4 平安時代

菅原道真 学者から政治家として異例の出世をした人生

菅原道真は学問の神として有名です。でも実在の人物としてはどのような人だったのでしょうか。 道真は平安時代の初期に生きた学者であり政治家でした。 自らの才能と宇多天皇の信頼により、家柄以上の出世をして朝廷の中心にいました。しかし高すぎる出世は...
4 平安時代

崇徳上皇の怨霊伝説誕生と怨霊を恐れる人々

崇徳上皇は保元の乱で敗れ、讃岐国(香川県)に流罪になり。現地で亡くなりました。 崇徳上皇は怨霊として恐れられるようになります。 崇徳上皇の死後、どのようにして怨霊伝説が産まれ人々はどのようにしたのか紹介します。 保元の乱で勝った後白河上皇は...
4 平安時代

讃岐院と呼ばれて・流罪になった崇徳上皇の生活とその最期

崇徳上皇は保元の乱で後白河天皇に敗れ、讃岐国(香川県)に流されました。 「崇徳」という諡は死後、怨霊騒ぎが始まって付けられた名前です。それまでは流刑地の讃岐の地名をとって「讃岐院」と呼ばれていました。 この記事ではわかりやすさを優先し崇徳上...
4 平安時代

崇徳天皇・運命に翻弄され怨霊になった天皇 誕生から保元の乱で敗れるまで

日本史上もっとも恐ろしい怨霊といわれたのが「崇徳上皇」。「日本最強の怨霊」と言われるほど恐れられました。崇徳天皇は平安時代の人物です。でもなぜ天皇なのに怨霊とよばれるようになってしまったのでしょうか? 天皇として期待される立場にいながらも周...
7 近現代

金栗実次:弟の可能性を信じて支え続けた金栗四三の兄

金栗実次は金栗四三の兄です。金栗家は酒造業をいとなむ名家でしたが病弱な父の代に家業を畳んでしまいました。 長男の実次は農業で一家を支え、四三たち三人の弟を養うため父の代わりになって働きました。厳しい人でしたが勉強のできる弟の四三に期待をかけ...
3 奈良時代

和気広虫・日本初の孤児院をひらいた慈悲深い女性

和気広虫(わけのひろむし)は法均尼(ほうきんに)ともいわれます。 弟の和気清麻呂の方が有名かもしれませんが、清麻呂よりも先に出世して宮中で高い地位についた女官です。 日本で初めて孤児院を開いた人物ともいわれ、災害や戦乱で親を失った多くの子ど...
3 奈良時代

和気清麻呂・道鏡に抵抗した地方出身の役人

和気清麻呂は道鏡の皇位簒奪を防いだ人物として知られています。「皇位を皇族以外の者に継がせてはいけない」という宇佐八幡の神勅を持ち帰りました。称徳天皇の怒りをかって左遷されるのですが、その後復帰します。桓武天皇に仕え長岡京遷都や平安京遷都で大...
7 近現代

西郷菊次郎・西郷隆盛の息子は京都市発展に貢献した

西郷菊次郎は西郷隆盛の長男です。 西郷隆盛が奄美大島で生活していた時代に愛加那との間で産まれた子供です。菊次郎は長男ですが菊次郎の名前がつけられました。 明治維新後、鹿児島の西郷家に引き取られ、隆盛とともに西南戦争を戦い、その後は政府役人に...
イベント

京都国立博物館の刀剣展「京のかたな」で展示される注目の刀剣たち

「特別展:京のかたな・匠のわざと雅のこころ」 と銘打たれた展示が京都国立博物館で行われます。 京都では初めての大規模な刀剣の展示です。 開催場所は、京都国立博物館。 京阪電鉄・東山七条駅から東へ行ったところにある博物館です。近くには三十三間...
4 平安時代

源博雅は平安時代に活躍した音楽家

源博雅(みなもと の ひろまさ)は平安時代の公家で音楽家です。 映画やドラマになった夢枕獏原作の「陰陽師」に登場する人物としてのイメージが強い人も多いのではないでしょうか。 「陰陽師」では笛の名人として登場する博雅。現実にも楽器の演奏では優...
史跡名勝

