文也

豊臣家

木村重成・大坂の陣で散った美しき若武者

木村重成は大坂の陣で活躍した武将です。 幼いころから豊臣秀頼に仕え、秀頼の信頼も厚かったといいます。武芸や礼儀作法に長けた美しい若武者だったといいます。 大坂の陣では若いながらも活躍しました。 最後は夏の陣で幕府軍と戦い討ち死にしてしまいま...
6. 江戸時代

村松 三太夫 高直・高齢の父を追った赤穂義士

村松 三太夫は吉良邸に討ち入った赤穂四十七士の一人です。 生きて母に孝行しろと言われながらも、父を追いかけて赤穂に行き、討ち入りのメンバーに加わります。 討ち入りでは高齢だった父の分まで働くと意気込み、裏門から一番に突入し、屋敷内で奮戦した...
6. 江戸時代

礒貝十郎左衛門正久・内匠頭の側近は美青年の赤穂浪士

礒貝十郎左衛門は吉良邸に討ち入った赤穂四十七士の一人です。美青年だったという話が伝わっており、浅野内匠頭のお気に入りの小姓でした。 匠頭切腹後、すぐに仇討ちを主張した一人です。赤穂浪士のなかでも最も過激な報復を主張するグループの一員で、独自...
真田家

真田 大助 幸昌・大阪城で果てた真田信繁の息子

真田信繁の息子で唯一、最後まで信繁と行動を共にした大助。 正式な名は、真田 幸昌。大助は通称です。大坂の陣では若くして亡くなりました。16歳とも13歳ともいわれます。 講談では真田幸村の息子・真田大助として強烈な印象を残し様々な逸話を残して...
真田家

真田昌幸・信繁親子に付き従って九度山に来た家臣達

関ケ原の戦いのあと、真田昌幸・信繁親子は高野山に追放となります。 そのとき付き従った家臣は16人でした。 信繁の家族も付き従ったといいます。 16人いた家臣たちは昌幸の死後13人が上田に戻ってしまいます。彼らは裏切ったのでしょうか?それとも...
関連グッズ

真田丸 第弐集 ブルーレイ・DVD 10月発売  

2015年NHK大河ドラマ真田丸。 ブルーレイ”真田丸 完全版 第壱集” が発売されます。 総集編ではなくて、一話ずつが収められた完全版です。 第弐集には13話「決戦」から24話「滅亡」までが収録されます。 第一次上田合戦から、小田原北条氏...
徳川家

月光院(お喜世の方)・7代将軍生母

月光院といえば、大奥で天英院のライバルだった女性です。 江戸幕府6第将軍・徳川家宣の側室。町民から家宣の屋敷に仕えやがて大奥に入り第7代将軍・徳川家継の生母となります。 数ある大奥の逸話の中でも天英院派対月光院派の対立は特に有名なんじゃない...
歴史の雑学

天皇・上皇・法王ってどう違うの?意外と知らない呼び方

天皇陛下の生前譲位の話がもちあがりました。 そこで今注目されているのが「上皇」という呼び方。 そもそも、天皇と上皇ってどう違うんでしょうか? 歴史では法皇って人もいたけど。上皇と何が違うの? ちょっとややこしい天皇の呼び方についてお話ししま...
真田家

青柳清庵と三井仁左衛門・真田信繁に最後まで従った武将達

真田昌幸の死後、一周忌を過ぎると13人の家臣が上田に戻りました。 信繁のもとに残ったのは3人だったといいます。 高野山蓮華定院書上によると残った家臣は以下の3人です。 青柳千弥 三井豊前 高梨采女 高梨内記については昌幸・信繁に従った重臣で...
戦国の女性

小野お通・真田信之とかかわりの深い謎多き才女

小野お通は江戸時代初期の女性。 文芸に優れた才女ですが、真田信之とのかかわりで注目されることも多い人です。 信之の愛人だったとか、側室だったとか言われることもあります。 でも、名前が知られているわりに詳しいことがわかっていない謎の多い女性で...
豊臣家

