セルゲイ・サルトゥイコフはエカテリーナ2世の最初の愛人

セルゲイ・サルトゥイコフはロマノフ朝ロシア帝国の政治家。エカテリーナ2世の最初の愛人と言われます。

パーヴェル1世の父親との噂もあります。

セルゲイ・サルトゥイコフ史実のどんな人だったのか紹介します。

セルゲイ・サルトゥイコフの史実

名前:セルゲイ・ヴァシリエヴィッチ・サルトゥイコフ
   (英:Sergei Vasilievich Saltykov)
   (露:Сергей Васильевич Салтыков)
生年:1726年
没年:1765年
父:ヴァシリー・フェドロヴィッチ・サルトゥイコフ
母:マリヤ・アレクセーヴナ・ゴリツィナ
妻:マトリョーナ・パヴロフナバルク

彼が生きたのは1726~1765年。日本では江戸時代まっただ中。

サルトゥイコフ家はロシアの貴族です。

 セルゲイはロシア軍将校。26歳ごろから宮殿で働きました。

社交的で陽気でハンサムだったセルゲイは、エカテリーナ(後のエカテリーナ2世)がロシアに到着後、最初の愛人になりました。

エカテリーナとセルゲイの関係は宮中でも噂になります。

1752年。セルゲイは一時的に宮廷を離れます。1753年までの1年間モスクワで過ごしました。

1754年。皇太子妃エカテリーナはパーヴェル(後のパーヴェル1世)を出産しました。

公式的にはピョートル3世の子供とされていますが。エカテリーナは回顧録の中でセルゲイがパーヴェルの父ではないかと思わせる記述をしています。実際にはパーヴェルの外観や性格はピョートル3世に非常に似ていました。身長が高くて美形だったセルゲイにはあまり似ていないといわれます。

エカテリーナ2世はパーヴェルを個人的に嫌っていたため、王位を相続する権利がないと酋長したいために愛人の子供に仕立て上げたと考えられています。

しかしエリザヴェータ皇帝はパーヴェルを正式な子供と認めました。

1754年。セルゲイはエリザヴェータ皇帝の命令で使者となりスウェーデンに行きました。セルゲイはストックホルムでアドルフ・フレドリクと面会。ロシア帝国の正式な相続人が誕生したことを伝えました。

1755年。ハンブルグに使者として行きました。そこではセルゲイは本人が想像する以上の盛大なもてなしを受けました。

その後も、パリ、ロシア大使を歴任しました。

1764年以降のセルゲイの記録はありません。その頃に公務を離れたか死亡したようです。