どうする家康

徳川家

徳姫(五徳、おごとく)。松平信康の正室は織田信長の娘

徳姫(とくひめ)は、戦国時代から江戸時代初期の女性。 織田信長の長女です。 徳姫は漢字で「五徳」と書くこともありますが「おごとく」とよばれていました。 彼女は松平信康の正室になり。岡崎殿と敬称されました。 徳姫の長女・登久姫(福子)は小笠原...
今川家

お田鶴(椿姫)・引間城を守り徳川家康と戦った女城主

お田鶴の方(おたづのかた)は戦国時代の女性。 椿姫とも呼ばれます。 今川家の武将・鵜殿長持の娘で飯尾連龍と結婚しました。 今川義元の死後。徳川家康が今家から独立。 飯尾連龍は徳川家康と内通しました。そのため飯尾連龍は今川氏真に殺害されます。...
戦国の女性

望月千代女・忍者とも噂される歩き巫女の正体は?

望月千代(もちづき ちよ)は戦国時代の伝説的な女性。 千代女(ちよめ、ちよじょ)、千代女房ともいいます。 彼女は歩き巫女で信州・甲斐地方の歩き巫女を束ねる巫女頭をしていたといいます。 また俗説では「くノ一(忍者)」とされます。そのため幾つか...
徳川家

酒井忠次・徳川家臣団をまとめた四天王の最年長

酒井忠次は徳川家康の重臣。 徳川四天王の最年長者。 徳川譜代の家臣でも筆頭格の人物です。 家康よりも15歳年上で家康が人質時代から家康を支えました。 左衛門尉(さえもんのじょう)と呼ばれたりもします。 酒井忠次は徳川四天王のひとり。四天王最...
徳川家

寅年生まれ・三寅の徳川家康は卯年生まれだった?

徳川家康には様々な伝説があります。 「三寅(みとら)の福」という伝説もそのひとつ。 徳川家康は寅の年・寅の日・寅の刻に生まれた三寅の福をもつ人物と信じられていました。三寅とは3つの寅が揃うことです。 少なくとも家康の死後「神君家康公は三寅」...
徳川家

碓井姫・酒井忠次の妻とは?

碓井姫は酒井忠次の妻です。 酒井忠次は徳川家康の重臣・徳川四天王の筆頭と言われる人物です。 最初は松平政忠と結婚しましたが。松平政忠の戦死後、酒井忠次と再婚しました。 NHK大河ドラマ「どうする家康」では登与(とよ)の名前で登場します。 碓...
徳川家

徳川家康の旗印「厭離穢土欣求浄土」の意味とは?

時代劇や大河ドラマなどで徳川家康の軍が「厭離穢土 欣求浄土」と書いた旗を持って行進している場面があります。 「厭離穢土 欣求浄土」は「おんりえどごんぐじょうど」と読みます。 でもいったい、どういう意味なのでしょうか? なぜ徳川家康は馬印にし...
徳川家

於大の方・徳川家康の母は苦労人

徳川家康の母は於大の方です。家康は歴史上の超有名人ですが、その母親となると意外と知られていないのではないでしょうか? 松平家に嫁入したのに、実家が裏切り離縁されたり。実家の都合で再婚したり。息子・家康に兄が殺されたり、夫が失踪したりと家康の...
今川家

関口氏純は築山殿(瀬名姫)の父、家康の裏切りで自害

関口氏純は今川家の重臣。 今川義元・氏真に仕えました。 関口家は今川家の分家筋にあたる名門の家柄です。今川家中でも高い地位にいました。 関口氏純は徳川家康の正室・築山殿の父親です。 しかし家康が今川家を裏切ったために切腹させられてしまいまし...
今川家

早川殿(蔵春院)は今川氏真と一生を供にしたおしどり夫婦だった?

