武田勝頼を突然裏切った小山田信茂ってどんな人?

大河ドラマ「真田丸」で、主君・武田勝頼に岩殿城に移動することを勧めながら直前で裏切ってしまう「小山田信茂(おやまだ のぶしげ)」

いったいどんな人なんでしょう。

信玄時代の小山田信茂

小山田氏は鎌倉時代から続く甲斐の領主。
甲斐国都留郡(現在の山梨県都留市のあたり)の谷村城を本拠地にしていました。
もとは独立した領主でしたが武田信虎(信玄の父)のころより武田家に仕えるようになったといわれます。

信茂の祖母は武田信虎の妹。
信玄の甥というわけですね。
小山田家は兄の信有が継いでましたが、病死したので信茂が継ぐことになりました。

今川氏、北条氏との戦で成果をあげ信玄の信頼を得ていきます。

三河・遠江への侵攻作戦にも参加し三方ヶ原の戦いでは投石隊を率いたとの説もあります。武田軍に投石隊があったのは確かですが、小山田信茂が率いたとの確かな記録ありませんので間違って伝わったものかもしれません。

しかし信玄の死亡により三河・遠江遠征は中止。
以後は武田家を継いだ勝頼に使えることになります。

勝頼時代の小山田信茂

1575年の長篠の戦いにも3200の兵を率いて出陣しました。
長篠城包囲中に信長の援軍が到着すると他の重臣と共に撤退を進言します。
でも、勝頼は信長との決戦を決意します。信玄以来仕える甲斐の重臣達は敗北を覚悟しあの世で会おうと水盃を交わしたといいます。
武田方は多くの名だたる武将が戦死する中、小山田隊は1000名近い被害を出しながらも最前線で戦いました。小山田信茂も無事でした。武田軍の撤退時には勝頼の周辺を守る働きをしています。

1576年には信玄の葬儀が行われ、信茂は重臣と共に出席します。御剣を持つ大役を任されます。
同年には上杉氏の内乱、御館の乱が発生します。上杉景勝とは武田との和睦を希望しました。
小山田信茂は跡部勝資、長坂光堅とともに、上杉氏との交渉役を担当します。

しかし武田信虎以来の甲斐国の一族である小山田信茂は諏訪の一族出身である勝頼に対しては快くは思っていませんでした。

1581年織田・徳川軍の侵攻が始まると、木曽義昌が離反。武田勝頼は木曽領への出兵を行います。小山田氏もこれに従い出陣します。しかし木曽義昌を打つことはできず撤退します。

さらに、重臣であった穴山梅雪が徳川に寝返ると家中に動揺が走ります。
しかも、織田の大軍が迫ってきます。

家中では新府城にて籠城戦の意見もでましたが、真田昌幸の進言により岩櫃城への撤退を進言します。
真田昌幸が勝頼の受け入れ準備のため離れると、小山田信茂と勝頼の側近である長坂光堅が岩殿城へ退くことを進言しました。勝頼は側近たちの意見を取り入れ岩殿城へ向かうことを決意します。

岩殿城を小山田氏の居城とする意見がありますが、本拠地の谷村城とは20km近い距離があり、もとは武田氏が築いた城との意見もあります。

勝頼一行は岩殿城へ向かいますが、信茂は先に領地へ向かい領内へ通じる入り口を封鎖し、勝頼を領内へ入れることを拒否します。

小山田氏が離反したことを知った勝頼は天目山を目指し、追ってきた滝川一益の軍と戦い戦死します。

武田氏滅亡後の小山田家

武田氏滅亡後、小山田信茂は甲斐に来た織田信忠に謁見します。
織田信忠は信長嫡男で、武田攻めでは大将を勤めました。

小山田信茂は嫡男を人質を差し出そうとします。
しかし信忠は信茂が主君・勝頼を裏切った不忠者として小山田信茂親子を処刑しました。享年44。
ここに小山田家本家は滅亡します。

どたん場で主君・武田家を裏切ったため、評判のよくない小山田信茂。
その一方で、信茂の祖父の代には独立した領主で武田家と対立していました。もともとは独立した家なのだから一族の生き残りのために離反したのは仕方ないとの意見もあります。そういった点では穴山氏と似たところがあります。

しかし事前に周到に裏工作を進め受け入れ先を確保してから離反した穴山梅雪と違うのは、絶望的となるやいきなり裏切ったことです。

勝頼が新府城を出たのは3月3日。
織田信忠が甲府に入ったのは3月7日。
勝頼が小山田の離反を知ったのは3月7~9日の間。
勝頼が亡くなったのは3月11日。

織田・徳川軍にしてみれば、穴山氏の離反に成功させた時点で武田家の滅亡は確実と思ったことでしょう。
あとは一気に攻め落とすだけ。小山田氏が寝返っても寝返らなくても武田家滅亡は変えようがありません。

織田信忠にしてみれば、小山田信茂は勝頼に近い立場にいながら迫ってくる敵を目前にして形勢不利とみるや突然寝返ったようにしか思えなかったのかもしれません。そのような者は家臣にしてもいつ寝返るかわからないと判断したのでしょう。
ドラマ「真田丸」の劇中でも、ほぼ同じ内容のことを事を言ってましたね。

とはいっても、小山田信茂にしてみれば武田氏と心中するよりも一族の生き残りを優先した苦渋の決断だったかもしれません。
判断の時期と方法を誤ったかもしれません。

小山田信茂と一緒に裏切った者たちはほぼ信忠によって処刑されています。
ドラマ中に出た人物では小山田八座衛門も処刑されてます。

戦国の世で生き残るのは難しいですね。