オリュンピアス :アレクサンダー大王の母は野心家だった

オリュンピアスはアレクサンドロス3世(アレクサンダー大王)の母親です。

ギリシャのエピロスという国に生まれた王族でした。マケドニア王ピリッポス2世と結婚してアレクサンダー大王を産みます。

彼女はピリッポス2世と不仲になって実家に戻りました。その後ピリッポス2世は暗殺されますが、その黒幕ともいわれます。

息子のアレクサンドロスとは仲はよかったようです。でも息子の遠征中はマケドニアの政治に口を出していたようです。アレクサンドロス3世の死後も後継者争いに加わるなど野心の強い女性でした。

実在したオリュンピアスの生涯を紹介します。

オリュンピアスの史実

名前:オリュンピアス(ギリシャ:Ὀλυμπιάς、英:Olimpias)
 ポリュクセナ→ミュルタレ→オリュンピアス→ストラトニケ
地位:マケドニア王妃
生年: 紀元前375年
没年:紀元前316年、59歳
父: エピロス王ネオプトレモス1世
母:不明
夫: マケドニア王ピリッポス2世
子供:アレクサンドロス3世、クレオパトラ

日本では弥生時代になります。

オリュンピアスは生涯で4つの名前があったといわれます。

 

 

アレクサンドロスが生まれたときにピリッポリス2世の馬がオリュンピア競技で勝ったので「オリュンピアス」に変えたといわれます。
その後、紀元前317年エウリュディケに勝ったときにストラトニケに変えました。

おいたち

ギリシャ北西部の国エピロスの出身。
父はエピロス王ネオプトレモス1世。
オリュンピアスはエピロスの王女でした。最初は「ポリュクセナ」という名前でした。オリュンピアスの一族は古代ギリシャの英雄アキレウスの子孫といわれ、ギリシャでも尊敬を集める名家でした。

結婚する前、彼女はディオニソス教団の信者になり「ミュルタレ」に名前を変えました。ディオニソス教団は秘教集団で女性の信者も多かったといいます。ディオニソスは酒の神ですが、死と再生の神でもあるので信者は蛇を崇拝していると言われることもあります。信者は酒に酔って快楽を味わうことも多かったといいます。

紀元前360年。エピロス王ネオプトレモス1世が死去。ネオプトレモス1世の弟のアリバスがあとを継ぎました。

マケドニア王ピリッポス2世と結婚

紀元前358年。エピロス王国とマケドニア王国は同盟。
紀元前357年。オリュンピアスはマケドニア王ピリッポリス2世と結婚しました。王族の結婚でエピロス王国とマケドニア王国の同盟はさらに強くなりました。

ピリッポリス2世には何人もの妻がいました。オリュンピアスは4番めの妻でした。

紀元前356年。夫ピリッポリス2世の馬がオリュンピア競技で優勝しました。それを記念して「ミュルタレ」と呼ばれていた彼女に「オリュンピアス」の名前が与えられました。

その年の夏に長男アレクサンドロスを出産しました。

紀元前354年か355年に娘のクレオパトラを出産しました。マケドニアのクレオパトラと呼ばれます。

オリュンピアスとピリッポリス2世の結婚生活はうまくいかず、疎遠になります。ピリッポリス2世は移り気な性格で妻も多かったのでオリュンピアスはそれが許せませんでした。ピリッポリス2世には子供も多かったので子どもたちの遺産が減るのを心配していたともいわれます。

紀元前337年にピリッポリス2世は7番目の妻エウリュディケ・クレオパトラと結婚すると、オリュンピアスとピリッポリス2世の中は破滅しました。

オリュンピアスは息子のアレクサンドロスとともに故郷のエピロスに帰りました。娘のクレオパトラはマケドニア王国に残りました。エピロス王国ではオリュンピアスの弟アレクサンドル1世が国王になっていたので弟の宮殿で暮らしました。

紀元前336年。ピリッポリス2世は娘のクレオパトラとエピロス王アレクサンドル1世の結婚を提案。マケドニアとエピロスの絆をさらに強めます。

ピリッポリス2世はアレクサンドル1世の結婚式に出席している間に暗殺されてしまいます。殺したのはピリッポリス2世の護衛をしていたパウニサスでした。パウニサスは逃亡中に殺害されました。ピリッポリス2世の暗殺はアレクサンドルとオリュンピアスが仕組んだものだだといわれています。

息子アレクサンドル3世がマケドニア国王になる

夫ピリッポリス2世の死後、息子のアレクサンドル(3世)がマケドニア王になりました。

オリュンピアスは息子の王座を安泰にするためにエウリュディケ・クレオパトラと彼女の子供を殺害しました。

オリュンピアスはアレクサンドロス3世は大神ゼウスの子だと噂を広め、息子にエジプトのファラオ(王)になるようそそのかしたともいわれます。

マケドニア王になったアレクサンドル3世は遠征を行います。オリュンピアスは息子の遠征中も定期的に連絡をとりました。

オリュンピアスと息子アレクサンドル3世の仲は良かったのですが、アレクサンドル3世は母を政治から遠ざけようとしました。しかしマケドニアに残っているオリュンピアスは政治に関わり続けます。アレクサンドル3世不在のマケドニアで摂政をしていたアンティパトロスとトラブルを起こすこともありました。

紀元前330年。彼女の弟でエピロス国王アレクサンドル1世が遠征中に戦死しました。するとオリュンピアスはエピロスに戻りアイアキデスの摂政になりました。

アレクサンドロス3世死亡後の後継者争い

紀元前323年。息子のアレクサンドロス3世がインド遠征から戻る途中で死亡しました。

アレクサンドロス3世は後継者をはっきりと決めずに死亡したので後継者争いが始まります。

オリュンピアスは最初は争いには関わりませんでした。しかし将軍ポリュペルコンと将軍カッサンドロスが争いがおこります。カッサンドロスはアレキサンドロス3世の異母兄弟アリダイオスがを王位につけました。アリダイオスはピリッポリス3世と名乗ります。

ポリュペルコンはアレキサンドロス3世の死後に生まれたアレキサンドロス4世を王にしようとします。

紀元前317年。オリュンピアスはポリュペルコンに協力。アレクサンドロス4世の後見人になりました。実家のエピロス国王アイアキデスと同盟を結びます。

エピロスを味方にしたオリュンピアスはカッサンドロスがギリシャに遠征に行っている間にピリッポリス3世とその妃エウリュディケ2世と戦い破り戦死させます。さらにカッサンドロスの兄弟と抵抗軍を殺害しました。

オリュンピアスの最期

紀元前316年。ギリシャ遠征から戻ってきたカッサンドロスにピュドナ城を包囲されてしまいます。救援に来たエピロス国王アイアキデスはカッサンドロスに敗れてしまいます。ポリュペルコンの兵士もカッサンドロスに買収されてしまいます。孤立無援になったオリュンピアスはカッサンドロスに捕まります。カッサンドロスは兵士にオリュンピアスの処刑を命じましたが、兵士たちはアレキサンドロス3世の母親の殺害を拒否しました。そこでカッサンドロスはオリュンピアスの犠牲になった人たちの遺族を呼んできて石を投げさせオリュンピアスを殺害させました。