ファミリア3代目社長・岡崎晴彦はべっぴんさん・村田健太郎のモデル?

朝ドラ「べっぴんさん」で坂東すみれの娘・さくらのモデルになったのが坂野光子。光子の結婚相手になったのが岡崎晴彦です。

坂野光子はファミリアには入社していません。でも晴彦は入社しています。

ドラマでは坂東さくらと村井健太郎がキアリスに入社しようとして坂東すみれ・通夫夫妻に反対されるエピソードがあります。そのエピソードと岡崎晴彦の入社のエピソードがよく似ているんです。

ドラマでは坂東さくらと村井健太郎は結婚します。坂野光子と岡崎晴彦が結婚した話がもとになってるんですね。

岡崎晴彦と入社時のエピソードを紹介します。

岡崎晴彦とは

岡崎晴彦は神戸銀行頭取・岡崎忠の長男です。
「華麗なる一族」という小説があります。原作者は山崎豊子。ドラマにもなった有名な話です。主人公は万俵財閥の当主です。万俵財閥のモデルになったのが岡崎財閥ではないかといわれています。岡崎財閥は岡崎汽船、神戸海上輸送火災保険(あいおいニッセイ同和損害保険)、神戸岡崎銀行(神戸銀行、さくら銀行をへて、現在は三井住友銀行)などをもつ関西の有力な財閥でした。戦後はかつての勢いはなくなりましたが。岡崎家の人々は神戸銀行など関西の経済界で存在感を持ってました。

坂野家は六甲山に別荘を持っていました。六甲の別荘の隣に岡崎家の別荘がありました。坂野家と岡崎家はお隣さんということで家族ぐるみのつきあいがありました。光子と晴彦は幼なじみだったのです。

晴彦は甲南大学経済学部を卒業後、アメリカのアーモスト大学で金融学を学びます。大学卒業後は三和銀行に就職しました。その後、父が会長、伯父が社長を務める東京計器製作所(東京計器株式会社)に入社しました。

昭和42年(1967)。岡崎晴彦と坂野光子は結婚しました。子供も生まれました。

その後、晴彦はアメリカのスペリーランド社から来てほしいと要請を受けました。アメリカに出向することになったのです。晴彦はアメリカ出向を前向きに考えてました。

ところが、小さな子供を連れた晴彦の出向に周囲の人たちは反対しました。特に晴彦の父・岡崎忠が強く反対したといいます。それに対して晴彦はスペリーランド社の要請を断るなら、東京計器製作所をやめてほかの会社に移ると言い出しました。もちろん周囲の人々は驚きます。

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晴彦のファミリア入社でひと騒動

晴彦には入社したい会社がありました。それがファミリアでした。晴彦は子供が生まれていたので子供服や子供用品に興味をもっていました。妻・光子の両親が経営しているのは子供用品の会社です。晴彦は真摯に仕事に取り組む義父母を尊敬していました。

坂野通夫・惇子夫妻は晴彦の入社に反対しました。二人はできるだけ近親者は入れたくないと考えていたからです。ファミリアが同族化するのは望んでいませんでした。

しかし晴彦は簡単にはあきらめません。通夫と惇子に影響力を持つレナウンの尾上清、阪急グループの清水雅の二人に相談します。二人に通夫と惇子を説得してもらおうと考えました。

尾上清らは通夫と惇子をこのように説得したといいます。
「将来、会社のために役立ちそうだと思える人物を、自分の身内だからという理由だけで、入社を拒むのはむしろ会社に対する背信行為にあたり誤りである」
ドラマで野上潔のセリフのもとになった言葉です。

尾上清らの説得で通夫と惇子は晴彦の入社を認めることになりました。

昭和46年(1971)。晴彦はファミリアに入社しました。

銀座ファミリアの店長

晴彦はその後、子会社ベビーグローの役員、銀座ファミリアの設立に関わりました。
ファミリアでは銀座に店を出店する計画がありました。坂野通夫は銀座店の店長に晴彦を抜擢します。しかし銀座に店をだすことはファミリアとしても大金をかけたプロジェクトです。ファミリアとは別の銀座ファミリアという会社を設立し坂野惇子が社長、坂野通夫が監査役、尾上清(レナウン社長)が相談役になりました。銀座ファミリアの資本はファミリア本体とは切り離しました。万が一銀座店がつぶれてもファミリアが危なくなるのを最小限に抑えるためです。

ファミリア本体から切り離された銀座店は失敗できません。資本が別ということは、赤字を出しても本社の売り上げてカバーすることができません。自分たちで稼いでお店を維持しなくてはなりません。惇子たちが役員となってサポートをするとはいっても、実際に働くのは晴彦たちです。晴彦は店長となって銀座ファミリアの売り上げを伸ばしていきました。そして1年後、銀座ファミリアの売り上げは8億7000万円になりました。開店前に尾上清が銀座店の売り上げは6億円(それでも十分すごい数字です)と予想しましたが、その尾上清の予想を上回る売り上げを出したのです。

ファミリアの世代交代

昭和60年(1985)。晴彦は通夫のあとをついでファミリアの社長になりました。バブル崩壊の苦しい時期でした。少子化や消費税増税など子供服業界には苦しい時期が重なります。晴彦はそんな苦しい時期のファミリアの経営を支えました。

岡崎晴彦には3人の子供がいました。
長男の岡崎忠彦はファミリアの4代目社長になります。次男の雅は坂野家を継ぎました。

朝ドラ「べっぴんさん」村田健太郎のモデル?

ドラマ「べっぴんさん」では直接、岡崎晴彦をモデルにした人物は登場しません。でも、入社時のエピソードや、創業者の娘と結婚する男性という立場は村田健太郎とよく似ています。村田健太郎をつくるときに岡崎晴彦を参考にしたのは間違いないでしょう。

ドラマでは坂東すみれの娘・さくらと村田君江の息子・健太郎がキアリスに入社しようとします。ところが、坂東紀夫、すみれ、村田君江は身内を入れると悪い影響が出ると反対します。

それに対して野上潔(尾上清がモデル)の助言もあって、試験を受けさせてその成績で決めることになります。すみれと健太郎は試験に受かり入社することになるのです。

ファミリアにも創業時の4人の一人・田村光子の息子・友彦がファミリアに入社しました。友彦はダイハツで働いていましたが坂野光子に勧められてファミリアに入社しました。田村光子を直接モデルにした人物はドラマには出ません。ですから光子の息子・友彦を直接モデルにした人物も登場しません。でも創業者4人の息子という点で健太郎とかぶります。

「べっぴんさん」では健太郎達が若手中心の店をオープンさせるという話があります。やがて若手が始めた店は紀夫たちの予想を超える勢いで成長します。銀座ファミリアと岡崎晴彦の話がヒントになってると思いますが。実際の銀座ファミリアは若手にチャンスを与えるという軽い気持ちで始まったわけではありません。ファミリアの社運がかかるような一大プロジェクトでした。岡崎晴彦はファミリアに入社する前はほかの会社で経験を積んでいました。アメリカの企業からヘッドハンティングされるほどの人物です。だからこそ銀座ファミリアを任されたんですね。

「べっぴんさん」の村田健太郎は岡崎晴彦と田村友彦のエピソードをおりこみつつも、大胆にアレンジされたキャラクターなんですね。