昌幸の正室・山手殿(薫)はどんな人?

六連銭
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大河ドラマ「真田丸」で公家風の衣装を着て登場する、真田昌幸の妻・薫。

田舎侍の家に公家の格好をした人がいるってすごい不自然なんですけど。

昌幸にはなんで公家出身の奥さんがいるのでしょう。

 

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山手殿はどんな人

 

真田昌幸の正室は歴史上は山手殿(やまのてどの)と呼ばれています。本当の名前はわかっていません。「薫」というのはドラマのオリジナルです。

昌幸と山手殿のあいだには、村松殿、信幸、信繁の三人の子供がいます。

武藤喜兵衛と名乗っていた昌幸と山手殿が結婚したのはよくわかっていません。最初の子供・村松殿(松)が生まれたのが永禄9年(1566年)なので、永禄7年(1564年)ごろと考えられます。

結婚後は、甲府で暮らしていました。武田家家臣は妻子を城下町にすまわせていたからです。勝頼時代には新府城で暮らしました。

天承10年(1582年)、勝頼が新府城をすてることが決まると人質から解放されて、信幸らと共に新府上を脱出。昌幸の居城、岩櫃城を目指します。

真田家が豊臣家に従うと、人質として京で暮らすことになります。その後・大坂の真田屋敷に移動しました。

慶長5年8月(1600年)関ヶ原の戦いの直前に石田三成の人質になりました。大阪城に移されました。家臣の河原綱家の活躍により上田に送り届けられました。

関ヶ原のあと、昌幸・信繁親子は九度山に流刑になります。昌幸は山手殿を連れて行きませんでした。また会うつもり、だったからです。幕府も信之の母である山手殿が上田に残ることを許しました。

慶長6年(1601年)ごろから出家して「寒松院」と名乗り大輪寺で暮らし始めます。

慶長18年6月3日(1613年)なくなります。お墓は大輪寺(長野県上田市)にあります。

 

夫の真田昌幸には側室が多くいました。
後世の作品では昌幸は女好きで苦労する正室という描かれたをされることがあります。さて真田丸ではどう描かれるのでしょうか。

 

山手殿(薫)の正体は?

 

さて、大河ドラマ「真田丸」では京出身で公家の娘という設定の薫。

これは真田家の伝わる資料などで「京の御前様」とか「清華家・菊亭晴季の娘」となっていることから、公家出身ということになったのでしょう。菊亭家というのは公家のトップである七家のひとつという身分の高い家柄なのです。武田晴信の正室・三条の方は七家のひとつ三条家の出身でした。つまり武田家クラスの大大名でなければ、縁組できないほどの家柄なのです。

結婚当時、昌幸は武藤家を継いでました。武藤家は武田家の家臣の家柄ですからとても公家から正室を出してもらうことはできません。

では誰なのかというと、これが謎なんです。

 

高野山蓮華定院(高野山における真田家ゆかりの寺)に伝わる記録では「武田信玄の養女」とあります。

他にもいくつか説はあります。

宇多頼忠の娘という説

宇多頼忠は信濃で小笠原氏に従っていた尾藤家の出身といわれます。
小笠原家が武田家に敗北したあと、尾藤家は今川氏に従います。でも桶狭間で今川義信が死亡すると一族は離散、兄・知宣は織田方の家臣になり、頼忠は武田家の家臣となりました。その後、娘を武田家臣の武藤喜兵衛に嫁がせたというのです。

武田家が長篠の戦いで衰退しはじめると、既に羽柴秀吉の家臣となっていた兄を頼って織田方につきました。宇多頼忠は兄・豊臣秀吉の家臣となります。兄が九州攻めの失態で領地没収され、処刑されると宇多に姓をあらためました。以後は娘の嫁ぎ先である石田三成の家臣となります。

石田三成の正室・皎月院は頼忠の娘でした。つまり皎月院とは姉妹ということです。

昌幸の娘・於菊(側室の子・信繁の娘とは別人)が宇多頼忠の子・頼重に嫁いでいるので真田家と宇多家は縁があります。

ただし秀吉に仕える前の尾藤頼忠についてはわからない部分もあるので。はっきりとしたことはいえません。

遠山右馬助の娘説

遠山右馬助は武田晴信の家臣。侍大将だったといわれます。武田家滅亡後は徳川家の家臣になったといわれますが、江戸幕府の記録には名前はありません。遠山右馬助については資料があまりないのでくわしいことは分かりません。

昌幸の妹が、遠山氏に嫁いだとも言われています。

 

京の御前様説

 

近年発見された資料に「真田氏給人知行地検地長」というものがあります。

この資料には「京之御前様」と書かれています。昌幸の正室が京の出身である可能性は高いです。でも、さすがに公家の娘は身分的に難しいですね。

信玄の正室は公家の名門出身の「三条の方」。三条の方が京から来たときには侍女が付いてきます。その侍女の一人なら可能性はあります。

昌幸が養子となっていた武藤家は甲斐では名門とされていました。信玄の母親の実家・大井氏かとも親戚関係にありました。その家を継ぐということは信玄の期待がおおきかったということです。信濃の豪族にすぎない真田家よりは武藤家は格式は上です。将来を期待される武藤喜兵衛に、信玄がそれなりの格式の妻を迎えさせてやりたいと考えても不思議ではありません。

侍女といっても公家のトップクラスともなればそれなりの身分の娘が選ばれてます。武藤家にとっても十分な名誉です。もし侍女の家柄が低かったとしても「信玄の養女」ということにしてしまえば問題ありません。

というわけで大河ドラマ「真田丸」で薫が公家風の姿をしているのは、ありえない話ではないということになります。

 

ちなみに「真田丸」と比較されやすい「真田太平記」では菊亭晴季の娘説が採用されています。池波正太郎が書いてるならフィクションの世界では公家の娘説はありなのかも。と思ってしまいます。

 

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薫を演じるのは高畑敦子さん

 

大河ドラマ「真田丸」で薫を演じるのは高畑敦子さん。

大河ドラマは3回目の出演です。

毛利元就1997年萩の方元就最大の敵・尼子経久の正室
篤姫2008年本寿院13代将軍・徳川家定の生母

 

毛利元就に出ていたのは意外でした。

なんといっても、本寿院の印象が強烈でしたね。わがままでマイペースな感じがはまってたように思います。おかけで真田丸を見ると、本寿院が公家の衣装を着ているように見えてしまいます(笑)。

高畑敦子さんは古くからテレビにも出てましたが、本寿院でブレイクしたような気がします。

「篤姫」で本寿院の息子、徳川家定を演じていたのは堺雅人さん。
真田丸でも親子の役です。

 

 

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夫:真田昌幸
長女:村松殿(松)
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