文也

史跡名勝

鳥羽富ノ森の戦い:鳥羽伏見の戦い縁の地を巡る2

明治維新の転換点となった鳥羽伏見の戦い。このとき、同じ日に京都の鳥羽と伏見が舞台となり旧幕府軍と新政府軍が戦いました。 慶応4年1月3日(1868年)。鳥羽の小枝橋付近で始まった戦いは2日目に突入しました。 今回は鳥羽の戦いの2日目、主な戦...
史跡名勝

鳥羽小枝橋の戦い:鳥羽伏見の戦い縁の地を巡る

慶応4年(1868年)に旧幕府軍と新政府軍との間で起きたのが鳥羽・伏見の戦い。1年近くに及んだ戊辰戦争の始まりですが、明治維新の流れを決定づけた戦いともいえます。 鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍が敗北した結果、新政府軍が優勢となり、江戸城の開放...
6. 江戸時代

有馬新七と尊王攘夷派が命を落とした寺田屋騒動

有馬新七は薩摩でも強硬な尊皇攘夷派でした。 西郷隆盛とも交流がありましたが、彼らとは意見があわず倒幕のため京都で決起しようとします。 有馬たちの行き過ぎた行動は、島津久光の怒りをかいます。有馬は久光の送った使者と斬りあいになって命を落としま...
7 近現代

嘉納治五郎・柔道の創始者は日本のオリンピック参加にも貢献

嘉納治五郎は講道館柔道の創始者として有名です。 アジアで最初にIOC(国際オリンピック委員会)委員となり。日本のオリンピック参加にみちびきました。幻になった1940年の東京大会を招致したのも嘉納です。 嘉納治五郎とはどんな人だったのでしょう...
7 近現代

田畑政治・1964年東京オリンピック実現の中心人物

田畑政治は1964年の東京オリンピック誘致活動の中心になった人です。 オリンピック開催だけでなく、水泳やスポーツ全般についても発展のために尽くしました。 東京オリンピックの意義は単に国際的な大会の日本開催だけではありません。新興国の経済発展...
7 近現代

金栗四三・日本初のオリンピック選手は日本にマラソンや駅伝を普及させた功労者

金栗四三は三島弥彦とともに日本で初めてオリンピックに参加した人です。 金栗はマラソンの世界記録を持っていました。オリンピック選手に選ばれ第5回オリンピック ストックホルム大会にマラソン選手として出場しました。ところが金栗は途中棄権してしまい...
6. 江戸時代

和宮親子内親王・幕末に将軍御台所になった悲劇の皇女

皇女和宮は幕末に徳川家茂の正室になった女性。 正式には和宮親子内親王(かずのみやちかこないしんのう)。幕末に皇族から将軍家に嫁いだ皇女として知られています。 将軍徳川家茂との仲は良かったようですが、大奥内では和宮派と天璋院派の女中の対立がお...
6. 江戸時代

本寿院、13代将軍徳川家定の生母とは

本寿院は江戸幕府13代将軍・徳川家定の生母です。 本寿院は12代将軍徳川家慶の側室でした。 将軍家定の生母として大奥の実権を握っていた本寿院。しかし家定の死後は大御台所の役目を天璋院にゆずり、のんびりとした余生をおくりました。 本寿院とはど...
6. 江戸時代

幾島:天璋院篤姫に仕え大奥で派閥工作をすすめた老女

幾島(いくしま)は篤姫に仕えた御年寄格の女性です。 摂関家の近衛家に輿入れした郁姫に仕えたこともあるので、江戸や公家の作法に通じていました。 幾島自身も頭の良い声の大きな女性だったと言われます。大奥の侍女からは「ごぶごぶ」と言われ恐れられた...
6. 江戸時代

