桃太郎の正体はインドの王子だった

昔話で有名な「桃太郎」。
桃太郎のモデルになったお話を知ってますか?
「吉備津彦?」
違います。
吉備津彦は桃太郎とは全然関係ありません。
桃太郎のモデルになったのは「ラーマ王子」なんです。

ラーマ王子とはインドの神話「ラーマーヤナ」に登場する王子です。王子が羅刹王ラーヴァナに妃のシーター姫を奪われハヌマーンたちと共に取り戻すお話がモデルなんですね。

なぜインドの神話が日本のおとぎ話になったのか紹介します。

 

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ラーマーヤナとは

まずはインド神話のラーマヤナがどんなお話なのか簡単に紹介します。

第1編 少年の巻

コーサラ国王ダシャラは子供が欲しくて儀式を行いました。その儀式とは聖なる食べ物を食べて神に祈りを捧げるもの。すると3人の妃から4人の王子が誕生しました。

カウサリヤー妃 ラーマ王子。
カイケーイー妃 バラタ王子。
スミトラー妃  ラクシャマナ王子、シャトゥルグナ王子。

長男のラーマ王子はヴィシュヌ神の化身でした。

ラーマ王子は聖仙ヴィシュヴァーミトラに連れられて悪魔退治に出かけました。ラーマ王子を敬愛するラクシャマナ王子も一緒に来ました。

一行がヴィデーハ国に来ると、ジャナカ王が娘の婿選びをしていました。姫は田の畦(あぜ)から産まれたのでシーター(田の畦)姫と呼ばれていました。

このシーターは豊穣の女神と考えられています。

ラーマは王の出した課題をクリア。喜んだジャナカ王はダシャラ王を招いて、シーター姫をラーマ王子に嫁がせました。

 

第2編 アヨーディヤーの巻

老いたダシャラ王は第一王子のラーマ王子にあとを継がせようとしました。

ところがカイケーイー妃はかつてダシャラ王とどんな願いも叶える約束をしていたのを思い出し。自分の息子バラタ王子を継がせようとします。

ラーマ王子は争いになるのを避け都を出て森に入りました。シーター妃とラクシャマナ王子も付いてきました。

 

第3編 森の巻

ラーマたちは森の行者から修行の邪魔をする羅刹を退治してほしいと依頼を受け羅刹を退治していました。ところが羅刹王ラーヴァナの妹シュールパナカーがラーマ王子に一目惚れ。ラーマ王子に言い寄りますが断られます。

羅刹王の妹は帰って兄にラーマの妻シーターをさらうようにそそのかします。羅刹王ラーヴァナはシーターを誘拐しました。

それに気づいた鳥王ジャターユがラーヴァナに戦いを挑みました。でもジャターユは老いていたために返り討ちにあいます。

シーター姫はラーヴァナに誘拐され後宮に幽閉されました。

ラーマ王子たちがシーター姫を探していると瀕死のジャターユを発見しました。鳥王ジャターユは羅刹王が姫をさらっていったと告げて息絶えました。

 

第4編 キシュキンダーの巻

ラーマ王子はキシュキンダーという土地を治める猿王スグリーヴァの援助を求めようと猿王のもとを訪れました。

ところが猿王スグリーヴァは兄ヴァーリンに国と妻を奪われて嘆いていました。ラーマ王子はヴァーリンを殺してスグリーヴァの国と妻を取り戻します。スグリーヴァは配下のハヌマーン達を集めてシーター姫の行方を探させました。

ハヌマーンは鳥族のサムパーティ(ジャターユの兄)から、シーター姫が羅刹族の根城・ランカー島に捕らわれていると聞きました。

 

第5編 美麗の巻

ハヌマーンはランカー島に渡り、シーター姫の安否を確認。ラーマ王子が助けに来ることを伝えます。ハヌマーンは帰りにランカー島を荒らし回ってラーマ王子のもとに戻りました。

 

第6編 戦闘の巻

猿族の協力でランカー島に渡る橋が作られました。ラーマと猿族の部隊がランカー島に向かい羅刹族と戦います。ラーマ王子は羅刹王ラーヴァナを倒し、シーター姫を取り戻しました。

