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アレクサンドロス3世・世界帝国を築いた伝説的な大王

マケドニア

アレクサンドロス3世は古代ギリシャのマケドニア王国国王です。

英語ではアレキサンダー大王、アレクサンダー大王(Alexander the Great)ともよばれます。アラビア語やペルシャ語ではイスカンダルといいます。

ヨーロッパ・アフリカ・アジア大陸にまたがる大帝国を築いた人物でした。彼の遠征でギリシャとオリエントの文明が交わり新たなヘレニズム文化が生まれるなど、後の歴史にも大きな影響を与えました。

征服した地域には自分の名前のついた都市を建設しました。アフリカからインドにまたがる地域にアレキサンドリアやそれに似た発音の都市が多いのはそのためです。

伝説的な英雄として名前の伝わるアレクサンダー3世を紹介します。

目次

アレクサンドロス3世の史実

名前:アレクサンダー3世(英:AlexanderIII,ギリシャ:Ἀλέξανδρος Γ’)
地位:アルゲアス朝マケドニア王国国王(バシレウス)、コリントス同盟盟主
生年:紀元前356年7月20日
没年:紀元前323年6月10日
父:ピリッポス2世
母:オリュンピアス
妻:
ロクサネ
スタテイラ
パリュサティス
子供:
アレクサンドロス4世
ヘラクレス

日本では弥生時代になります。

紀元前356年。古代ギリシャのマケドニア王国で生まれました。父は国王フィリッポス2世。母はエペイロス王国王女オリュンピアス。

紀元前342年。フィリッポス2世は家庭教師にアリストテレスを呼び寄せます。アレキサンドロスはアリストテレスを最高の師として尊敬しました。アレキサンドロスと一緒に同世代の少年たちも一緒に学びました。のちに学友たちがアレキサンドロスを支える将軍になります。

将軍時代

紀元前338年。成長したアレキサンドロスは軍の指揮官になって父の遠征に付き従います。父とともにアテナイ・テーバイ連合軍との戦いに参加。アレクサンドロスは騎兵部隊を率いてアテナイ・テーバイの部隊を壊滅させます。マケドニアの勝利に貢献しました。

その後、父フィリッポスはギリシャの国々とコリントス同盟を結びました。ギリシャの盟主になったピリッポリスは次にペルシャへの遠征を計画します。

337年。父フィリッポスは、クレオパトラ・エウリュディケと結婚。これに腹をたてた母オリュンピアスがエペイロスに帰ってしまいます。アレキサンドロスも母とともにエペイロスに行きました。

父と母が別居

336年。父フィリッポスは、妹クレオパトラとエペイロス国王アレクサンドロス1世の結婚式に出席して暗殺されました。殺害したのは父の護衛をしていたパウサニアスでした。

フィリッポスの暗殺にはオリュンピアスやアレキサンドロスが関わっているのではないかともいわれます。

マケドニアの王になる

父の死後、アレキサンドロスはマケドニアの王になりました。エウリュディケとその息子を殺害。王位を脅かすものを排除しました。エウリュディケたちの殺害は母オリュンピアスが指示したともいわれます。

フィリッポスの死後、ギリシャではテーバイなどが反乱をおこしました。アレクサンドロスは反乱を鎮圧。ギリシャを平定します。

アレクサンドロス大王の東方遠征

遠征の理由

紀元前499~449年の間にギリシャとペルシャは戦争をしていました。この戦争で大きな被害を受けたコリントス同盟はペルシャに対して復讐を決定しました。フィリッポス2世の時代に決定しましたが、すぐにフィリッポス2世が死亡したためアレクサンドロス3世が引き継いで行なうことになったのです。

遠征開始

紀元前334年・アレクサンドロス3世は父が行おうとしたペルシャ遠征を実行に移します。アレクサンドロスはマケドニアの守りを重臣アンティパトロスに任せ、ペルシャ遠征に向かいました。ペルシャ遠征はコリントス同盟の決定でもあるのでギリシャの同盟国も参加しました。

小アジアの戦い

アレキサンドロス率いるマケドニア・ギリシャ連合軍は小アジア(アナトリア半島、現在のトルコ東部)に上陸。小アジアの太守連合を破りました。この戦いで敵将ミトリダテスを投げ槍で倒して味方将兵の信頼を得ます。

イッソスの戦い

紀元前333年。アナトリア半島の付け根付近(現在のトルコ南東部)にあるイソッソスでアレクサンドロス3世率いるマケドニア・ギリシャ連合軍は、ダレイオス3世率いるペルシャ軍と戦いました。ギリシャ軍は4万に対してペルシャ軍は10万だといわれます。この戦いでペルシャ軍に勝利。ダレイオス3世の妻子を捕虜にします。後にアレクサンドロス3世はダレイオス3世の娘スタテイラ2世と結婚しました。

