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ディエゴ・フルタド・デ・メンドーサはカスティーリヤ王家に仕える貴族

スペイン帝国

ディエゴ・フルタド・デ・メンドーサはカスティーリヤの貴族。インファンタード公爵ともよばれます。弟はペドロ・デ・メンドーサ枢機卿。

メンドーサ家は代々カスティーリヤ王家に仕える家でした。エンリケ4世にも仕えました。一族の長としてメンドーサ家を受け継いだディエゴは最初はエンリケ4世の娘フアナを支持します。

しかし弟ペドロと教皇の密約によりイサベルの味方になります。

ディエゴ・フルタド・デ・メンドーサを紹介します。

目次

ディエゴ・フルタド・デ・メンドーサの史実

名前:ディエゴ・フルタド・デ・メンドーサ(Diego Hurtado de Mendoza )
地位:インファンタード公爵
生年:1417年
没年:1479年
父:イニゴ・ロペス・デ・メンドーサ
母:カタリナ・フィゲロア
妻:ブリアンダデルナ、再婚イザベルデ ノローニャ
弟:ペドロ・ゴンザレス・デ・メンドーサ他

日本では室町時代。日野富子(1440~1496年)とほぼ同じ時代の人です。

 おいたち

メンドーサ家はカスティーリャ王室への忠誠心が高い一族でした。
父・イニゴはカスティーリャ王家に仕えるサンティリャーナ公爵でした。

ディエゴ・フルタド・デ・メンドーサはメンドーサ家の長男として生まれます。

弟はトレドの大司教になったペドロ・ゴンザレス・デ・メンドーサ枢機卿がいます。

1458年。父が他界。ディエゴはサンティリャーナ公爵の地位を受け継ぎます。

彼は芸術家を支援してルネッサンス芸術の発展に貢献しました。マンサナレスエルレアル城を建設。メンドーサ家のためにインファンタド宮殿を建設しました。

1465年にはじまったカスティーリャの内戦では彼は最初はフアナ王女の味方でした。

1473年。イサベルの支持者だったロドリゴ・ボルジア(後の教皇アレクサンドル6世)がカスティーリャを訪れました。ロドリゴはディエゴの弟ペドロ・ゴンザレス・デ・メンドーサと会い密約をかわします。その密約によってメンドーサ家がイサベルの味方になりました。ペドロは枢機卿に任命され。カスティーリャで最も地位の高い聖職者になります。

フアナは強力な支持者だったメンドーサ家を失いポルトガル王に援助を求めます。

ディエゴはイサベルに味方してフアナを支持するポルトガル軍と戦いました。

1475年。イサベル1世からンファンターの公爵の称号を与えられました。

1479年。死去。享年61。

ディエゴ・メンドーサが造ったマンサナレスエルレアル城は代々メンドーサ家の居城として使われました。現在のスペインでも豪華な城として知られます。現在では結婚式やパーティー会場などとして利用されています。

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