真田信繁にはたくさんの子供がいました。
その多くは九度山で生活中に生まれています。
信繁の子供についてはさまざまな説があり。資料によって違ってたりもします。
今の時点で分かる範囲でまとめてみました。
真田信繁の子供達
長女・お菊(すへ)
母:堀田興重の娘
?~1642年
生誕地:上田
信濃国長窪村郷士 石合十蔵重定の妻
次女・於市
母:高橋内記の娘(堀田興重の娘説もあり)
?~?
生誕地:上田?九度山の可能性もあり
九度山にて早世
長男・大助(真田 幸昌)
母:竹林院
1601~1615
生誕地:九度山
大坂夏の陣にて戦死。
三女・あくり(あぐり)
母:竹林院
?~?
生誕地:九度山
竹林院とともに紀伊で潜伏中捕まる。
滝川一積に預けられた後、
陸奥三春藩・蒲生郷明の妻
四女・おべん
母:九度山農民の娘?
?~?
生誕地:九度山
仙台藩に逃れる。
彦根藩士・青木次郎右衛門の妻
五女・阿梅(お梅)
母:高橋内記の娘
1604~1681
生誕地:九度山
仙台藩に逃れる。
仙台藩・片倉重長の妻
三女という説もあります。
参考記事:お梅・片倉家に嫁いだ真田信繁ときりの娘
六女・なほ(お田)
母:隆清院
1604~1635
生誕地:九度山
京に逃れる。
出羽亀田藩主・岩城宣隆の妻
七女・お金(おかね)
母:竹林院
?~?
生誕地:九度山
仙台藩に逃れる。
商人(元犬山城主)・石川貞清の妻
八女・名前不明
母:不明
?~?
生誕地:九度山
仙台藩に逃れた後、早世
九女・阿菖蒲(お菖蒲)
母:竹林院
1607~1664(1635説もあり)
生誕地:九度山
京に逃れた後、於梅に引き取られる。
仙台藩士・片倉定広の妻
次男・大八(片倉守信)
母:竹林院
1612~1670
生誕地:九度山
仙台藩に逃れた後、仙台藩士になる。
仙台真田家の祖。
三男・之親(石田之親)
母:九度山農民の娘?
?~?
生誕地:九度山
讃岐丸亀藩・石田国広の養子。
異説あり。一般的には信繁の子に含まれないことが多いです。
四男・左次郎(三好幸信)
母:隆清院
1615~1667
生誕地:京
妊娠中の隆清院が京に逃れたあと誕生。
お田に引き取られ、出羽亀田藩士となる。
まとめ
資料によって、誕生、没年、生誕地、母、生涯について異なることも多いので、ここに書いたのが正解というわけではありません。
幽閉中というわりには作った子供が多すぎるような気もしますか。
まあ、他にすることがなかったでしょうからね・・・
幸村も女好きな昌幸の性格を受け継いでいたようです(笑)。
それはともかく。
大坂の陣のあと生き残った子供らは大坂城落城後は残党狩りから逃れるため苦労しましたが、多くの子らが保護されています。
徳川に抵抗して名を上げた真田信繁(幸村)が、当時の人達にとってどれほど大きな存在だったかが分かります。
コメント
文也様。こんばんは。長男の大助は真田丸に出演するでしょうか?今の所、まだ出演予定の俳優も決まってはいませんが、吉継の娘の竹林院が正室(春役・松岡茉優)と決まり大助も出演する可能性が出てきました。大阪夏の陣の屏風が真田歴史館に展示してあり、幸村のすぐ後ろに大助の姿も描かれています。大助は若干16歳での出陣だったようです。
コウイチ様。こんにちは。真田丸は信繁個人というより真田家という家族がテーマのような気がします。父としての信繁を描くことにもなりますし。母と大助。祖父と大助。大助ともり役の内記。大助と秀頼。いろんな描き方ができるので大助は重要な登場人物になるように思います。