戦いのあとペルシャは和睦を申し出ましたが拒否。遠征を続けました。

エジプト征服

ペルシャ軍と戦ったあと南に進みました。シリアでは反ペルシャ勢力が多かったので歓迎されました。しかしフェニキアとガザは抵抗したので降伏させました。

紀元前332年。アレクサンドロス3世はエジプトに入ります。エジプトはペルシャに整復されていたのでアレクサンドロス3世はエジプトの解放者として迎え入れられエジプトのファラオ(王)になりました。

エジプトのアメン神殿で「アレクサンドロス3世はアメンの子」という信託を受け取りました。アメンはゼウスと同じだと考えられていたので「アレクサンドロス3世はゼウスの子」と言われるのと同じでした。

その後、ナイル川のデルタ地帯に街を建設。これが現在ではエジプト第2の都市になったアレクキサンドリアです。

ペルシャ王国滅亡

エジプトで休息したマケドニア・ギリシャ連合軍は東に向かいます。

ガウガメラの戦い

紀元前331年。アレクサンドロス3世は再びダレイオス3世のペルシャ軍と戦いました。この戦いでもペルシャ軍をうちやぶりバビロンやスーサを占領しました。

ペルシャ帝国の都ペルセポリス(現在のイラン、ファールス州)を征服。ここでは徹底した破壊と殺戮が行われました。ペルシャ戦争の復讐の意味があったからです。

ダレイオス3世は逃げましたが側近ベッソスに暗殺されます。ベッソスはペルシャ国王を自称しましたが、アレクサンドロスは認めずダレイオスの弔い合戦と称してベッソスと戦います。ベッソスはスピタメネスに捕らえられてアレクサンドロスに引き渡されました。ベッソスは処刑されました。

ペルシャ王国は滅亡します。アレクサンドロス3世はペルシャ軍の残党を破りペルシャを支配下におきいくつかの都市を建設しました。

 

中央アジアの戦い

紀元前329年。スピタメネス率いるソグド人が反乱を起こします。ソグディアナ(ウズベキスタン・サマルカンド州、タジキスタン・ソグド州)とバクトリア(イラン・アフガニスタン・タジキスタン・ウズベキスタンにまたがる地域)を中心に戦いが行われました。ソグド人のゲリラ戦に苦しめられます。遊牧民のスキタイ人の攻撃も受けましたが撃退しました。

紀元前328年。ゲリラ戦を行っていたスピタメネスですが、マケドニア・ギリシャ連合軍との戦いに相次いで破れ最後は味方の裏切りで暗殺されました。スピタメネスの首がアレクサンドロスのもとに送られてきました。

このあと、現地の高官の娘・ロクサネと結婚しました。

このころ、側近のクレイトスと口論になり酔った勢いで殺害してしまいます。アレクサンドロスは公開しましたが、味方の将軍との間に意見の違いが出てきた時機でした。

インド遠征

紀元前327年。中央アジアを平定したアレクサンドロスはインド遠征を行います。

途中、いくつかの町を征服したあと、アオルノスの砦を攻略しました。詳しい場所はわかっていませんが、現在のパキスタンのどこかにあったといわれています。

この戦いに勝利したことでインダス川流域のパンジャーブ地方(インドからパキスタンにまたがる地域)に進出ができるようになりました。

ヒュダスペス河畔の戦い

紀元前326年。インダス川を越えてパンジャーブ地方に侵入。インドのいくつかの部族を味方にしたあと、従わないパウラヴァ族のポロス王と戦いました。ポロスの勇敢な戦いに感心したアレクサンドロスはポロスに使者を送り降伏させ配下にします。その後もインダス川流域を征服しました。

更にインド中央に向かおうとしました。しかしマケドニア・ギリシャ軍も消耗しており、さらに多くのインド軍が待ち受けていると知った将兵はそれ以上の前進を拒否しました。アレクサンドロスは説得しましたが将兵は納得しません。

アレクサンドロスは遠征を諦めてバビロンに戻ることにしました。

バビロン帰還

道中、抵抗する部族を征服しながら紀元前324年。スーサ(現在のイラン、フーゼスターン州)に戻りました。

その後、バビロンに戻ったアレクサンドロスは帝国をペルシャ、マケドニア、ギリシャ(コリントス同盟)の3つに分割。それぞれの王をアレクサンドロスが兼ねる連合王国の形にしました。

アレクサンドロスはマケドニアとペルシャをまとめるため、ペルシャ人を積極的に採用しペルシャ式の習慣、衣装、儀式を取り入れました。しかしマケドニア人の将兵はこれに反発します。

紀元前323年。バビロンに戻ったアレクサンドロスはアラビア遠征を計画中にハチに刺され、宴会中に倒れました。10日間高熱に苦しんだあと「最強の者が帝国を統治せよ」という言葉を残してこの世を去りました。享年32。

死後

アレクサンドロス3世の死後半年後にロクサネとの間にアレクサンドロス4世が生まれます。

しかしはっきりとした後継者を決めていなかったため将軍たちの間で後継者争いが起こりました。アレクサンドロス3世の築いた帝国は分裂してしまいます。

 

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