「べっぴんさん」野上正蔵(名倉潤)のモデル尾上説蔵の生涯

連続テレビ小説「べっぴんさん」でヒロインの父親・坂東五十八の片腕となり板東営業部を発展させるのが、野上正蔵。その正蔵のモデルとなったのが、尾上説蔵(おのえ せつぞう)です。

ドラマ同様に板東営業部のモデルとなった佐々木営業部(レナウン)に入社し、坂野八十八とともに会社を発展させました。

そんな尾上説蔵とはどんな人物だったのでしょうか。

 尾上 説蔵の生涯

生年:明治20年(1887年)10月14日
没年:昭和15年(1940年)
生誕地:兵庫県
名前:尾上説蔵(おのえ せつぞう)
父:尾上與三郎

銀行家を目指し大阪にきたものの、世話人の紹介で佐々木営業部(レナウン)に入社しました。

明治44年(1911年) 木村トミと結婚。

働くのが趣味といわれるほどの仕事人間でした。数字に強く頭が良かったためか、28歳のとき、佐々木八十八に見込まれて、佐々木営業部の支配人(番頭)になります。

大正11年(1922年) イギリスのエドワード皇太子が来日しました。エドワード皇太子は巡洋戦艦レナウンに乗ってきました。飛行機のなかったこの時代、軍艦が要人を運ぶことは珍しいことではありませんでした。要人の乗る軍艦をお召艦といいます。レナウンの水兵の帽子にあった「RENOWN」のロゴを気に入った八十八は「レナウン」を商標にしようと思いました。

そこで、説蔵が商標登録に奔走。当時日本で珍しかった横文字の商標を登録しました。「レナウン」をいうブランドをたちあげ、日本ではまだなじみのないブランドを前面に出した販売を行いました。

大正12年(1923年)八十八が大坂区会議員になると、正蔵は佐々木営業部の経営を任されました。

大正12年(1923年)9月1日。関東大震災が発生。経済界も大混乱します。関東の問屋はそれまで行っていた手形取引をやめて現金取引を取引先の店に要求しました。そのため問屋と百貨店の関係が悪化します。

そんななかでも正蔵は従来通り手形取引を続けました。百貨店は大変よろこんで佐々木営業の信用があがり、注文が殺到しました。

関東大震災からの復興とともに佐々木営業は発展したのでした。

大正15年(1926年)輸入品のメリヤスだけでは足らなくなったため、製造部門「レナウン・メリヤス工業株式会社」を設立。

その後も、中国に進出する国の政策によって天津や上海に子会社を設立しました。説蔵は忙しく飛び回りました。

昭和15年(1940年)死去。享年54。

その後、昭和19年(1944年)第二次世界大戦中に、国策によって会社は江商(現在の商社兼松)に吸収され佐々木営業部は消滅します。

佐々木営業部の復活は息子の尾上清に託されるのでした。

「べっぴんさん」の野上 正蔵との違いは?

ドラマの登場人物の中で、モデルになった人との違いが少ないのが野上正蔵ではないでしょうか。頭脳明晰で数字に強いというのも同じ。

尾上説蔵は自分からバリバリ働く仕事一筋のイメージがありますが。ドラマでは家族思いで五十八にも尽くす控えめな人として描かれるようです。

尾上説蔵は太平洋戦争が始まる前に亡くなってますが、ドラマの野上正蔵は戦争が始まっても生きています。大空襲で亡くなってしまいます。最後まで会社にいて亡くなったことが仕事人間の説蔵のイメージを残しているでしょうか。

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