小野和泉守 政直 井伊家の筆頭家老は今川家とつながる監視役

井伊家筆頭家老。京の名門につながる家系といわれます。井伊家に仕えることになり、代々家老を務めます。今川家よりの立場をとり、井伊家中の反今川派から反発を受けます。井伊直満に謀反の疑いをかけ、今川義元に処刑させ井伊家内部での発言力を高めています。

井伊家家臣筆頭の立場にありながら今川家のために働いていたといわれます。

通説では悪人のように描かれることがありますが、本当にそんなに悪い人だったのでしょうか。

小野政直とはどんな人だったのでしょうか。

 小野和泉守 政直(おの いずみのかみ まさなお)とは

名 前:小野 政直(まさなお)、道高(みちたか)
通称・官名:和泉守(いずみのかみ)
生 年:不明
没 年:1554年
父:小野兵庫助
子:政次、玄蕃、源吾

当時の資料には和泉守とだけ伝わっており、実際の名前は伝わっていません。道高(みちたか)という名前だったという説もあります。

戦国時代の井伊家家老です。井伊家中では反今川の井伊直満や直義と対立していました。

井伊家当主・井伊直盛の娘と直満の息子・亀之丞が婚約した後。「直満と直義が武田に通じて今川家に謀反の疑いがある」として今川義元に訴えました。直満兄弟は駿府に行き今川義元に弁明しますが、和泉守も反論しました。その結果、義元は直満兄弟を殺害します。

義元からは直満の息子・亀之丞の処刑命令も出ました。和泉守は亀之丞を探しますが、井伊谷の人々によって逃されていました。和泉守は亀之丞を見つけることができませんでした。

その後も、今川家の力をうしろだてに和泉守は井伊家の中で大きな力を保っていました。反発する直満・直義もいません。

しかし直満殺害の10年後、亡くなります。理由はわかっていません。病だったともいわれます。あるいは密かに和泉守に反感を抱くものの仕業かもしれませんが、詳細は不明です。

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小野和泉守の家系

直満は直盛の叔父でした。当主の叔父を死に追い込んだ後も和泉守は井伊谷で発言力を維持し続けました。井伊家家臣筆頭の立場にありながら、今川家ともつながりがあったからだと言われています。

小野家は京の名家の流れをくんでいるといいます。一説には小野妹子や小野篁、小野小町らを輩出した小野一族の末裔だともいわれます。平安時代に遠江国(静岡県)に移り住んだといわれています。それが本当だとすれば、井伊家よりも格上の家柄でした。

本当に小野篁の家系なのかについては証拠はありません。地元の豪族が勝手に京の名家とつながっていると主張していたのではないかという説もあります。

小野家伝来の家宝を持っており、それを見るためと称して連歌師・宗牧が小野の屋敷を訪れたこともありました(宗牧も今川義元つながりがあるといわれています)。少なくとも小野家では京の名家の血筋を引いていると主張していたのは間違いないようです。

井伊直平(直盛の祖父)の時代、井伊家は小野兵庫助を家老として召し抱えました。兵庫助は和泉守の父です。それより以前、井伊家は今川家と争っていましたが、直平の時代に服従しました。直平は小野兵庫助に土地を与え、小野村とさせました。

小野家の家が京の名家の血筋なら、もともとは井伊家よりも格が高かった。ということになります。今川という家格が高く(今川の祖先は足利将軍家につながります)武力も大きな家に従うことになったとき。その交渉役として家柄のいい小野家に期待するものはあったかもしれません。だから井伊谷の入り口に近い場所に領地も与えたのでしょう。

しかし和泉守は今川家に取り込まれてしまったのかもしれません。あるいは交渉相手のことを知れば知るほど逆らう事はできないと思うようになり。今川に服従するようになったのかもしれません。

徳川家康の家臣だった石川数正が豊臣秀吉との交渉役をしている間に豊臣家に寝返ったのに似ています。

なぜ小野和泉守は直満を訴えたのか

井伊直平が小野兵庫助を召し抱えたときの思惑はわかりませんが。少なくとも兵庫助の息子の小野和泉守はすっかり今川家に服従するようになり、井伊家を監視して今川家に報告するようになってしまいました。江戸時代には大名家を監視するために幕府から派遣されて藩の政治を行う付け家老がありました。小野和泉守の立場も付け家老に似ています。

和泉守は井伊家当主の了解をえずに今川義元に直接訴えることができる権限をもっていました。井伊家当主の命令よりも今川家の命令で動いていました。小野家の背後には今川家があるために、井伊家当主といえどもそう簡単に和泉守を処分するわけにはいかなかったのです。

小野和泉守政直は忠臣だった?

現代の一部の小説や歴史の本ではこんな説もあります。井伊直盛にかわって井伊家の主導権を握ろうとしたのが井伊直満である。小野和泉守は直満の謀反を防ぐために今川家に訴えたというのです。これの説は「井伊家当主の叔父を死に追いやりながら井伊家中で処分されずに残ってるのはおかしい」という理由です。でもそのように書かれた資料はないんですね。完全な現代人の空想です。架空の物語としては面白いですが根拠はありません。

小野家は形の上では井伊家家臣でしたが、江戸時代の大名家のような強い主従関係はありませんでした。むしろ今川家の影響が強かったといわれています。だから、「家老なのに自分の仕える家を訴えるのはおかしい」とか、「井伊家当主が家老の小野和泉守を裁くことができないのはおかしい」という考えは通じないんですね。江戸時代の大名家の雰囲気で戦国時代の領主を考えると間違った解釈をすることになるので注意が必要です。

直盛としても家中の不満を引き受けてくれる小野和泉守は、ある意味都合のいい存在だったかもしれません。家督を継いだ時点ではまだ若かった直盛にとって、年長者の親族衆をまとめるのは容易ではありません。そんなとき老獪な和泉守は頼りになったかもしれませんし。不満の矛先が和泉守に向いてくれることで直盛の立場を維持できる結果にもなったかもしれません。でもそれは結果論です。

今川家に気に入られ、忠実に動いていた。だから井伊家の人にとっては厄介な相手。だったのではないでしょうか。

主な参考資料
梓澤要,城主になった女 井伊直虎,NHK出版
石田正彦,おんな城主 井伊直虎 その謎と魅力,アスペクト
楠戸義昭,この一冊でよくわかる! 女城主・井伊直虎 PHP文庫
歴史REAL おんな城主 井伊直虎の生涯,洋泉社MOOK 歴史REAL
井伊家のひみつ,ぴあMOOK