第7編では貞節を疑われたシーター姫が身の潔白を証明する場面がありますが。桃太郎とは関係ないので省略します。

ラーマヤナには物語のバリエーションも多く、熊王ジャンババンがハヌマーンと一緒にラーマ王子を助ける物語もあります。

 

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ラーマ王子の物語を簡単にすると

 

・特別な食べ物を食べた王と妃から特別な王子が生まれる。
・放浪の王子が悪鬼羅刹に妻をさらわれる。
・羅刹は島に住んでいる。
・王子は鳥・猿・(物語によっては熊)の助けを借りて島に渡って羅刹を退治
・王子は妻を取り戻す。
・羅刹が奪った宝物を戦利品として持ち帰るバージョンもある。

となります。
話の流れは桃太郎と同じです。

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ラーマヤナと桃太郎の共通点

凄い男子がパワーフードを食べた夫婦から誕生する

桃太郎は桃から産まれます。

ラーマ王子は「子供が欲しいと願う王と王妃」が儀式を行って誕生します。儀式では神聖な食べ物がでてきます。

物語のバージョンによって違いますが神餅だったり乳粥だったり甘露だったり様々。国によっても違います。ビルマではバナナを食べて子供が産まれます。ビルマで鬼退治する王子は「バナナ太郎」といえますね。

子授かりの神聖な食べ物は国によって違います。

ラーマヤナが中国で漢訳されたときにラーマ王子を「華上子」と訳したものがありました。「華上」とは母カウサリヤー妃のことです。しかし「華上子」の文字を見た日本人が「花や果実から産まれた子供」と考えても不思議ではありません。

日本では桃は悪霊を払う力のある神聖な食べ物です。桃を食べて不思議な力を得たり、鬼を退治するパワーの源は桃にあると考えるのは不思議ではありません。

桃太郎の古いバージョンでは老夫婦が桃を食べて若返り、その夫婦から子供が生まれます。

ところが明治以降「子作り」の話を子供にするのはよくない。ということで大きな桃が流れてくる話が主流になりました。

私達の知っている桃太郎は明治時代に改ざんされたものなのです。

 

羅刹は鬼の元ネタ

ラーマ王子と戦うラーヴァナは羅刹の王。羅刹とは「ラークシャーサ」とも言います。インドの鬼族です。仏教では仏に帰依して守護神となりますが改心する前はかなり迷惑な存在でした。

仏像の足元で踏みつけられている邪気も似たような存在です。

羅刹は夜叉や邪気とともに日本に伝わり「鬼」のイメージの元になりました。それまで日本で鬼といえば目に見えない悪霊でした。それが仏教の影響で人の形をした怖い存在になったのです。

昔話で登場する怖い鬼のイメージは羅刹や夜叉、邪気が元ネタ。だから羅刹をおとぎ話にするときに「鬼」に置き換えるのはごく普通のことです。

 

ランカー島は鬼ヶ島

 

ラーヴァナ(羅刹)が住むのはランカー島。現在のスリランカです。

ランカーとはサンスクリット語で「島」の意味。だからランカー島という言い方は変なのですが、わかりやすく「ランカー島」と書きます。

悪鬼羅刹ラーヴァナの住む島が日本に伝わると鬼が住んでいる島になり。鬼ヶ島と訳されます。

 

王子を助ける仲間と動物たち

充実な家来

ラーマは王子です。でも人間の手下は弟のラクシャマナだけ。彼はラーマに仕える忠実な部下として描かれます。ヴィシュヌの化身ともいわれますが、シェーシャ(ナーガラージャ=竜王)の化身ともいわれます。

忠実な家来のイメージが日本では犬にされたのかもしれません。

他にラーマに仕えるのは動物だけです。

最も活躍するのは猿族(ヴァナラ族)の将軍ハヌマーンと猿たち。ハヌマーンは風神ヴァーユの化身ともいわれ、変身や様々な能力を持ちます。中国に伝わり孫悟空のモデルになったともいわれます。

ハヌマーンはもちろん桃太郎の猿のモチーフです。

ジャターユ、サムパーティ。二人?ともアルナの子供。アルナはガルダの兄弟。鳥族の王。ハゲタカがモデル。サムパーティには透視能力がありシーター姫の居場所を突き止めます。偵察役にもピッタリです。

江戸時代以前の日本人に馴染み深いのは雉です。雉は古事記などの日本神話にも登場して神の使いになってます。おとぎ話でも偵察役をすることが多いですね。強さの象徴である必要はないので鷲や鷹である必要はないのです。

ジャンババンは熊族の王。熊族を率いてハヌマーンとともに羅刹軍と戦います。

日本で犬になったのは戦闘に参加できる生き物で、忠実な家来を強調したかったのかもしれません。

王子に協力する動物は国によっては別のものになることもあるようです。

 

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インドの神話が日本に伝わったの?

