ハイン・アフメド・パシャ:エジプトで反乱を起こして鎮圧される

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アフメド・パシャはオスマン帝国の宰相です。

本人は大宰相に近い地位にいたと思っていました。しかし新参者のイブラヒムが大宰相になったことに腹をたてます。

エジプト総督になった後、反乱をおこしますが鎮圧されます。

反乱が失敗した後、ハイン・アフメド・パシャ=裏切り者アフメド宰相と呼ばれるようになりました。ハインとは裏切り者という意味です。

ハイン・アフメド・パシャについて紹介します。

ハイン・アフメド・パシャの史実

名前:アフメド
地位:オスマン帝国
生年:不明
没年:1524年
父:不明
母:不明

アフメドは出身はグルジア。

デヴシルメ(徴用)でイスタンブルにつれてこられ、エンデルン宮殿の学校で教育をうけました。アフメドというイスラム風の名前もそのときにつけられたものです。

アフメドはセリム1世の時代に役人としてはたらきました。

セリム1世時代の1516年から1517年にはエジプト遠征に参加しました。

スレイマン1世即位後はベオグラードの戦いに参加。その後、ルメリアの知事になりました。その後第3宰相になりました。

1522年。ロードス島攻略作戦に参加。島への上陸作戦を指揮しました。戦いの後はロードス島騎士団との和平交渉も担当しました。

島からもどったあとピリー・メフメド大宰相の退陣工作に協力。

ピリー・メフメド大宰相が引退した後は自分が大宰相になると思っていました。

ところが後任の大宰相になったのはイブラヒムでした。

落胆したアフメドはエジプト総督になることを希望します。その希望は叶えられました。

エジプト総督

1523年。エジプト総督に任命されました。

エジプトはセリム1世の時代にオスマン帝国が占領しました。オスマン領になって時間が立っていないため現地人の不満も残っていました。

アフメドは現地のマメルケ族とベドウィン族と交渉し彼らの協力を得ました。

1524年1月。アフメドはオスマン帝国から独立して自分がエジプトのスルタンだと宣言しました。自分の地位を正当化するために、自分の名前と顔がはいったコインを製造しました。

コインに顔と名前を入れることができるのは皇帝だけです。明らかな反逆でした。

オスマン帝国はイブラヒムに反乱鎮圧を命令。イブラヒムはアヤス・パシャを司令官にして軍を派遣しました。

アフメドは現地の将兵を味方にしてオスマン帝国に対抗しようとします。

ところがカディザデ・メフメド・ベイはオスマン帝国に忠誠を誓います。カディザデ・メフメド・ベイはアフメドが入浴中に捕まえて殺そうとしました。アフメドは怪我をしながらも逃げました。アフメドはベクル族のもとに逃れますが、ベクル族の長はアフメドをカディザデ・メフメド・ベイに引き渡しました。

イブラヒムも反乱鎮圧のためにエジプトに向かいましたが。イブラヒムが到着する前にアフメドは処刑されました。

その後、イブラヒムがエジプト総督になりエジプトを統治します。

反乱を起こしたのでアフメドは「裏切り者アフメド」と呼ばれることになります。

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