大河ドラマ「おんな城主直虎」では井伊直親の隠し子として登場する「高瀬」。
瀬名は実在する人物がモデルになっています。井伊直親には虎松より先に生まれた娘がいました。高瀬姫とよばれていました。その高瀬姫が直親の隠し子ではないかという説が注目を集めています。井伊家の系図では高瀬姫の母は不明となっています。高瀬は直親の隠し子だったのでしょうか?
実は亀之丞が隠れ住んでいた信濃国(長野県)では亀之丞には地元の娘との間に生まれた子供がいる、という言い伝えがあります。その娘が高瀬姫ではないかという説があるのです。
井伊直親の娘・高瀬(春光院)
井伊直親には高瀬姫という娘がいました。大河ドラマ「おんな城主直虎」では直親の隠し子とされる女性です。
井伊家の公式な系図では井伊直親の子供には娘が一人と虎松しかいません。娘の母は誰なのかわかってはいません。
逃亡先で知り合った女性がいる?
井伊直満の息子・亀之丞(直親)は今川家に命を狙われ信濃国へ逃亡します。亀之丞は信濃国市田(長野県下伊那郡高森町)の松源寺に匿われました。寺に匿われただけだと思うかもしれませんが、他国の謀反人を匿うのです。領主の松岡家の許可があったと思われます。
しかし何年たっても井伊谷に戻ることはできません。当時は今川義元が三河国をめぐって織田と争い、勢力を伸ばしていたころです。強大になっていく今川氏があるかぎり井伊谷には戻れないと思ったかもしれません。
亀之丞が15歳を過ぎたころだと思われます。亀之丞の付き人・今村藤七郎が領主に亀之丞の元服の許しを得たと言われます。当時の元服は結婚もセットになっていました。亀之丞は嶋田村(長野県飯田市松尾)の代官塩沢氏の娘を妻にしました。高森町には亀之丞と代官の娘が恋仲になったという言い伝えもあります。
とはいっても元服したり隣村の代官の娘と結婚するのは今村藤七郎と亀之丞だけの判断でできるものではありません。おそらく松岡家の意向だと思われます。井伊家に亀之丞を守る力はありません。松源寺と松岡氏の好意で生きていける立場です。おそらく地元の有力者の提案を断ることはできなかったでしょう。
飯田市に伝わる話では、塩沢氏の娘との間には男の子が生まれたといいます。吉之助といいます。このとき娘も生まれたという言い伝えもあります。
その後、井伊谷では小野和泉守が死亡しました。信濃国には武田信玄が攻めて来ました。松岡家は降伏しました。亀之丞を匿ってくれる人はいなくなりました。
その後の高瀬姫
弘治元年(1555)。南渓和尚と井伊家の人々は相談して亀之丞を呼び戻すことにしました。
しかし今川の領内では他国の者との結婚は認めていません。亀之丞は帰れば井伊家の養子になるはずです。亀之丞は妻を連れて帰ることはできませんでした。男子も連れて帰れば問題になります。
高森町に伝わる言い伝えでは娘だけ連れて帰ったとされます。この説が本当であれば、この娘が後に高瀬姫と呼ばれる女性だったのかもしれません。
亀之丞は井伊谷で元服し直親となりました。高瀬は直親の娘として育てられました。のちに徳川家康の命令で井伊家家臣・川手良則と結婚しました。
晩年は井伊家家臣の妻として彦根で暮らしたようです。
寛永11年(1634)。亡くなりました。高瀬姫が信濃国で生まれたとするならこのとき82歳を超える年齢だったと思われます。
お墓は彦根の長純寺にあります。戒名は春光院といいます。
井伊直親の息子・直吉
井伊直親には虎松以外にも息子がいたという言い伝えもあります。
飯田市に伝わる言い伝えでは亀之丞(井伊直親)が信濃国で暮らしていた時に生まれた息子。母は嶋田村の代官塩沢氏の娘。
幼名は吉之助と言われます。亀之丞は井伊谷に戻るときに吉之助を連れて帰りませんでした。男児を連れて帰れば問題となる可能性があります。
亀之丞は吉之助と妻を嶋田村にある妻の実家に預けたといいます。そのとき、亀之丞の守り刀と「吉直」という名前を残しました。遠江に戻れば謀反人の息子になってしまう、亀之丞にしてみれば息子にしてやれることはそれしかなかったのです。
その後、吉之助は成人して井伊吉直と名乗ります。その子孫が飯田城下で麹屋を始めました。島田屋麹店として続いているということです。
高瀬姫が存在したのは事実ですがその出生はよくわかっていません。信濃時代の子供であるという説は地元に伝わる伝承がもとになっています。亀之丞は逃亡先で10年以上過ごしました。戻れる保証はありませんから、信濃で結婚して一生を終えるつもりだったとしても不思議ではありませんね。
主な参考資料
梓澤要,城主になった女 井伊直虎
楠戸義昭,この一冊でよくわかる! 女城主・井伊直虎 PHP文庫
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