桃太郎とラーマヤナには共通点があるかもしれない。

でも遠いインドの神話が昔の日本に伝わったなんて信じられない。と思うかもしれません。

ところが昔の日本にはすでに伝わてていたのです。

現在残っている資料でラーマヤナが確認できるのは「宝物集」に載っている「本生譚」という物語です。

宝物集とは12世紀の鎌倉時代初期に書かれた仏教関係のお話を集めた本。インドは仏教発祥の国です。インドの神話も仏教のお話として日本に伝わっているのです。

宝物集は説話集。たくさんある物語から選んで載せた「まとめサイト」のようなもの。説話集に載っているということは、それ以前に話が伝わっている。話が存在していることです。

遅くとも平安時代、早ければ奈良時代に日本にやってきた中国やインドの僧侶から話が伝わったと考えられています。すでに4世紀には中国でラーマヤナの漢訳が行われているので漢文に訳された形のラーマヤナがあったようです。

そもそも仏教自体がインドから大陸を経て日本に伝わったものです。インドの神話が伝わらないと考えるほうがおかしいのです。

 

宝物集の本生譚

宝物集に載っている本生譚はラーマヤナを中国人が漢文にしてさらに日本人が書いたものです。仏教説話として載せられているので名前が仏教のものに変わってます。オリジナルのラーマヤナとはかなり違いますが本生譚を簡単に載せておきましょう。

むかし、天竺に大王がいました。大王の国の隣には舅(妻の父)の国がありました。大王は戦いを好まず穏やかに暮らしていました。あるとき森で仏法の修行をしていました。

竜王が梵士(バラモン教徒)に化けて后を誘拐しました。

大王が帰ってみると后がいません。山に探しに行くと大鳥がいました。大鳥は大王に代わって后を助けようと竜王と戦いました。しかし負けてしまったと言い残して息を引き取りました。大王は哀れと想い大鳥を高い峰に葬りました。

さらに南に行くと沢山の猿がいました。大王は猿に強力を求めました。猿たちは大王に恩があったので従いました。

大王と猿は南の海にある竜宮城にたどり着き竜王と戦いました。大王の矢が竜王に当たり炎口(火口)に落ちました。それを観て配下の小竜は逃げました。猿たちは城に攻め込み后を助け出しました。さらに宝物も奪い取って山に帰りました。

大王はのちに隣国の王(妻の父)が亡くなったあと二国の王になりました。
出典は六波羅密経です。

というものです。羅刹が竜王になってますがそれ以外はほぼ流れは同じです。

この話ではラーマは登場せず天竺の大王という一般名詞になってます。この大王は釈迦如来の前世の話とされています。この話から仏教的な部分を取り除けば固有名詞が一切なしの物語になります。

出典は六波羅密経となっています。でも六波羅密経にこの話はありません。中国で書かれた「六度集経」に似たような話が載っています。六度集経には后の貞節を疑う場面がありますが、宝物集にはその場面はありません。かわりに猿が宝物を奪う場面が追加されています。日本的なアレンジなのでしょう。

ラーマヤナが日本のおとぎ話に影響を与えた

遅くとも鎌倉時代にはラーマヤナや漢訳されたものが日本に伝わっていたのは確かです。今のところ確認できたのは宝物集だけですが他にも伝わったものがあったかもしれません。

宝物集は僧侶が仏教の布教を行うとき民衆に話を聞かせるためのネタ本です。インドや仏教のお話を日本人に分かりやすいように変えて民衆に話したのです。

宝物集やラーマヤナは後の日本文学に大きな影響を与えました。

鎌倉時代に作られた「保元物語」の「為朝鬼ヶ島渡り」、室町時代の「御伽草子」の「御曹子島渡り」は影響を受けた作品です。これらの物語では主人公の武将が鬼や鬼の末裔が住む鬼ヶ島に渡る話が書かれています。鬼ヶ島には宝物があるというのもこの頃に作られました。

