6 戦国・江戸時代

三好家

三好実休・兄長慶を支え四国勢をまとめて戦った三好四兄弟の次男坊

三好実休は三好長慶の弟。三好之虎ともいいます。 畿内で勢力拡大を行う兄に代わり、三好家本拠地がある阿波を守り阿讃衆(阿波と讃岐の国衆)をまとめていました。 長慶の重要な戦いには援軍を率いて海を渡り加勢に向かっています。 弟の安宅冬康、十河一...
戦国の女性

どうして戦国時代の身分の高い女性は立て膝なの?

大河ドラマ「麒麟が来る」を見ていると身分の高い女性が立て膝で座っています。 光秀の母・お牧役の石川さゆりさん、帰蝶役の川口春奈さんなど。身分の高い女性たちは片方の膝を立てて座っていることが多いですいよね。 現代日本人からみると女性が膝を立て...
三好家

三好長慶(2) 足利義輝・細川晴元を圧倒し京都の支配権を得る

三好長慶は阿波の守護代三好家の当主。細川吉兆家(本家)の晴元に仕えていました。 やがて細川晴元と対立し、晴元の勢力を倒し、細川氏綱とともに上洛しました。 その後は、晴元に味方する足利義輝とも対立。義輝の勢力との戦いにも勝ち、京都の支配権を獲...
足利家

足利義輝は剣豪ではない?幕府再生を夢見た流浪の将軍

足利義輝は剣豪将軍といわれます。しかしそれはあとになって作られたイメージ。義輝本人は落ちぶれかけた足利家をなんとかもり立て、室町幕府の権力を復活させようと悪戦苦闘しました。三好長慶との戦いや妥協のなかである程度は将軍家の面目を保つことができ...
三好家

三好長慶(1)崖っぷちの三好本家が畿内の有力大名になるまで

三好長慶といえば細川氏や足利家を追い落とし畿内を支配した人物と言われます。その後、三好の勢力は衰退して織田信長が天下をとったので歴史家からの評価は高くありません。 しかし長慶は江戸時代の前半までは有能な戦国大名として知られていました。長慶は...
織田家

稲葉良通(一鉄)頑固一徹!

稲葉良通は美濃の戦国武将。稲葉一鉄の名が有名です。 西美濃三人衆の一人で、勇猛な武将として知られ、斎藤道三、織田信長、豊臣秀吉に仕えました。 勇猛なだけでなく一方では礼儀を重んじる教養人でもありました。 また、娘の安が生んだのが春日局。若い...
三好家

松永久秀は梟雄ではない。三好長慶を支えた有能な武将だった

松永久秀は戦国時代の武将です。「乱世の梟雄」などと言われ下剋上の典型的人物と言われてきました。確かに低い身分から能力を生かして大出世した人物には違いありません。しかし謀反ばかりおこす人物というイメージは軍記物などで面白おかしく作られたもので...
足利家

三淵藤英|足利将軍家に忠誠を尽くした細川藤孝の兄

三淵藤英は室町幕府の重臣です。 弟の細川藤孝が足利義昭を裏切り織田信長に仕えたのに対し。三淵藤英は足利義昭に仕えました。 三淵藤英とはどんな人だったのでしょうか。 三淵藤英 とは 名 前:三淵 藤英(みつぶち ふじひで) 別名:藤之→ 藤英...
その他

土岐頼純 は織田信長より先に帰蝶(濃姫)と結婚していた?

土岐頼純は美濃国(岐阜県)で守護の座を巡って土岐頼芸と争った人物。斎藤道三とも争いました。道三と争っている最中に若くして死亡します。 そのためあまり注目されることのなかった人物です。ところが「濃姫(帰蝶)と結婚していた」という説が出てきまし...
その他

斎藤高政(一色義龍)は父・道三を討ち美濃を信長から守った男

斎藤高政(一色義龍)は斎藤道三の長男。道三を殺した人物として知られます。道三が出世物語の主人公として人気がある一方で、義龍は父親を殺した人物としてあまり評判はよいとはいえませんでした。 しかし争いで荒れ果てた美濃国を立て直し。織田信長の美濃...
明智家

明智光秀の妹 御妻木殿は信長の側室だった?

