八重姫(伊東八重)は 源頼朝の最初の妻だった?

伊東氏

八重姫は平安時代末期の女性。

伊豆国の豪族・伊東祐親(いとう すけちか)の娘です。

源頼朝が北条政子と結婚する前に付き合っていた女性です。

頼朝の最初の妻とも言われます。

八重と頼朝の間には千鶴という子供がいたとされます。

八重姫は「曽我物語」などの物語に登場する人物。八重姫の存在を証明する確かな資料はありません。でも父伊東祐親と源頼朝の間に何らかのトラブルがあったことは幕府の記録にも書かれています。

鎌倉幕府は頼朝の女性問題を消してしまったのでしょうか。

「吾妻鑑」は北条氏の立場で書かれています。北条氏としては北条政子より前に頼朝に妻がいたのは認めたくなかったのかもしれません。

源頼朝の最初の妻・八重姫について紹介します。

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「曽我物語」の八重姫

源頼朝は14歳で伊豆国へ流罪になりました。

伊豆の豪族・伊東祐親は平氏の家来。祐親は源頼朝の監視を任されていました。

伊東祐親には何人か子供がいました。

伊東祐親は大番役の役目をうけて京都に向かいました。

父が留守の間、三女の八重は頼朝と恋仲になってしまいます。二人の間には千鶴という男子が生まれました。

子供の名前は千鶴御前とも千鶴丸ともいいます。

千鶴が3歳になったとき。大番役を終えて祐親が京から戻ってきました。ところが自分のいない間に二人が恋仲になり子供まで生まれたことを知り、
「親の知らない婿がいるか。今の世に源氏の流人を婿に取るくらいなら、娘を乞食に娶らせる方がましだ。平家から咎められたらどうするのだ」と激怒。

平家から処罰を受けるのを恐れて家人に命じて千鶴を轟ヶ淵に柴漬(柴で包んで縛り上げ、重りをつけて水底に沈める処刑法)にして殺害しました。

頼朝のもとに嫁いでいた娘の八重を取り返して同国の住人・江間の小四郎に嫁がせました。

そして伊東祐親は頼朝を討つため、手下を差し向けました。祐親の次男・祐清が頼朝に知らせてしまい、頼朝は逃げてしまいます。

祐清は頼朝の乳母・比企尼の三女を妻にしていて、頼朝とも仲がよかったのです。頼朝は祐清の烏帽子親・北条時政の邸に匿われました。

時政の下で暮らすようになった頼朝はやがて時政の長女・政子と結婚します。

頼朝と別れた後の八重姫については諸説あります。

入水自殺したとも、北条氏や千葉氏と縁を結んだなど様々なバリエーションがあります。

再婚相手の江間次郎

八重は江間次郎という人物と再婚したという話もあります。

江間次郎の死後。江間家は断絶。江間の領地は没収され、後に北条義時が領地を譲り受けました。
北条義時が江間を領地にしたころ「江間四郎あるいは江間小四郎」と名乗っていたので。八重が北条義時と再婚したと言われることもありますが。

八重は北条義時とは再婚していません。

 

地元の伝承

静岡県伊豆の国市に伝わる伝承によると。

伊東祐親の四女・八重姫は源頼朝と結婚。息子の「千鶴丸」が生まれました。ところが平家を恐れる伊東祐親によって千鶴丸は殺害されてしまいます。

八重姫は頼朝と離され家で悶々とした日々をおくっていました。

治承4年7月16日。八重姫は侍女6人とともに屋敷を出て北条時政の屋敷に向かいました。源頼朝は北条家が匿っているからです。

源頼朝に会いたい一心で北条時政の屋敷の門をたたく八重姫でしたが、会わせてもらえず、門前払いをうけてしまいます。そのとき頼朝はすでに政子と結婚していたのでした。

絶望した八重姫は真珠ケ淵に身を投げて命を断ってしまいます。

伊豆の国市には八重姫を祀った真珠院があります。
伊東市音無町には頼朝と八重姫が逢瀬を重ねたという音無の森の音無神社。
八重姫が千鶴丸を祀ったとされる最誓寺などがあります。
八重姫は伝承の中に息づいています。

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源頼朝と伊東祐親の間にトラブルがあったのは確か

鎌倉幕府が編纂した史料には、直接八重姫の名前が出てくるものはありません。でも伊東祐親と源頼朝との間にトラブルがあったことは確かです。

鎌倉幕府の記録「吾妻鏡」にもその記録が残っています。

安元元年(1175年)の9月頃。伊東祐親が源頼朝を殺害しようとしました。このとき祐親の次男・祐清がそのことを頼朝に知らせて頼朝が走湯権現に逃れました。

治承4年(1180年)。源頼朝が挙兵。

その後、伊東祐親と祐清は頼朝に捕らえられました。二人は命は助けると言われましたが。祐親は「以前の行いを恥」として自害しました。祐清は釈放され、平家と合流。北陸で戦って討ち死にしました。

源頼朝と伊東祐親の間に因縁があったことは確かです。でもそれが何なのかは幕府の記録にはありません。

伝承のように勝手に娘と結婚して子供をもうけたことなのか。それとも別の理由なのkかはわりません。

頼朝と八重の結婚が本当だったとして。伊東祐親が怒った理由は他にも考えられます。

伊東祐親は二人の仲を認めていたけれども、頼朝が北条政子と結婚しようとしたので怒った等。これは想像にすぎませんが、いくつかのパターンが考えられそうです。

 

ドラマの八重

平清盛    2012年 NHK大河ドラマ 演:福田沙紀
鎌倉殿の13人 2022年 NHK大河ドラマ 演:新垣結衣

 

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