大野治長・最後まで豊臣家に忠義を尽くし大阪城に散る

大坂夏の陣で豊臣方を指揮した武将。大野治長。 淀殿と仲がいいとか、治長のせいで大坂の陣に負けたとかさんざん言われてますが、そんなに無能な武将だったのでしょうか。あげくのはてには秀頼の父親説までとびだして。ゴシップネタにされてる治長。 せっか...
豊臣家

毛利勝永・幸村の突撃を演出した大坂夏の陣影の主役

毛利勝永(もうり かつなが)は大阪の陣で最後まで戦った武将。 真田幸村(信繁)や後藤又兵衛と比べると知名度は低いかもしれません。 江戸時代から太平洋戦争が終わるまではもっと有名だったようですよ。 でも現代の作家はなぜかあまり取り上げないんで...
真田家

真田信繁 伝説となった大坂の陣

高野山九度山村で蟄居している真田信繁のもとに大坂からの使者が来ました。 豊臣秀頼の使者だといいます。徳川家康と戦う決心をした豊臣秀頼のため、参戦を求めているのでした。 九度山で朽ち果てると思っていた信繁にとっては、絶好のチャンスだったでしょ...
真田家

真田昌幸4・第二次上田合戦から最後まで

慶長3年8月18日(1598年)豊臣秀吉が死去が真田家の運命を分けます。 慶長4年(1599年)、豊臣秀頼が大坂城に入り、徳川家康が伏見の屋敷に入りました。 真田昌幸・信繁親子は伏見に残り家康に従っていました。 信幸は上田城に残っています。...
豊臣家

後藤又兵衛基次、大坂の陣・道明寺で孤軍奮闘し散る

大坂の陣で活躍した後藤又兵衛。真田幸村(信繁)とともに戦い、大坂方でももっとも有名な武将の一人です。でも大阪の陣以前の又兵衛についてはわかっていない部分も多く。有名なわりに謎の多い武将です。大阪冬の陣、夏の陣ともに前線に立ち幕府軍と戦いまし...
豊臣家

宇喜多秀家・関ケ原で西軍の主力となった反家康の中心勢力

宇喜多秀家は五大老の一人。 関ケ原の戦いで奮戦するも破れました。 宇喜多家というと、宇喜多直家を思い出す人もいるかもしれませんが。 主君の家を乗っ取った直家と違い、 裏切者が続出する関ケ原の戦いでも豊臣家に忠義を尽くしました。 関ケ原の戦い...
史跡名勝

瑞泉寺・豊臣秀次と妻子の眠る寺

大勢の観光客でにぎわう京都の町中で、ひっそりとたたずむお寺があります。 瑞泉寺(ずいせんじ)。悲劇の死をとげた豊臣秀次とその家族を供養するために建てられたお寺です。瑞泉寺に行ってきました。瑞泉寺の由緒秀吉の十三回忌を前に方広寺大仏殿の再建が...
史跡名勝

伏見城・秀吉の築いた知られざる日本の中心地

京都市伏見区にある伏見城は豊臣秀吉隠居の城。歴史の教科書で”安土桃山時代”を習った人も多いと思いますが、”桃山”の由来となった場所でもあるのです。今は伏見城の建物は残っていませんが。その面影をしることはできます。伏見城は三つあった一口に伏見...
豊臣家

小早川秀秋・関ヶ原の戦いを決定付けた裏切りとその代償

関ヶ原の合戦で徳川家康に寝返った小早川秀秋。 石田三成ら西軍が関ヶ原の戦いで負ける原因になったといわれることもあります。 裏切り者呼ばわりされることの多い武将ですが。 本来なら豊臣家の次の世代を担う一員になったかもしれない人物です。 どんな...
豊臣家

豊臣秀頼・家康が最後まで恐れた男は大坂城と共に滅んだ

大坂の陣で亡くなった豊臣秀頼。 一般的には豊臣秀吉の後継者となりながら、母親のいいなりになってる無能で頼りない人物っていわれてます。 有名な人物のわりに資料も少なくて、いまだに研究が進んでないんですね。江戸時代に書かれた資料は徳川の視点で作...
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