明智光秀には御ツマキ殿あるいは御妻木殿とよばれる妹(義妹)がいました。 そして御ツマキ殿は織田信長と関係のある女性でした。側室だったともいわれます。 謎の女性御ツマキ殿について紹介します。 御ツマキ殿とは 通称:御妻木殿(おつまきどの) 生...
その他

斎藤道三・僧侶から大名へ!親子二代で達成した成り上がり人生

斎藤道三は僧侶から、油売り、そして大名に成り上がった人物。戦国時代を代表する下剋上の典型的な人物といわれます。 ところがこの話は江戸時代の小説「美濃国諸旧記」などで作られたイメージでした。現代でも坂口安吾・海音寺潮五郎・司馬遼太郎らの作家が...
6 戦国・江戸時代

足利義昭:出家中の覚慶が将軍・義昭になるまでのいきさつ

足利義昭は室町幕府の第15代将軍。最後の将軍としても知られます。 義昭は足利家の生まれですが門跡寺院にいれられ覚慶と名乗る僧侶になっていました。兄・義輝の死によって将軍になる決意をします。 一般的には義昭は朝倉氏を頼ったけれどもうまくいかな...
その他

波多野秀治 :丹波勢の意地をみせ明智光秀を苦しめる

波多野秀治は丹波の大名。全盛期には丹波最大の大名といわれた波多野氏でした。 しかし秀治は明智光秀との戦いに敗れ、波多野氏の最後の当主となりました。 滅び方が悲惨だっただけに「氷上郡史」「総見記」「籾井家日記」など様々な物語にも登場します。で...
織田家

土田御前:母が信長より信勝を可愛がった理由

土田御前は織田信長の生母です。 評判のよくない信長より、礼儀正しい信勝(信行)を可愛がり、織田家の当主にしようと望んだといいます。 土田御前とはどんな人だったのでしょうか。 土田御前とは 名 前:不明 通称:土田御前(どたごぜん、つちだごぜ...
織田家

帰蝶(濃姫):兄嫁に「自害なすべし」信長の正室はきつい女だった

濃姫は織田信長の正室です。帰蝶ともいいます。 斎藤道三の娘で、信長と結婚したので有名な人物です。ところが意外と史料が少なく詳しいことはよくわかっていません。 でも、様々な文献に見られる「信長本妻」は気の強い人だったことがわかります。さらに本...
戦国の女性

深芳野:斎藤義龍の母は美濃一の美女だった

深芳野は斎藤道三の側室。そして斎藤高政(一色義龍)の母です。 美濃一の美女といわれた深芳野は、最初は土岐頼芸の愛妾でした。しかしその美しさにめをつけた斎藤道三の側室にされます。 後の世には斎藤高政は斎藤道三の子ではなく土岐頼芸の子という噂ま...
明智家

明智光秀 年表

明智光秀 の人生を年表にしました。 生年などは通説(没年55歳)に従っています。 明智光秀のプロフィール 名 前:明智光秀(あけち みつひで) 幼 名:彦太郎 通 称:十兵衛 別 名:惟任日向守 生 年:不明 没 年:天正10年6月13日(...
明智家

明智光秀の出身地と生年

明智光綱は有名な戦国武将ですが、その前半生は謎に包まれています。 出身地や生年について様々な説があるのです。 この記事では明智光秀の出身一族、出身地、生年について様々な説を紹介します。 光秀は土岐氏支流 明智氏の生まれ 通説では明智光秀は土...
その他

土岐頼芸:斎藤道三に下剋上された美濃守護大名

土岐頼芸は戦国時代の美濃の守護大名です。 斎藤道三に下剋上された人物というイメージが強いかもしれません。 もともと次男だった土岐頼芸は守護になる立場ではありませんでしたが、父の気まぐれで跡継ぎになってしまい兄と家督争いをします。その後も争い...
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