そうしたインド神話や先行する物語の影響を受けて室町時代から江戸時代に作られたおとぎ話が「桃太郎」です。

不思議なことに桃太郎には固有名詞が一切ありません。

浦島太郎や一寸法師、金太郎は地名が出てくるのでモデルになった場所をある程度絞り込むことができます。

でも桃太郎には地名も人名も出てこない。意図的に固有名詞をなくしたのではないかと思えるくらいです。日本のどこにでも当てはまる物語です。それもそのはずです。元ネタがインドなんですから。日本の地名が出てくるはずがありません。

 

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陰陽道と桃太郎

風水や陰陽道の本には「桃太郎は陰陽五行説でできている」という話があります。あれば江戸時代の作り話とされます。

桃太郎のすべてが陰陽五行説で出来ているわけではありませんが。それでも陰陽道は桃太郎と深い関わりがあります。

「桃」を「魔除け」「神秘的なパワー」と考えるのは古代中国の神仙思想の影響。日本には弥生時代の終わり頃にはその考えが入っていました。古事記には桃が黄泉の国の鬼を退ける場面があります。神仙思想は陰陽道にも影響を与えました。京都の晴明神社にも桃のオブジェがありますし。戦国時代・江戸時代の陰陽師氏が関わったと思われる建物には桃のオブジェが魔除けとして使われています。

マスメディアの発達していない室町時代や江戸時代。情報を広めたのは宗教関係者です。

声聞師など民間陰陽師は芸能活動をしながら各地を移動、占いやお祓い、御札の販売などをしていました。当時は芸能と宗教活動は深い関係がありました。彼らが客集めのため広めたお話のひとつが桃太郎だったと考えられます。民間陰陽氏は別名法師陰陽師ともいいます。陰陽師と呼ばれていますが、陰陽寮にいる陰陽師よりも密教関係者に近いです。わりと仏教の教えを取り入れています。

桃太郎はインドの神話が仏教説話として日本に入りました。民間陰陽師が仏教説話に陰陽道的なアレンジをして広めたものです。

 

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桃太郎の由来話は現代の作り話

 

日本各地に桃太郎伝説発祥の地とされる場所もあります。明治から昭和にかけて桃太郎話が教科書に載って有名になると地元に伝わる鬼退治の伝説を「桃太郎伝説の地」にしてしまいました。

もともとは日本各地の桃太郎伝説の土地は桃太郎とは関係ありません。
単なる村おこしの道具です。

有名な岡山の吉備津彦の温羅退治の話は昭和になって岡山のある教授が桃太郎と結びつけました。しかも香川の民間の郷土史家が発表した説(吉備津彦の弟が讃岐に来て海賊退治した話が桃太郎になったというもの)の後に発表したものです。

それまでは岡山と桃太郎は関係なかったのです。岡山のキビ団子も吉備の国と黍(キビ)の発音が同じだから明治以降に作った物。ダジャレで産まれたお土産物なんです。

温羅退治の話とラーマ王子の話。どちらが桃太郎に近いと思いますか?ちょっと考えれば分かることですよね。

つまり学者の信憑性はその程度ってことです。

インドの神話が日本に伝わっておとぎ話のネタになった事ほとんどの人が知りません。それだけに「桃太郎発祥の地」はアピールしやすいです。

日本各地の桃太郎は「くまもん」や「ひこにゃん」と同じ町おこしのキャラクター。

それでも観光の材料とわりきれば悪くありません。ゆるキャラとして楽しんだらいいですし、地域経済に貢献できるならそれもいいでしょう。

でも雑学本のライターや作家、歴史の研究者まで「桃太郎の発祥は日本の○○伝説」なんて言うのはただの無知です。

歴史的な事実と客集めのゆるキャラは区別しましょう。

 

コメント

  1. 白狼 より:

    興味深く拝読しました。
    質問ですが、第4編 キシュキンダーの巻で

    > ヴァーリンの国と妻を取り戻します。ヴァーリンは配下のハヌマーン達を集めて

    とあるのは、
    スグリーヴァの国と妻を取り戻し…
    スグリーヴァは配下のハヌマーン達を…
    ではないでしょうか?