真田家

真田家

真田信之(4)松代藩時代

関ヶ原の戦いの後、上田藩を収めることになった真田信之。 父・真田昌幸、弟・真田信繁(幸村)の影に隠れて現代人には知名度の低い人物ですが、意外と長生きしています。生き残ったがゆえの苦労もありました。ここでは、松代藩に写って以降の信之について...
真田家

真田 大助 幸昌・大阪城で果てた真田信繁の息子

真田信繁の息子で唯一、最後まで信繁と行動を共にした大助。 正式な名は、真田 幸昌。大助は通称です。大坂の陣では若くして亡くなりました。16歳とも13歳ともいわれます。 講談では真田幸村の息子・真田大助として強烈な印象を残し様々な逸話を残...
真田家

真田昌幸・信繁親子に付き従って九度山に来た家臣達

関ケ原の戦いのあと、真田昌幸・信繁親子は高野山に追放となります。 そのとき付き従った家臣は16人でした。 信繁の家族も付き従ったといいます。 16人いた家臣たちは昌幸の死後13人が上田に戻ってしまいます。彼らは裏切ったのでしょうか?...
スポンサーリンク
真田家

青柳清庵と三井仁左衛門・真田信繁に最後まで従った武将達

真田昌幸の死後、一周忌を過ぎると13人の家臣が上田に戻りました。 信繁のもとに残ったのは3人だったといいます。 高野山蓮華定院書上によると残った家臣は以下の3人です。 青柳千弥 三井豊前 高梨采女 高梨内記については昌...
真田家

真田信繁 伝説となった大坂の陣

高野山九度山村で蟄居している真田信繁のもとに大坂からの使者が来ました。 豊臣秀頼の使者だといいます。徳川家康と戦う決心をした豊臣秀頼のため、参戦を求めているのでした。 九度山で朽ち果てると思っていた信繁にとっては、絶好のチャンスだった...
真田家

真田昌幸4・第二次上田合戦から最後まで

慶長3年8月18日(1598年)豊臣秀吉が死去が真田家の運命を分けます。 慶長4年(1599年)、豊臣秀頼が大坂城に入り、徳川家康が伏見の屋敷に入りました。 真田昌幸・信繁親子は伏見に残り家康に従っていました。 信幸は上田城に残...
真田家

真田信政・信之と小松姫の息子

真田信之と小松姫との間には二人の息子がいます。 信政は信之の次男、信重は三男です。 大坂の陣では信政は長男・信吉とともに出陣しました。 その後、支藩の藩主を務め父・信之隠居後は松代藩主になります。 子供が多い割りに、後継者に恵まれ...
真田家

真田信吉・信之と清音院(こう)の息子

真田信之の息子、真田信吉(のぶよし)。 信之と清音院(ドラマ真田丸では こう)との間に生まれました。 大坂の陣では病気で出陣できない父・信之のかわりに出陣。 叔父・真田信繁とも対面しました。 信之が沼田から上田に居城を移...
5.3 戦国の女性

お田(なほ)・真田信繁の娘は大名の母

真田信繁(幸村)の娘・お田。 信繁が九度山で過ごしていたときに生まれました。 敗軍の将の娘として逃げ隠れする生活から捕らわれの身へ、 やがて大名家へ嫁ぎ、息子は大名となります。 名君となる息子を育てた母としても知られます。 お...
真田家

河原綱家とはどんな人

真田家重臣・河原綱家。あまり有名ではありませんんが。真田家にとっても重要な家臣です。昌幸時代にはときどき名前がでてきます。昌幸に歯を折られたかと思えば、渋い活躍をしたり。地道に真田家を支えた河原綱家とはどんな人物だったのでしょうか。河原綱家...
5.3 戦国の女性

小松姫(稲姫)・真田家を守った才女の鬼嫁伝説

真田信幸と結婚した小松姫。 関ヶ原の戦いが真田家を二つに分けてしまいます。 小松姫と結婚した信幸は家康に味方することになりました。 父・昌幸は敵対することになりました。 猛将・本多忠勝を父に持つ小松姫は。 その性格はかなり強...
真田家

真田信綱・昌幸の兄は勇敢な武将だった

真田家当主、真田昌幸には兄がいました。 でも、本当は兄の信綱が真田家の当主でした。 戦で討死したため、弟の昌幸が継いだのですね。 真田信綱は武田二十四将の一人。 勇敢な武将で、信玄からも期待されていたといわれます。 信綱の娘は...
真田家

真田信之(3)上田藩時代

関ヶ原の戦いで徳川家康に味方した真田信幸。 西軍についた父・昌幸と弟・信繁は九度山で幽閉されました。 信幸は真田家の領地9万石を引き継ぎ。 上田藩9万石の大名となったのでした。 名前も、父から授かった信幸の名を信之に変えました。 ...
5.3 戦国の女性

竹林院(お春)・真田信繁の正室とは

真田信繁の正室は竹林院。 少なくとも4人いた信繁の妻の中で最も身分が高く、嫡男を生んだことから。 信繁の正室だとされています。 過去の真田幸村の登場する物語でも竹林院が幸村の妻となっています。 信繁の息子・真田大助の母ですね。 ...
5.3 戦国の女性

真田信繁の妻は何人?

真田信繁にはわかっているだけで4人の妻がいました。 信繁の直系は絶えたので、 どのような女性だったのか詳しい資料は残っていませんが。 断片的に残る資料から、信繁の妻達をまとめてみました。 信繁の妻たち ()内はNHK大河ド...
5.1 その他の戦国武将

真田信之(2)・関ヶ原から上田藩城主へ

慶長3年8月18日(1598年)豊臣秀吉の死去で始まる その後の混乱が真田家の運命を変えることになります。 真田信幸(信之)は、父・昌幸や弟・信繁との決別を迫られてしまいます。 それまで父に従っていた信幸は、自らが考え家臣たちを率い...
5.1 その他の戦国武将

真田昌幸・徳川との対立と秀吉の死まで

武田家の滅亡後、織田家に従った真田昌幸。しかし、わずか4ヵ月後に本能寺の変が起きて織田家も当てにならない。そこで、紆余曲折の末徳川家に従いました。徳川家に従ったものの、北条と和睦した徳川家康は沼田を北条に渡すように求めて来ました。真田家とし...
真田家

真田信繁の子供達

真田信繁にはたくさんの子供がいました。 その多くは九度山で生活中に生まれています。 信繁の子供についてはさまざまな説があり。資料によって違ってたりもします。 今の時点で分かる範囲でまとめてみました。 真田信繁の子供達 長女・お...
真田家

信繁が姉・村松殿にあてた手紙

真田信繁の姉、村松殿(松)は弟たちからも慕われる存在だったことはお話しました。兄弟でたびたび手紙のやりとりをおこなっています。参考記事:村松殿(松) 信幸・信繁の姉はどんな人?信繁は豊臣秀頼に招かれて大阪城に入った後も、姉・村松殿や姉の夫・...
5.1 その他の戦国武将

矢沢三十郎頼康とはどんな人

常に真田信繁に仕える矢沢三十郎頼康(やざわ さんじゅうろう よりやす)。 関ヶ原までは信繁に仕えることが多く、ドラマ「真田丸」でも登場する回数も多りそうですね。 ドラマでは信繁と同年代の武将みたいに見えます。 実は歳は離れてます。(と...
スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました