マルコチョール・戦いの最前線に生きる戦士の一族

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オスマン帝国外伝・愛と欲望のハレムに登場するマルコチョール・バリ・ベイは実在の人物です。

ドラマではシーズン2のモハーチの戦いあたりから出演して大活躍。その後、スレイマンの信頼をえて出世します。戦いでは勇敢な一方で、恋に情熱的な人物としても描かれます。

実在のマルコチョールも優秀な軍人であると当時に政治家でした。

ドラマ同様にモハーチの戦いで活躍し、各地の知事を勤めました。もともとマルコチョールの一族は軍人の家系でした。オスマン帝国の領土拡張では最前線先で戦うことが多かったようです。とくにオスマン帝国がバルカン半島を占領する戦いで多くの手柄を立てた一族です。またオスマン帝国が領土にした辺境の地を治める役目も勤めました。

マルコチョールについて紹介します。

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マルコチョールの史実

名前:マルコチョール・バリ・ベイ(Malkoçoğlu Bali Bey)
地位:オスマン帝国軍人
生年:1495年
没年:1555年
父:ヤヤ・パシャ(YahyaPaşa)
子供:メフメット・ベイ(Mehmet Bey)

マルコチョールの一族は世紀のオスマン帝国3代皇帝ムラド1世の時代から仕えていました。とくに14~16世紀の間もに活躍がめだった一族です。

ゲリラ戦のスペシャリスト・アキンジ

マルコチョールの一族はオスマン帝国のアキンジ(軽騎兵)を指揮する一族でした。

アキンジは最前線で戦う非正規の部隊。正規軍が到着する前にゲリラ戦や略奪を行って敵軍を妨害したり戦意を下げる役目です。偵察を行ったり本体を別行動することも多かったようです。

すばやく動くことを目的にしているので常に身軽な装備をしています。ドラマのマルコチョールが鎧を着ずに戦っているのもそのためです。キリスト教国の騎兵は鎧を着込んで動きが遅いためアキンジ相手に大苦戦しました。

アキンジになる人はオスマン帝国が支配下においた部族の人が多かったようです。敵を怖がらせたり、困らせるため目立つ格好をしていることもありました。個性的で派手な衣装を着たり、羽飾りを見に付ける部隊もありました。ヒョウ柄の衣装を着たり角のついた兜をみにつけることもありました。東ヨーロッパでの戦いでは羽を背負った部隊も確認されています。ドラマに登場した背中に羽を背負った部隊もアキンジのひとつです。

アキンジは非正規の部隊なのでオスマン帝国から給料は出ません。略奪や徴収で生計をたてていました。オスマン帝国公認の山賊のようなものです。意外なようですがヨーロッパ諸国では国家公認の海賊や山賊が活動して、敵国への妨害を行っていました。

ヨーロッパ諸国はアキンジを恐れ「狂人たち」と呼びました。

放浪者のように移動しながら戦いを行い時には旅先で恋に落ちるという生き様がトルコではロマンチックなファンタジーとして考えられました。そのためトルコではアキンジは文学や音楽の題材になりました。

放浪の戦士というところでしょうか。

ドラマのマルコチョールが街で出会った女性に熱烈に恋するのもアキンジをあつかったトルコ文学の影響がみられます。

マルコチョールの人生

マルコチョール・バリ・ベイは1495年に生まれました。

マルコチョール一族はセルビア出身。ボスニアあたりでアキンジとして活躍しました。アキンジの中でもリーダー的な一族だったようです。一族の中には手柄を立てて知事や城主になるものもいました。

父もオスマン帝国の軍人で政治家でした。

1521年。オスマン帝国はベオグラードの戦いで勝利しました。オスマン帝国の領土になったベオグラードでマルコチョールは知事を勤めました。

その後、ボスニアの知事を勤めます。

1526年。モハーチの戦いに参戦。

軍隊が川を渡ってモハサ平原に渡れるように短時間で橋を建設しました。モハーチの戦いで功績をあげました。

1541年。ハンガリーにブダン州が設立されました。ブダンは現在のブダペストの西側部分になります。1542年にマルコチョールがブダン州総督になりました。

1555年。ブダンで死亡します。

オスマン帝国がブダペストを支配している間。ブダペスト最大の広場の名前には彼の名前が付けられていました。

彼の息子メフメット・ベイもオスマン帝国に仕えアナトリアの総督などを勤めています。

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