真田丸があった場所には諸説あって、候補地は幾つかあります。
現在は明星学園一帯が有力な候補地ですが、三光神社や真田山公園も真田丸のあった場所ではないかといわれてきました。
今回、三光神社・宰相山に行ってきました。
三光神社
長年、真田丸の候補地として名前の上っていた三光神社周辺。宰相山という地名が残っており何やら戦国の雰囲気を残してます。
下の図で真田丸?と書いてるのが明星中学校周辺。
三光神社と書いてあるあたりが今回訪れる宰相山と三光神社です。
大阪市営地下鉄・長堀鶴見緑地線の玉造で下車。
JR大坂環状線・玉造駅でも行けます。
地下鉄・玉造駅の2番出口からだとすぐ目の前ですね。
看板が出てました。これを見て位置を確認します。
この地図で宰相山公園と書いてあるあたりを目指します。
三光神社にしっかりと、真田幸村像、真田の抜け穴跡と書かれています。
住宅街を進むと、鳥居が見えてきました。
小高い丘になってるみたいですね。
石段を上ってしばらく歩くと神社の本殿がありました。
まずは神社にお参りします。反正天皇の時代に創建されたという歴史のある神社です。ということは5世紀ごろ?太平洋戦争でこのあたり一帯は被災したので現在の社殿は太平洋戦争のあと再建されたものです。
かつては姫山神社と言ったそうです。
この神社のある小さな丘が宰相山とか真田山と言われる地帯。ここが真田丸の跡地のひとつといわれています。
なんで宰相山というのか幾つか説があります。
・加賀宰相・前田利常の軍が陣を置いたからだという説。
・真田山だったのがいつの間にか宰相山になってしまったという説。
岩山に穴が開いてます。ここが真田の抜け穴跡といわれるところ。
伝説では真田幸村が穴を掘って大坂城につながる通路にしたことになってます。
古墳に見えなくもないですが。コンクリで修理されてるのでどこまでが当時からあったのかよくわかりません。名古屋大学の千田教授の説では、前田軍が真田丸を攻めるために塹壕を掘った跡ではないかということです。
付近には真田幸村公の像があります。
大坂夏の陣の屏風に描かれた姿をもとに作られてるようです。
上町台地の東の端?
宰相山の東側は絶壁になってます。
このあたりは大阪平野を南北に横たわる上町台地の端っこにあたる部分。上町大地の北の端が大坂城。宰相山付近は東の端になります。今は石垣で整備されていますが、昔はここが断崖だったようです。低い部分は湿地や畠だったといわれます。
この山はいったい何?真田丸?前田軍陣地?
この小高い丘が何なのかはいろいろ説があります。
一般的に言われているのは、宰相山という名前なので加賀宰相・前田利常の陣があったという説。しかし前田の陣はもっと南側にありました。12月4から行われた真田丸の戦いで幕府軍は大苦戦します。その後、幕府軍は突撃をやめて各地に築山(鉄砲陣地)を作り大坂冬の陣は射撃戦中心の消耗戦に突入します。
このあたりも築山のひとつという説があります。前田軍が担当した築山だったのかもしれません。
また、大阪歴史博物館の大澤氏らは明星中学校付近が真田丸の本体。宰相山付近は真田丸に付随する陣地だったという説を主張しています。
いずれにしろ、ここが真田丸本体という説は覆されつつあるようです。
でも地元ではすっかり真田丸そのものの扱いを受けてる様子です。
本当のところはわかりませんが、このあたりは大坂城や大坂の陣にまつわる場所が多く歴史好きにはたまらない場所です。
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