アルヴィーゼ・グリッティ:ヴェネツィア元首の息子はオスマン帝国のスパイだった?

オスマン帝国外伝・愛と欲望のハレムに登場するアルヴィーゼ・グリッティは実在の人物です。

ヴェネツィア共和国元首アンドレアを父にもちますが、アルヴェーゼ自身はオスマン帝国で暮らし、オスマン帝国のために働きました。

非嫡出子の彼はアンドレアの正式な子供として認めらられていなかったのです。

キリスト教国から認められなかったアルヴィーゼはやがて悲劇的な最期をむかえます。

 アルヴィーゼ・グリッティとは

 

名前:アルヴィーゼ・グリッティ(Alvise Gritti)
生年:1480年 
没年:1534年
父:アンドレア・グリッティ(ベネツィア共和国元首)
母:不明・ギリシャ人
子:男子2人

父アンドレアはがベネツィア国家元首になる前。貿易のためコンスタンチノーブルで暮らしていました。キリスト教徒の居住地ガラタ地区に豪華な家を建てて現地のギリシャ人系女性と同棲関係になりました。そのとき産まれたのがアルヴィーゼです。アルヴィーゼは法的には認められない非嫡出子でした。

1503年ごろ父アンドレアはベネツィアに帰りました。しかしアルヴィーゼはコンスタンチノーブルに残りました。キリスト教国は私生児には非常に厳しい国です。正式な結婚で産まれた子供ではないのでヴェネツィアには入れなかったのです。

アルヴィーゼはコンスタンチノーブルで暮らし商人になりました。ワイン、金、銀、サフラン、塩、小麦の貿易で大成功しました。

財力を使って父が建てた邸宅を更に拡張しました。ベイオール宮殿と呼ばれるくらい豪華だったといいます。

1520年。オスマン帝国でスレイマン1世が即位しました。

1523年。父のアンドレア・グリッティが選挙でベネツィア共和国国家元首に選ばれました。

1523年。イブラハム・パシャが大宰相になるとイブラヒムと親密な関係を築きました。オスマン帝国の外交顧問のような役割をしました。

オスマン帝国宮廷とベネツィア大使館の両方に通じて情報をながしていました。

しかしアルヴィーゼがオスマン帝国と親しくすることはヨーロッパ諸国からは歓迎されませんでした。

アルヴィーゼ・グリッティはオスマン帝国とハンガリーとの戦争に同行。モナーハとの戦いのあとには交渉団の一員として参加しています。

1526年。オスマン帝国の援助をうけてジョン・ザポリアがハンガリー王になりました。

1530~1534年。ハンガリーのジョン王の顧問としてハンガリーのブダ市に残り摂政の役目を務めました。

オスマン帝国の一員としてヨーロッパ諸国に挑戦

1531年。アルヴィーゼ・グリッティは自分がイスラム教徒だと宣言しました。ベネツィア共和国はキリスト教徒の国でしたからベネツィア国家元首の息子がイスラム教徒になったという知らせはヨーロッパ諸国に衝撃を与えました。

キリスト教国はイスラム教徒になったアルヴィーゼを憎むようになりました。

アルヴィーゼ・グリッティはオスマン帝国のスパイとして東ヨーロッパ諸国で活動しました。クロアチアではアルヴィーゼの送り込んだスパイが捕まってしまうこともありました。

神聖ローマ帝国はアルヴィーゼの行動を警戒、オスマン帝国に味方してクロアチアやハンガリーを征服しようとしていると考えました。

1534年。オスマン帝国はルーマニアのトランシルヴァニアを治めるためアルヴィーゼ・グリッティを派遣しまいた。アルヴィーゼは二人の息子をモルドバとワラキアの統治者にしようとしました。しかしアルヴィーゼはメジゲの戦いで捕らえられてしまいます。そして息子とともに処刑されました。当時オスマン帝国はペルシャと戦争中だったので報復はできませんでした。

アルヴィーゼが生きている間はオスマン帝国とベネツィアの関係は良好でした。しかしアルヴィーゼの死後、両国の関係は悪化。1537年からのオスマン帝国とベネツィア共和国の戦争に発展します。

ベネツィア共和国元首を父に持っていたアルヴィーゼ・グリッティでしたが。彼自身は非嫡出子のためキリスト教国には受け入れてもらえませんでした。そのことがオスマン帝国に接近して野心を膨らませる原因になったのかもしれません。