徳川家康 年表

戦国大名・徳川家康の一生を年表で紹介します。

まずは誕生から豊臣秀吉の家臣時代の前半生を紹介します。

数え歳で年齢も書いたので徳川家康が何歳のときに何がおきたのかわかるようにしています。

 

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徳川家康 年表

 天文11年12月26日(1543年2月10日)。(数え年で1歳)
 幼名・竹千代。
 通称:次郎三郎

 父:松平広忠。三河の岡崎城主。安城松平家当主。
 母:生母は於大(水野大子)。水野忠政の娘。

 天文13年(1544年)。3歳
水野信元が織田信長に寝返り、母:於大と松平広忠が離縁。

 天文16年(1547年)。6歳
今川家に人質に贈られる途中で捕らわれ織田家の人質になる。

 天文18年(1549年)。8歳
織田と今川の人質交換で駿府に行く。

弘治元年(1555年)。14歳
元服。今川義元の一字を与えられ「松平 二郎三郎 元信」と名乗る。

永禄3年(1560年)19歳
桶狭間の戦い。大高城に兵糧を運び入れる。
今川義元討ち死に。
大高城を出て、岡崎城に入る。

今川から独立

永禄4年(1561年)20歳。
今川の牛久保城を攻撃。

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織田信長と同盟

永禄4年(1561年)。織田信長と同盟を結ぶ(清洲同盟)。
西三河で今川軍と戦闘。

永禄5年(1562年)21歳
今川と和睦。駿府にいた妻・瀬名と信康を岡崎にひきとる。

永禄6年(1563年)22歳
3月。嫡男・信康と織田信長の娘・徳姫が婚約。

家康」と名乗る。

9月。三河一向一揆。永禄7年まで。

永禄9年(1566年)。25歳。
朝廷から「従五位下三河守」に任命される。
徳川」に改姓。

永禄11年(1568年)。27歳。
織田信長が足利義昭と共に上洛。家康も松平信一を援軍として派遣。

12月。甲斐国の武田信玄と同盟。
徳川軍が今川の遠江に侵攻。

永禄12年(1569年)。武田信玄が遠江侵攻。武田との同盟は破棄。
5月。掛川城の今川氏真を降伏させ。遠江を支配。

元亀元年(1570年)。岡崎城から遠江国の浜松城に移動。

元亀3年(1572年)。武田信玄が遠江国・三河国に侵攻(西上作戦)。
12月。二俣城落城。三方ヶ原の戦い。

元亀4年(1573年)野田城が落城。その後、武田信玄の死で武田軍撤退。

天正3年(1575年)5月。長篠の戦い。

天正7年(1579年)9月。北条氏と同盟。
嫡男・松平信康を切腹させる。正室・築山殿を殺害。

天正9年(1581年)。武田方の高天神城を奪回。

天正10年(1582年)41歳。
2月。織田信長が徳川家康とともに武田領に侵攻。
徳川家康が武田方の穴山梅雪を調略。
3月。武田勝頼自害。武田氏滅亡。

5月。上洛。織田信長に会う。
6月2日。本能寺の変。織田信長が明智光秀に討たれる。
堺にいた徳川家康は三河に戻る。(神君伊賀越え)
旧武田領から織田方が撤退。

織田信長の死後

天正10年(1582年)7月。家康が甲斐に攻め込む。(家康の甲州発向)
10月。北条と和睦。

天正12年(1584年)43歳。
徳川家康が織田信雄と会談。
小牧長久手の戦い。羽柴軍を撃退。
羽柴秀吉が織田信雄と講和。
徳川家康が羽柴秀吉に次男・義伊(結城秀康)を人質として送る。

天正13年(1585年)44歳。
8月。第一次上田合戦。真田昌幸相手に敗退。
11月。石川数正が出奔。
秀吉が「家康成敗」を決定。
近畿・東海地方で大地震。
秀吉の家康成敗は中止。

 

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豊臣秀吉の家臣時代

 

天正14年(1586年)45歳。
徳川家康も豊臣秀吉が和睦。秀吉の妹・朝日姫が家康の正室になる。
10月。大坂城で豊臣秀吉に拝謁。

11月1日。上洛。
11月5日。正三位になる。
12月4日。本城を浜松から駿府に移動。

天正15年(1587年)8月。上洛。従二位・権大納言。

小田原征伐

天正18年(1590年)。三男・秀忠を秀吉のもとに送り、北条と断交。
豊臣秀吉の小田原征伐開始。
家康も豊臣軍に加わり出陣。
天正18年(1590年)7月5日。北条氏降伏

関東に領地替え

天正18年(1590年)。秀吉の命令で駿河国・遠江国・三河国・甲斐国・信濃国から、関東に移動。武蔵国・伊豆国・相模国・上野国・上総国・下総国と下野国・常陸国の一部に領地替え。
8月。家康が江戸に移動。

文禄元年(1592年)。朝鮮出兵(文禄の役)。家康は名護屋城に待機。

文禄4年(1595年)7月。豊臣秀次切腹。家康が上洛。
以後、伏見に滞在することが多くなる。
慶長元年(1596年)5月8日。「内大臣」に就任。以後、江戸の内府と呼ばれる。
慶長2年(1597年)。2度めの朝鮮出兵(慶長の役)。家康は渡海せず。
慶長3年(1598年)。豊臣秀吉、病に倒れる。
7月。家康は五大老就任。
8月。豊臣秀吉死去
武家の持つ官位では最高位に立つ。五大老筆頭。
五大老・五奉行と協議して朝鮮から日本軍を撤退させる。

 

 

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