戦国の女性小野お通・真田信之とかかわりの深い謎多き才女 小野お通は江戸時代初期の女性。 文芸に優れた才女ですが、真田信之とのかかわりで注目されることも多い人です。 信之の愛人だったとか、側室だったとか言われることもあります。 でも、名前が知られているわりに詳しいことがわかっていない謎の多い女性で...2016.09.12戦国の女性
豊臣家大野治長・最後まで豊臣家に忠義を尽くし大阪城に散る 大坂夏の陣で豊臣方を指揮した武将。大野治長。 淀殿と仲がいいとか、治長のせいで大坂の陣に負けたとかさんざん言われてますが、そんなに無能な武将だったのでしょうか。あげくのはてには秀頼の父親説までとびだして。ゴシップネタにされてる治長。 せっか...2016.09.09豊臣家
豊臣家毛利勝永・幸村の突撃を演出した大坂夏の陣影の主役 毛利勝永(もうり かつなが)は大阪の陣で最後まで戦った武将。 真田幸村(信繁)や後藤又兵衛と比べると知名度は低いかもしれません。 江戸時代から太平洋戦争が終わるまではもっと有名だったようですよ。 でも現代の作家はなぜかあまり取り上げないんで...2016.09.02豊臣家
真田家真田信繁 伝説となった大坂の陣 高野山九度山村で蟄居している真田信繁のもとに大坂からの使者が来ました。 豊臣秀頼の使者だといいます。徳川家康と戦う決心をした豊臣秀頼のため、参戦を求めているのでした。 九度山で朽ち果てると思っていた信繁にとっては、絶好のチャンスだったでしょ...2016.09.01真田家
真田家真田昌幸4・第二次上田合戦から最後まで 慶長3年8月18日(1598年)豊臣秀吉が死去が真田家の運命を分けます。 慶長4年(1599年)、豊臣秀頼が大坂城に入り、徳川家康が伏見の屋敷に入りました。 真田昌幸・信繁親子は伏見に残り家康に従っていました。 信幸は上田城に残っています。...2016.08.30真田家
豊臣家後藤又兵衛基次、大坂の陣・道明寺で孤軍奮闘し散る 大坂の陣で活躍した後藤又兵衛。真田幸村(信繁)とともに戦い、大坂方でももっとも有名な武将の一人です。でも大阪の陣以前の又兵衛についてはわかっていない部分も多く。有名なわりに謎の多い武将です。大阪冬の陣、夏の陣ともに前線に立ち幕府軍と戦いまし...2016.08.29豊臣家
豊臣家宇喜多秀家・関ケ原で西軍の主力となった反家康の中心勢力 宇喜多秀家は五大老の一人。 関ケ原の戦いで奮戦するも破れました。 宇喜多家というと、宇喜多直家を思い出す人もいるかもしれませんが。 主君の家を乗っ取った直家と違い、 裏切者が続出する関ケ原の戦いでも豊臣家に忠義を尽くしました。 関ケ原の戦い...2016.08.15豊臣家
史跡名勝瑞泉寺・豊臣秀次と妻子の眠る寺 大勢の観光客でにぎわう京都の町中で、ひっそりとたたずむお寺があります。 瑞泉寺(ずいせんじ)。悲劇の死をとげた豊臣秀次とその家族を供養するために建てられたお寺です。瑞泉寺に行ってきました。瑞泉寺の由緒秀吉の十三回忌を前に方広寺大仏殿の再建が...2016.07.17史跡名勝
史跡名勝伏見城・秀吉の築いた知られざる日本の中心地 京都市伏見区にある伏見城は豊臣秀吉隠居の城。歴史の教科書で”安土桃山時代”を習った人も多いと思いますが、”桃山”の由来となった場所でもあるのです。今は伏見城の建物は残っていませんが。その面影をしることはできます。伏見城は三つあった一口に伏見...2016.06.28史跡名勝
豊臣家小早川秀秋・関ヶ原の戦いを決定付けた裏切りとその代償 関ヶ原の合戦で徳川家康に寝返った小早川秀秋。 石田三成ら西軍が関ヶ原の戦いで負ける原因になったといわれることもあります。 裏切り者呼ばわりされることの多い武将ですが。 本来なら豊臣家の次の世代を担う一員になったかもしれない人物です。 どんな...2016.06.17豊臣家
