小野お通・真田信之とかかわりの深い謎多き才女

真田家

小野お通は江戸時代初期の女性。
文芸に優れた才女ですが、真田信之とのかかわりで注目されることも多い人です。
信之の愛人だったとか、側室だったとか言われることもあります。

でも、名前が知られているわりに詳しいことがわかっていない謎の多い女性です。

小野お通とはどんな人だったのでしょうか。

 

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小野お通とは

いつどこで生まれたかは諸説あってよくわかっていません。

永禄10年(1568年)に生まれたといわれています。

美濃国の地侍・小野正秀の娘だといいます。斉藤道三の家臣だったといわれますが、道三亡き後、浅井長政に仕えたといわれます。浅井家滅亡後は織田信長に仕え本能寺で討ち死にしたそうです。

お通は母とともに九条稙通に匿われ、和歌や学問を学んだといいます。
また、近衛信尹の家来・渡瀬羽林と再婚したとも言われこのとき娘を産んでいます。

また別の説では美作国押入下村の岸本彦兵衛の娘という説もあります。

豊臣秀吉、高台院に仕えたとする説もあります。高台院の侍女の教育を任されていたともいわれます。ドラマ真田丸では高台院に仕えた説を採用するようですね。

結局のところ、謎が多くて実際にどんな出自でどんな人生だったのかわかりません。

公家の近衛信尹に書を習ったといわれています。近衛信尹は書道の達人で、寛永の三筆と言われるほどの人でした。

お通の作品として現代に伝わるものは醍醐花見短籍、歌仙手鑑、柿本人丸画像や達磨図などがあります。かなり教養のある人だったのは確かなようですね。

お墓が真田家ゆかりの寺に

お通のお墓は真田家ゆかりの広徳寺 (練馬区)にあります。でも広徳寺は真田家だけの寺じゃなくて、徳川家が再建し当時の前田家、立花家、大和織田家、柳生家など有名大名が檀家になった大きなお寺です。確かに大名家との縁でもなければここに墓は立てられないかもしれません。

江戸時時代には有名人だった

江戸時代には浄瑠璃の始まりといわれる「十二段草子」の作者と言われていました。十二段草子はお通の時代よりも古い15世紀にできていましたので実際には違うようです。でも江戸時代の人でもお通の名を持ち出して権威づけようとしたくらいお通は有名人だったようです。

 

信之との関係は?

お通は真田信之の愛人ではないかという説があります。

小松姫は晩年に「そろそろ京の人を迎えてはどうですか?」と語ったとされます。つまり、今日の人を側室にしてはどうかと進めたわけですが。この「京の人」がお通だというのです。

結局はお通は信之の側室にはなりませんでした。

お通が信之の愛人だったかはわかりません。面識があったのは確かなようで、何度か会ってるようです。

 

娘が信之の息子の側室になった

その縁のためか娘の宗鑑尼が信之の次男・信政の側室となっています。
宗鑑尼は信就を産んだといわれます。

 

大河ドラマでのいきさつは

ドラマでは高台院に仕えるお通が、父や弟を助けるべく高台院のもとを訪れる信之と知り合うようです。やがて信之の苦労を知り相談相手のようは存在になるようです。

 

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大河ドラマ真田丸での配役は八木亜希子さん

 

ドラマで演じるのは元フジテレビフリーアナウンサーの八木亜希子さん。

大河ドラマ初出演です。
舞台にもたびたび出演出演してますが、脚本の三谷幸喜氏の以来だそうです。
小野お通と言えば、謎は多いですが才女のイメージがあります。八木亜希子さんにはピッタリな役かもしれませんね。

 

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