今川氏真の正室は早川殿。蔵春院ともいいます。関東の戦国大名・北条氏康の娘です。 今川氏真とは政略結婚で結ばれましたが、5人の子供をもうけ。 実家が対立しても別れることはなく生涯ともに暮らしました。当時としては珍しい夫婦です。 本当の名前は分...
徳川家

松平信康(徳川信康)母とともに命を奪われた徳川家康の長男

松平(徳川)信康は徳川家康の長男。謀反の疑いで切腹させられます。 武勇に秀でたエピソードがある反面、よくない噂もある信康。家康の長男なのに徳川の姓をつけてもらえない人物です。 一般的には織田信長の命令で切腹させられたことになってます。 松平...
今川家

今川義元の今川家とはどんな一族なのでしょうか

今川家は戦国時代大きな勢力を誇ったて一族です。しかし、今川義元が桶狭間で討たれたせいかあまり注目されることがありません。しかし、当時日本で大きな勢力を持っていた大名なのは確かで、義元の時代にはもっとも天下に近いとまでいわれたこともあります。...
徳川家

松平元康・若き日の徳川家康はどんな人だった?

徳川家康は江戸幕府を開き、戦国時代を終わらせた武将として日本史でも特に有名な人物です。 でも、今川家から独立して江戸幕府を開いて亡くなるまでは数々のドラマや小説で紹介されて有名になってます。でも、若き日の徳川家康が語られることはあまりありま...
今川家

築山殿(瀬名姫) 徳川家康の正室は悪女だったの?

築山殿(瀬名姫)は徳川家康の長男・信康の母親。武田家と内通して処刑された人として知られています。悪女として語られることの多い築山殿ですが、作られた話も多く本当のことはよくわかりません。 築山殿は家康の母から嫌われていました。瀬名姫が今川家臣...
今川家

今川氏真 大名の地位を失うもしぶとく生き残り文化人と生きた人生

今川氏真は駿河・遠江・三河の大名・今川義元の嫡男です。今川家最後の当主だといわれています。一説には、和歌や蹴鞠などの遊びにのめりこんで国を滅ぼした無能な武将のイメージが定着しています。親の敵も討たずに遊んでいた。なんていわれることもあります...
今川家

今川義元 今川家の全盛期を作るも桶狭間で討死

今川義元と聞いてどんな人をイメージしますか?公家の姿をしたお殿様? 義元が生きた時代の戦国大名の中では天下人に最も近いともいわれたほどの人物。でも現代人のイメージは、公家かぶれの軟弱な殿様のイメージではないでしょうか。 でもそのイメージは現...
井伊家

築山殿の母・関口夫人は今川家の人質となった井伊直平の娘

関口夫人は徳川家康の正室・築山殿(瀬名)の母。 今川家の重臣・関口親永(氏純)の正室です。 関口夫人は今川義元の妹といわれますが。養女の可能性もあります。 というのも井伊家が今川家に服従する証として人質として出された井伊直平の娘がいったんは...
徳川家

本多忠勝・徳川最強の男

徳川家康の家臣の中でも武勇に秀でた本多忠勝。徳川四天王の一人といわれ。戦場で目覚しい活躍をみせました。その活躍は武田方の武将や織田信長・豊臣秀吉からも賞賛されたといいます。豪快な性格の一方で武勇に優れた人物を尊敬し、敵でも敬意をはらう一面も...
徳川家

鳥居元忠・大軍相手に伏見城に散る

鳥居元忠は家康が若いころから従った家臣です。 家康とは歳も近く3歳しかはなれていません。人質時代を共にすごしたためか絶大な信頼を得ていました。 家康の重要な作戦や、重要な領地の守りのために配置されることが多かった武将です。 関ヶ原の戦いの直...
徳川家

石川数正とはどんな人?なぜ徳川家を裏切ったのか

徳川家康の重臣、石川数正。 家康が竹千代と名乗っていた幼少時代から付き従っていました。今川家の人質になった時もそばで仕えます。築山殿や嫡男・信康とも深いかかわりがありました。 徳川家の重臣でしたが、豊臣秀吉に寝返ってしまいます。 家康が幼い...
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