鳥羽富ノ森の戦い:鳥羽伏見の戦い縁の地を巡る2

明治維新の転換点となった鳥羽伏見の戦い。このとき、同じ日に京都の鳥羽と伏見が舞台となり旧幕府軍と新政府軍が戦いました。 慶応4年1月3日(1868年)。鳥羽の小枝橋付近で始まった戦いは2日目に突入しました。 今回は鳥羽の戦いの2日目、主な戦...
史跡名勝

鳥羽小枝橋の戦い:鳥羽伏見の戦い縁の地を巡る

慶応4年(1868年)に旧幕府軍と新政府軍との間で起きたのが鳥羽・伏見の戦い。1年近くに及んだ戊辰戦争の始まりですが、明治維新の流れを決定づけた戦いともいえます。 鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍が敗北した結果、新政府軍が優勢となり、江戸城の開放...
7 近現代

まんぷく:立花福子のモデル安藤仁子とはどんな人?

NHK朝の連続テレビ小説2018年後半は「まんぷく」。 ヒロイン立花福子の夫・立花萬平のモデルは日清食品の創業者安藤百福(あんどう ももふく)。チキンラーメンを開発した人です。 安藤百福の奥さんは安藤仁子(あんどう まさこ)。 生前はほとん...
7 近現代

まんぷく:立花萬平のモデルはチキンラーメンの開発者・安藤百福

安藤百福はインスタントラーメンを発明し、後の日清食品を作った人です。 NHK朝の連続テレビ小説の「まんぷく」でヒロイン福子の夫・立花萬平のモデルになり注目を集めています。 チキンラーメン、カップヌードルを開発し、世界の食品界に革命を起こした...
6. 江戸時代

有馬新七と尊王攘夷派が命を落とした寺田屋騒動

有馬新七は薩摩でも強硬な尊皇攘夷派でした。 西郷隆盛とも交流がありましたが、彼らとは意見があわず倒幕のため京都で決起しようとします。 有馬たちの行き過ぎた行動は、島津久光の怒りをかいます。有馬は久光の送った使者と斬りあいになって命を落としま...
7 近現代

嘉納治五郎・柔道の創始者は日本のオリンピック参加にも貢献

嘉納治五郎は講道館柔道の創始者として有名です。 アジアで最初にIOC(国際オリンピック委員会)委員となり。日本のオリンピック参加にみちびきました。幻になった1940年の東京大会を招致したのも嘉納です。 嘉納治五郎とはどんな人だったのでしょう...
7 近現代

田畑政治・1964年東京オリンピック実現の中心人物

田畑政治は1964年の東京オリンピック誘致活動の中心になった人です。 オリンピック開催だけでなく、水泳やスポーツ全般についても発展のために尽くしました。 東京オリンピックの意義は単に国際的な大会の日本開催だけではありません。新興国の経済発展...
7 近現代

金栗四三・日本初のオリンピック選手は日本にマラソンや駅伝を普及させた功労者

金栗四三は三島弥彦とともに日本で初めてオリンピックに参加した人です。 金栗はマラソンの世界記録を持っていました。オリンピック選手に選ばれ第5回オリンピック ストックホルム大会にマラソン選手として出場しました。ところが金栗は途中棄権してしまい...
6. 江戸時代

和宮親子内親王・幕末に将軍御台所になった悲劇の皇女

皇女和宮は幕末に徳川家茂の正室になった女性。 正式には和宮親子内親王(かずのみやちかこないしんのう)。幕末に皇族から将軍家に嫁いだ皇女として知られています。 将軍徳川家茂との仲は良かったようですが、大奥内では和宮派と天璋院派の女中の対立がお...
6. 江戸時代

本寿院、13代将軍徳川家定の生母とは

本寿院は江戸幕府13代将軍・徳川家定の生母です。 本寿院は12代将軍徳川家慶の側室でした。 将軍家定の生母として大奥の実権を握っていた本寿院。しかし家定の死後は大御台所の役目を天璋院にゆずり、のんびりとした余生をおくりました。 本寿院とはど...
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