べっぴんさん・大島保のモデル清水雅は阪急百貨店社長

べっぴんさん

ドラマ「べっぴんさん」に登場する大急百貨店社長・大島保(伊武雅刀)。大急百貨店にすみれたちのキアリスを出店させようとします。先見性と広い心を持つ経営者として描かれ、キアリスの発展にも大きく関わる人物です。

大島保のモデルとなったのは阪急百貨店社長・清水雅でした。つまり、大急百貨店のモデルになったのは阪急百貨店なんですね。

清水雅も先見性のある優れた経営者でした。清水雅とはどんな人だったのでしょうか。

 

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 清水 雅とは

 

名 前:清水 雅(しみず まさし)
生 年:明治34年(1901年)
没 年:平成6年(1994年)
父: 清水栄次郎

大阪の実業家清水栄次郎の次男として生まれました。
母の方針で小学生の頃から英語を習っていました。

慶應義塾大学を卒業後はドイツやアメリカへ留学します。

帰国後、銀行への就職が内定しました。ところが、父・栄次郎が阪急電鉄の監査役をしていた縁で小林一三から阪急に来ないかと誘われます。そこで雅は銀行の内定を断って阪急電鉄に就職しました。

阪急電鉄に就職した雅は頭の回転の良さと社交性を発揮して出世していきます。小林一三は雅を高く評価して、秘書として経験を積ませました。

昭和12年(1937)。阪急は中国の天津に百貨店を出すことになりました。雅は天津で百貨店「阪急洋行」の設立に貢献します。

昭和22年(1947)。阪急百貨店の社長になります。このとき、阪急百貨店は阪急電鉄から独立した会社になりました。

昭和25年(1950)。神戸の街を視察していた雅は面白い店を発見します。それがファミリアでした。店内を見た雅は、ファミリアが気に入に入りました。部下の鳥居正一郎にファミリアの商品を仕入れるように命令します。それはファミリアと阪急百貨店の付き合いのはじまりでした。ファミリアの出店後も板野夫妻に助言を与えファミリアを発展にも影響を与えます。

小林一三とその息子がなくなると、雅は阪急百貨店の社長、阪急電鉄会長、東宝社長などを努めました。阪急グループの発展に尽くします。

戦後に起きた労働争議のあと低迷していた東宝を立て直します。映画製作にあたっても阪急グループのイメージを大切にし、暴力・性的描写・政治に関わるようなものは作らせず、家族でも安心して見られる映画を目指しました。東宝中興の祖とも呼ばれます。

昭和52年(1977)に阪急グループを退いた後は、毎日放送の取締役、後楽園スタジアムの取締役となります。

平成6年亡くなります。享年93。

 

 

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