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ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバはスペイン最高の将軍

スペイン帝国

ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバはスペイン王国の将軍です。

スペイン史上最高の将軍といわれます。塹壕戦を考案し、槍兵と銃器を組み合わせ戦場で銃器を効果的に仕えるように編成しました。

16世紀のヨーロッパでスペイン軍が最強になれた基礎を作った人物でした。

ゴンサロについて紹介します。

目次

ゴンサロの史実

名前:ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバ(Gonzalo Fernández de Córdoba)

地位:スペイン軍将軍
生年:1453年9月1日
没年:1515年12月2日
父:ドン・ペドロ・フェルナンデス・デ・コルドバ
母:エルヴィラ・デ・エレーラ
:イザベル・デ・モンテマヨール
弟:
子供:

兄:ドン・アロンソ

日本では室町時代。日野富子(1440~1496年)とほぼ同じ時代の人です。

おいたち

1453年。ゴンサロはカスティーリャ王国のコルドバに近いモンティーリャという町で生まれました。

父ドン・ペドロ・フェルナンデスはアギラール伯爵。父はゴンサロが2歳の頃に亡くなりました。当時はアギラール伯家とカブラ伯家が対立していました。幼いゴンサロは教会に預けられました。
1466年。宮廷に仕えるようになります。
1467年。カスティーリャ王エンリケ4世の義弟アルフォンソに仕えます。
1468年。アルフォンソの死後はイサベルに仕えました。

1474年。エンリケ4世の死後、イサベル1世が即位。エンリケ4世の娘フアナが王位を主張。彼女と結婚したポルトガル国王アフォンソ5世がカスティーリャに攻めてきました。ゴンサロはサンディアゴ騎士団長アロンソ・デ・カルデナスのもと戦いました。アルベラの戦いで手柄をたててアロンソから褒美を送られます。戦場で活躍するゴンサロはすぐに評判になり兵士たちの信頼を集めました。
1476年。トロの戦いでポルトガル軍は劣勢になり、撤退しました。

レコンキスタ

イベリア半島は8世紀にイスラム教の国に征服されました。その後キリスト教国が領土回復しようと戦いが続いていました。その戦いをレコンキスタといいます。意味は「再征服」です。日本では「領土回復運動」と訳されることもあります。

ゴンサロが生きた時代にはイベリア半島に残るイスラム勢力はイベリア半島南部のグラナダ王国のみでした。1482年。グラナダ王国で王位継承をめぐって内乱が起こります。好機と考えたカスティーリャ=アラゴン連合王国はグラナダに攻め込みます。

この戦いで、ゴンサロはサンディアゴ騎士団長アロンソのもとで戦います。

あるときイサベル1世はグラナダの戦況を視察しようとイリョラへ向かいました。ゴンサロはイサベルを護衛しました。グラナダ側の兵士が出撃してきたのでゴンサロはイサベルの眼の前で劇題しました。この戦いを見てイサベル1世はゴンサロを高く評価しました。

1492年。グラナダは降伏。このとき使者の一人となってグラナダと協定を結びました。

第一次イタリア戦争

1494年からイタリアとの戦争が始まります。
イサベルはゴンサロをスペイン軍の司令官に任命。ゴンサロは5000の兵を率いてナポリにむかいました。ゴンサロ率いるスペイン軍とナポリの連合軍はフランス軍と戦い敗退。この敗戦はゴンサロにとって生涯唯一の敗戦といわれます。ゴンサロはスペイン軍の編成に問題があると考えスペイン軍の改革に乗り出します。

スペイン軍は歩兵主体でフランス軍の騎兵の突撃に弱かったのでのです。そこで歩兵に槍をもたせて密集させ、銃兵を守る形で編成しました。騎兵の突撃を防ぐとともに銃を戦場で効果的に使う方法を取り入れました。

ゴンサロは騎兵の突撃を防ぐため塹壕と土塁を作って防ぐ方法を考えました。このためヨーロッパではゴンサロを塹壕戦の父と呼ぶ歴史家もいます。

第ニ次イタリア戦争

ナポリ王のフェデリーコ4世とともに地中海の島ケファロニアを巡ってオスマン帝国と戦い勝利。ケファロニアをオスマン帝国から奪いました。

1498年。帰国したゴンサロは「エル・グラン・カピタン」の称号を贈られました。その後、国内で起きたムーア人の反乱を鎮圧します。

1499年。教皇アレクサンデル6世はフランスと同盟。イタリアに攻めてきました。フランスのルイ12世はナポリ王国を分割して与えるとアラゴン国王フェルナンドに約束。フェルナンド2世はフランスの提案を受け入れ1500年。フェデリーコ4世を退位させナポリを分割しました。しかしフケルナンド2世は全ての領土を狙っていました。

ゴンサロはスペイン軍の司令官に任命され、イタリアに向かいました。チェリニョーラの地でフランス軍と戦い勝利します。

戦いの後、ゴンサロはナポリの総督になりました。

1504年。イサベル1世が死亡します。ゴンサロは最大の理解者を失います。しかしフェルナンドにとってもイサベルの死は大きな痛手でした。フェルナンド2世はアラゴン国王ですが、カスティーリャ国王ではありません。カスティーリャ国内への影響力が弱まってしまったのです。フェルナンド2世はカスティーリャで人気の大きかったゴンサロを驚異を感じ、忠誠心を疑ったのです。

1507年。フェルナンド2世はゴンサロを解任しました。ゴンサロは経費の管理がずさんだったのでその責任を取らされる形で解任されたのです。

フェルナンド2世は追加の称号や公爵の地位を与えましたが、重要な仕事は与えませんでした。ゴンサロは引退して自分の領地で余生をすごしました。

1515年。グラナダ近くの別荘でマラリアにかかり死亡しました。享年62。

ゴンサロはスペイン軍を近代的な軍隊に改革し、戦場でも大きな功績を残しました。スペイン史上最高の将軍といわれます。

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