民権ばあさん・楠瀬喜多は朝ドラ「らんまん」楠野喜江のモデル

2023年朝ドラ「らんまん」には島崎和歌子さんが演じる 楠野喜江(くすの よしえ)が登場します。

楠野喜江は明治初期の高知で自由民権運動をしている女性。通称「民権ばあさん」。

高知の女性は気が強くて自立しているイメージがありますけれど。楠野喜江はその代表のような人物。演じる島崎和歌子さんも高知県出身。地元の人物を演じられることが光栄なのだそうです。

楠野喜江にはモデルになった人がいます。楠瀬喜多(くすのせ きた)という人です。実際に「民権婆さん」と呼ばれていました。

 

「民権ばあさん」と呼ばれた楠瀬喜多とはどのような人物だったのか紹介します。

 

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楠瀬喜多(くすのせ きた)とは

 

喜多(きた)は天保7年9月9日(1836年10月18日)土佐国(高知県)で生まれました。

父は土佐で車力の人夫頭をしている袈沙丸儀平。
車力とは荷車を使って物を運ぶ運送業のような仕事。運ぶものは穀物や作物が多いです。そのためか穀物商だっという説もあります。

土佐藩の剣道指南役・楠瀬実と結婚しましたが1874年に夫が死亡。二人には子供がなく喜多が相続。戸主になりました。

 

選挙に立候補するも拒否されて訴える

1878年の高知県区会議員選挙で立候補しようとしたところ。「女性」を理由に拒否されました。

府県会規則には「満20歳以上の男子でその郡区内に本籍を定め、地租5円以上を納める者」と決めていましたが。府県より下の区市町村には決まりがありませんでした。

そこで喜多は納税を拒否。

役所から納税するように通知が来ると「義務と権利は両立するはず。納税しているにもかかわらず、女性だからという立候補できないはおかしい」と高知県庁に訴えました。県側は喜多の訴えを却下。すると喜多は内務省(警察や地方行政を管轄する国の役所)に訴えました。

内務省はこの訴えをうけて1880年9月20日。区町村会の選挙規定はそれぞれの区町村会が決めて良いことになりました。

それによって喜多の地元の上町町議会は戸主に限って女性の参政権を認めました。隣村の小高坂村でも認められました。

ところが1884年。政府は区町村会から規則の決定権を奪い選挙に出られるのは男性だけにしました。

 

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「民権ばあさん」自由民権運動に参加

 

しかし喜多は板垣退助に共感していたこともあって板垣退助たちが作った立志社の自由民権運動に参加。

各地で活動を行い、壇上に立って演説を行いました。高知だけでなく徳島や香川にも出向いて演説を行っています。

女性解放運動に熱心に取り組み「民権ばあさん」の名で知られるようになりました。

また高知を訪れる若い民権活動家を自宅に泊めたりしました。晩年まで政治に持ち続け、衆議院議会を4回傍聴しています。

大正9年(1920年)。死去。享年84歳。

高知市上町2丁目の高知市立第四小学校の校門の近くには「婦人参政権発祥之地」の石碑が立っています。

 

 

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