豊臣家豊臣秀頼・家康が最後まで恐れた男は大坂城と共に滅んだ 大坂の陣で亡くなった豊臣秀頼。 一般的には豊臣秀吉の後継者となりながら、母親のいいなりになってる無能で頼りない人物っていわれてます。 有名な人物のわりに資料も少なくて、いまだに研究が進んでないんですね。江戸時代に書かれた資料は徳川の視点で作...2016.06.13豊臣家
関連グッズ大河ドラマ真田丸ブルーレイ第壱集発売 2015年NHK大河ドラマ真田丸。ブルーレイ”真田丸 完全版 第壱集” が発売されます。総集編ではなくて、一話ずつが収められた完全版です。 さすがに全ては治まらないので、 第壱集には1話から12話までが収録されます。武田家滅亡から、上田城を...2016.06.06関連グッズ
北条家猪俣邦憲・名胡桃城の首謀者は真田と因縁の相手 豊臣秀吉が北条氏を攻めるきっかけとなったのが名胡桃城事件。 真田氏の城だった名胡桃城(なぐるみじょう)を、北条氏が奪い取ってしまったのです。 その事件を起こしたのが猪俣邦憲(いのまたよしのり)。 でもそれ以前から、猪俣邦憲と真田氏との間には...2016.05.26北条家
真田家真田信政・信之と小松姫の息子 真田信之と小松姫との間には二人の息子がいます。 信政は信之の次男、信重は三男です。 大坂の陣では信政は長男・信吉とともに出陣しました。 その後、支藩の藩主を務め父・信之隠居後は松代藩主になります。 子供が多い割りに、後継者に恵まれないという...2016.05.24真田家
真田家真田信吉・信之と清音院(こう)の息子 真田信之の息子、真田信吉(のぶよし)。 信之と清音院(ドラマ真田丸では こう)との間に生まれました。 大坂の陣では病気で出陣できない父・信之のかわりに出陣。 叔父・真田信繁とも対面しました。 信之が沼田から上田に居城を移すと、 あとを継いで...2016.05.22真田家
豊臣家豊臣秀次はなぜ死んだ?秀吉はなぜ秀次を亡き者にしたのか 豊臣秀次はなぜ切腹したのでしょうか。秀次が謀反を企てたというのが秀次切腹の表向きの理由となっています。 でも当時から秀次謀反は信じがたいこととして言われていたようです。 本当に謀反であれば、切腹ではなく斬首か極刑となるはずですよね。 処分す...2016.05.21豊臣家
豊臣家豊臣秀次2 秀頼の誕生が死を早めた悲劇の関白 子供のいない豊臣秀吉から関白の座を譲られた豊臣秀次。 関白になるまでの秀次の前半生はこちらを御覧ください。 ・豊臣秀次・秀吉の後継者なのに暴君・無能は濡れ衣? 京の都では公家の付き合いもこなし、 国内のまつりごとをおこない。 無難に治めてい...2016.05.20豊臣家
戦国の女性お田(なほ)・真田信繁の娘は大名の母 真田信繁(幸村)の娘・お田。 信繁が九度山で過ごしていたときに生まれました。 敗軍の将の娘として逃げ隠れする生活から捕らわれの身へ、 やがて大名家へ嫁ぎ、息子は大名となります。 名君となる息子を育てた母としても知られます。 お田とはどんな女...2016.05.19戦国の女性真田家
真田家河原綱家とはどんな人 真田家重臣・河原綱家。あまり有名ではありませんんが。真田家にとっても重要な家臣です。昌幸時代にはときどき名前がでてきます。昌幸に歯を折られたかと思えば、渋い活躍をしたり。地道に真田家を支えた河原綱家とはどんな人物だったのでしょうか。河原綱家...2016.05.10真田家
徳川家本多忠勝・徳川最強の男 徳川家康の家臣の中でも武勇に秀でた本多忠勝。徳川四天王の一人といわれ。戦場で目覚しい活躍をみせました。その活躍は武田方の武将や織田信長・豊臣秀吉からも賞賛されたといいます。豪快な性格の一方で武勇に優れた人物を尊敬し、敵でも敬意をはらう一面も...2016.05.10徳川家