お田鶴(椿姫)・引間城を守り徳川家康と戦った女城主

今川

お田鶴の方(おたづのかた)は戦国時代の女性。

椿姫とも呼ばれます。

今川家の武将・鵜殿長持の娘で飯尾連龍と結婚しました。

今川義元の死後。徳川家康が今家から独立。

飯尾連龍は徳川家康と内通しました。そのため飯尾連龍は今川氏真に殺害されます。

その後。お田鶴は曳馬城に立て籠もりました。

遠江に攻めてきた徳川家康の軍と戦いましたが、最後は討ち死にしたと言われます。

お田鶴の方とはどんな人だったのか紹介します。

 

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お田鶴(おたづ) とは

 

名 前:お田鶴(おたづ)
別名:椿姫
生 年:年(1679年)
没 年:年月日(1703年)
父:鵜殿長持
母:今川氏親の娘
兄:鵜殿長照
姉妹:西郡局(蓮葉院、徳川家康の側室)

夫:飯尾連龍
子:辰之助、辰三郎

 

おいたち

お田鶴(おたづ)の生年は不明。1550年という説もあります(蛇塚由来記)。

父は 鵜殿長持(うどのながもち)

母は 今川氏親の娘。今川義元の妹(あるいは義妹)です。

母方の祖母は寿桂尼(今川義元の母)。

お田鶴は今川義元の姪になります。

徳川家康の側室 西郡局はお田鶴の姉妹。
徳川家康の正室 築山殿(瀬名姫)とは母が義理の姉妹になります。

今川家と非常に縁の深い血筋です。

お田鶴は今川の家臣・飯尾 連龍(いのお つらたつ)と結婚。
飯尾連龍は曳馬城(静岡県浜松市。別名・引間城、引馬城)の城主です。

 

夫の飯尾連龍が今川を裏切って徳川家康に内通

1560年。今川義元が桶狭間の戦いで討ち死に。
その後。松平元康(徳川家康)が今川家を裏切り織田信長と同盟しました。

永禄6年(1563年)。遠江の国衆の間でも今川を見限る者が出て混乱していました。
夫の飯尾連龍も徳川家康に内通。

永禄8年(1565年)12月。飯尾連龍の裏切りを知った今川氏真は飯尾連龍に呼び出されて殺害されました。長男・辰之助もこのとき殺害されました。

飯尾連龍の最期については諸説あります。
曳馬城を攻めるも攻め落とせずに和睦後に飯尾連龍を呼び出して殺害したとか。今川軍に攻められて自害したとも言われます

また、徳川家康への内通そのものが何者かの策略で噂を流されその情報を信じた今川氏真によって殺害されたとも言われます。

 

飯尾連龍の死

飯尾連龍の死後についても諸説あり。

お田鶴は飯尾連龍の死後も今川氏真に逆心はないと説明しましたが。家老の江間泰顕と江間時成は徳川に内通していた。「武家事紀」「国別城郭」

曳馬城の家老の江間泰顕と江間時成の間で徳川につくか武田につくかで意見が別れ争って共に討ち死にした。「井伊家伝記」「浜松御在城記」。

お田鶴は今川氏真に夫を殺された恨みで城に立て込もに武田に助けを求めた「改正三河後風土記」。

などの説があります。

いずれにしてもお田鶴は残った家臣とともに曳馬城に立て籠もりました。

徳川家康との戦い

徳川家康は武田信玄と同盟。今川を攻めてその領地を徳川と武田分けようという事になりました。

永禄10年(1567年)。徳川家康は松下常慶、後藤太郎左衛門を使者として派遣。城を明け渡せば面倒をみると降伏を求めてきました。でもお田鶴は拒否しました。「徳川伝記」

このとき家臣の江間泰顕と江間時成は徳川の使者を迎え入れましたが、お田鶴が降伏を拒否したとも言われます。「改正三河後風土記」「武家名目抄」

永禄11年(1568年)。徳川家康は徳川家康は曳馬城を攻めました。しかし徳川軍が城を攻め落とすことができず撤退しました。このとき曳馬城を攻めたのは酒井忠次と石川数正といわれます。

翌日。再び徳川軍が攻めてきました。徳川軍は300人の犠牲を出しましたが、曳馬城側も200人の犠牲が出ました。江間泰顕と江間時成もこのときまでに死亡。

それでも徳川軍は大軍なので曳馬城の二、三の丸が攻め落とされました。

お田鶴は次男・辰三郎とともに徹底抗戦を続けます。

徳川軍が攻めていくと、お田鶴は緋色(明るい赤色)の鎧と兜を身に着け、武装した侍女7、8人(17、18人の説もあり)と兵士50~60人をひきつれ徳川軍の前に現れました。

そして徳川軍に決戦を挑み全員討ち死にしたと言われます。どの記録でも最後は徳川との和睦を拒否して討ち死にしたと書かれています。

その後。徳川家康は曳馬城に入り、浜松城と名を変えました。現在の浜松城は家康以後に作られたものです。

椿姫

お田鶴は別名・椿姫(つばきひめ)ともいいます。

お田鶴の死後。お田鶴や侍女たちの亡骸は埋められ塚が作られました。

哀れんだ築山殿(瀬名姫)が100本あまりの椿を植えたため。椿塚と呼ばれ、お田鶴は椿姫と呼ばれるようになったといいます。

現在「椿姫観音」のある場所(浜松市中区元浜町)がそうだといいます。

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異説

 

武家事紀(1673年)、井伊家伝記(1730年)には飯尾連龍とお田鶴の話が載っているので江戸時代前期・中期には知られていたようです。

しかし「武徳編年集成(1740年)」ではお田鶴は飯尾連龍とともに討たれたという説もあります。

飯尾氏以前に曳馬城主だった大河内時代の合戦の様子と混同されているのではないか。椿塚の主は別人ではないかという説もありますがよくわかりません。

 

テレビドラマ

どうする家康 2023年、NHK大河ドラマ 演:関水渚
役名:お田鶴(おたづ)鵜殿長照の妹。瀬名の幼馴染。

 

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