・近藤家

近藤康用。近藤家は徳川家康の祖父・松平清康の時代には松平家に仕えていたことのある家。松平清康の死後、今川家に仕えました。菅沼忠久に説得され徳川家康に寝返ります。井伊谷三人衆の一人。

・鈴木家

鈴木重勝の母は奥山朝利の娘。姉は井伊直満の妻。井伊家とも親戚関係になります。今川家の家臣でしたが、井伊家の家臣になりました。娘婿の菅沼忠久に説得され、徳川家康に味方しまいた。井伊谷三人衆の一人。

・松井家

誰なのかはっきりとしたことは分かっていません。瀬戸方久が松下姓を名乗っていたこともあります。瀬戸方久が井伊家の家臣になったといわれていますので、松下とは瀬戸方久のことなのかもしれません。

・松下家

松下源太郎清景?。家臣の「松下」が誰なのかはっきりとは分かっていません。直政の母の再婚相手が松下源太郎清景でした。松下源太郎の可能性が高いですね。松下家はもともとは三河国の領主でした。源太郎は遠江に移住した家系ですが、松下の本家は頭陀寺の城主をしています。小時代清景の妹が頭陀寺城主・松下之綱に嫁いでいます。

 

奥山と新野家は重臣ではなくなっていた?

菅沼家譜には井伊家の親族代表の立場にあった奥山家や新野家の名前がありません。

もしかすると、直虎の時代になると奥山家や新野家には重臣の役目をはたせる成人男子がいなかったのかもしれません。

新野左馬之助には娘が3人いましたが、息子がいたという記録はありません。婿養子を迎えた可能性はありますが、詳しい記録はありません。

奥山家には虎松を護衛して落ち延びた奥山六左衛門がいますが。奥山本家の人ではなかったのでしょう。奥山家は桶狭間の戦いや小野一族との抗争で主な成人男性がいなくなっていました。

大河ドラマとは違いますが

7つの家で大河ドラマ「おんな城主直虎」に登場するのは小野政次、中野直之、菅沼忠久、近藤康用、鈴木重勝、瀬戸方久、松下源太郎。

直虎の家臣として登場するのは小野政次、中野直之、瀬戸方久です。菅沼忠久、近藤康用、鈴木重勝は今川家から目付けとして派遣され、井伊家とはちょっと離れた関係に描かれています。松下源太郎は家臣としては登場しませんが、後にしのの再婚相手として登場します。

奥山六左衛門が奥山本家の人間ということになって、評定にも参加していました。

ドラマの井伊家はかなりコンパクトな家臣団でこんなに少なくて大丈夫なの?と思ってしまいますね。ドラマの演出上最小限に削っているのだと思います。

当時の井伊家は2万5千石の領主。江戸時代なら小さな大名なみの石高があります。それなりの規模があったと思いますので重臣が7人くらいいても不思議ではありませんね。

 

 

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