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「真田丸」大蔵卿局。なんであんなに偉そうなの?そんなに権力あったの?

真田丸

大河ドラマ「真田丸」では大蔵卿局がすごく目立ってます。峯村リエさん演じる大蔵卿局はテレビ史上、最高に目立ってる大蔵卿局といってもいいんじゃないでしょうか。茶々の母親かと思ってしまいますよね。

ことあるごとに茶々に意見するし、息子の大野治長は頭が上がらないし。そもそも大蔵卿局ってそんなに権力あったの?って思いますよね。でも、大蔵卿局と茶々の関係を考えると作り話とも思えないんです。

大蔵卿局がなんであんなに発言力あるのか考えてみました。

 

目次

大蔵卿局(おおくらきょうのつぼね)は茶々の乳母

大蔵卿局の家は浅井家に仕えていました。大蔵卿局は茶々の乳母となります。生まれて間もなく、茶々は大蔵卿の局に育てられたんです。乳母と言ってもただお乳を与えるだけじゃありません。成長してもずっと仕え続けました。養育係も兼ねていたんですね。

だから茶々にとって大蔵卿局は母親代わりの存在でした。15歳で母・お市が亡くなった後は、事実上の母親といってもいいかもしれません。お市は亡くなる前に娘たちを大蔵卿局に託したとも言われます。

だからただの乳母じゃないんですね。自分が育てた姫君だし、亡くなったお市の遺言もあるし、なにが何でも守らなければいけないという想いは強かったんでしょうね。

他にも乳母はいた?

実は茶々の乳母には饗庭局(あえばのつぼね)という人もいました。この人も大蔵卿局といっしょに茶々が側室になった後も仕えてます。でも「真田丸」では大蔵卿局だけが登場しています。饗庭局が出ない分、大蔵卿局の出番が増えてるかもしれませんね。

 

大坂城の奥のトップ。豊臣版・春日局だった

豊臣秀吉亡き後、お寧とお寧に仕える孝蔵主(こうぞうす)が大坂城を出ました。代わりに茶々と大蔵卿局たちが入りました。孝蔵主はお寧に仕える侍女の中でも最高位の側近でした。大坂城の奥を仕切る責任者です。

孝蔵主の立場を引き継いだのが大蔵卿局なんですね。秀頼時代の大坂城で奥を仕切る責任者が大蔵卿局です。

茶々にとっては母親のような存在なので絶対的な信頼を得ています。それでいて奥のトップ。となれば発言力が出ないわけがありません。要するに徳川家光と春日局の関係だと思えばわかりやすいかもしれません。

母のおかげで出世した大野治長

乳母の実の子が取り立てられるというのもよくある話です。秀頼に仕えた木村重成の母は秀頼の乳母でした。

だから茶々の乳母の息子たち大野兄弟も秀頼に仕えました。逆に言うと治長の地位があるのは大蔵卿局のおかげ。治長が出世したのは治長と茶々が仲良かったというより、母親・大蔵卿局が偉い立場にいたから。だから治長が母親に頭が上がらないのはあり得る話ですね。そう考えるとドラマ「真田丸」での大蔵卿の局、大野治長、茶々の関係が理解しやすいと思います。

秀頼時代は教育係

大蔵卿局は秀頼の乳母を務めたという意見がありますが実際には秀頼の教育係です。ちなみに秀頼の乳母は宮内卿局(くないきょうのつぼね)。木村重成の母です。つまり、豊臣秀頼と木村重成は乳兄弟ですね。

でも、秀頼を教育したのは大蔵卿局。秀頼に対しても発言力はあったと思われます。親子そろって教育してるんですから、並みの乳母よりもさらに影響力は強いかもしれませんね。

ドラマみたいに意外と茶々よりも口うるさかったのかもしれません。

でも大蔵卿局が口うるさく言うのも茶々と秀頼を死なせたくない。という想いからやってること。茶々は主のお市から託された大切な姫君です。茶々の息子となれば孫も同然。守りたい。という想いは強かったでしょう。

浅井家に仕えた時代から裏切りの中で生きてきました。かつての味方や同盟相手ですら敵になるのですから、浪人達をそう簡単に信じられるわけありません。

よかれと思ってしたことが

大蔵卿局は私利私欲で口出ししていたのではなく、大切な茶々とその子供を守りたいという老婆心からやってることだったのでしょうね。江戸時代のように平和な時代ならそれでもよかったのだと思います。策略と武力がものをいう戦国の世では守りたいという想いだけではなかなか生きていくのは難しいのかもしれませんね。

 

歴史上の大蔵卿局についてはこちらの記事も参考にしてください。

大蔵卿局・最後まで付き従った茶々の乳母

 

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