篤姫(於一)が将軍御台所になった本当の理由・紆余曲折の輿入れ問題

天璋院篤姫は13代将軍・徳川家定の御台所(正室)になりました。 外様大名の島津家の分家の姫が将軍御台所になるなんて不思議に思われるかもしれません。一般には、一橋慶喜を次の将軍にするため大奥の工作のために島津斉彬が送り込んだとされることが多い...
6. 江戸時代

土持政照(つちもち まさてる)流罪の西郷隆盛を助け沖永良部島の発展に尽くす

土持政照(つちもち まさてる)は沖永良部島で間切横目(警察)をしていた役人です。 西郷吉之助(隆盛)が沖永良部島に流罪になった時に、吉之助の牢獄の番をしていました。土持政照は衰弱する西郷吉之助を支えました。 その縁で知り合い、義兄弟の契りを...
6. 江戸時代

龍佐民(りゅう さみん)とその妻・石千代金、奄美大島で西郷吉之助が出会った人たち

奄美大島にやってきた西郷吉之助(菊池源吾)を助けたのが龍佐民(りゅう さみん)。 菊池源吾と名を変え、島にやってきた吉之助ですがあまりにも習慣の違う奄美の人とはなかなか馴染めません。 そんななか、吉之助の世話をしたのが島の代表・龍佐民とその...
6. 江戸時代

阿部正弘(あべ まさひろ)幕末の日本を開国に導いた老中

江戸幕府老中・阿部正弘(あべ まさひろ)は幕末の物語にはよく出てくる人物です。 優柔不断な人物。江戸幕府の衰退を早めた人物と評価されることもあります。しかし、外国船が頻繁にやって来て開国を求める世の中では、昔からのやり方は通用しなくなってい...
6. 江戸時代

橋本左内、安政の大獄で命を落とした早熟の天才の一生

橋本左内(はしもと さない)とは、幕末に活躍した志士です。 福井藩の松平春嶽(慶永)に仕え、藩の政治だけでなく、幕府の政治にも関わりました。 積極的に西洋の技術や文化を取り入れようという、当時としてはかなり進んだ考えの持ち主です。 西郷隆盛...
6. 江戸時代

光格天皇 江戸時代に朝廷の権威を高め幕末に影響を与える

光格天皇は江戸時代の天皇です。一般にはあまり知られていませんが、幕末の歴史に大きな影響を与えた天皇なのです。 もしかすると、光格天皇がいなかったら尊王攘夷運動は盛り上がらなかったのではないかと思うくらい重要な天皇です。 光格天皇とはどんな人...
4 平安時代

空海:唐の都長安で密教の教えを授かる

延暦23年7月6日(804年)。空海を乗せた遣唐使は九州の田浦を出発。 空海は大使の藤原葛野麻呂とともに第一船に乗りました。第二船には最澄も乗っていました。第一船にには橘逸勢(書家)もいました。 後に日本仏教を支える二人の人物が同じ遣唐使に...
6. 江戸時代

孝明天皇・孤立する天皇と毒殺論まで飛び出す早すぎる死

幕末に生きた孝明天皇は熱心な攘夷派でした。あくまでも朝廷と幕府が協力するという方針でした。 しかし尊王攘夷派の勢いはとまりません。朝廷内では過激な攘夷思想の公家や下級の役人たちが集まり大きな力を持つようになりました。 いつしか孝明天皇の意志...
6. 江戸時代

孝明天皇・高まる権威と暴走する尊王攘夷派

孝明天皇は幕末の天皇。江戸時代の天皇は力も権威もなく幕府の保護(監視下)で生き延びている存在でした。 しかし幕府の弱体化と攘夷という意思表示をすることで次第に権威を高めていきます。 尊王思想は幕末の水戸から始まりました。しかしその天皇の姿は...
6. 江戸時代

孝明天皇・祈るだけの存在から幕府に物申す天皇へ

孝明天皇は幕末の混乱期にあって大きな影響力を持った天皇です。第121代の天皇になります。 江戸時代の天皇は力も権威もない存在でした。幕府の決めた規則(禁中並公家諸法度)に縛られ、収入も幕府に管理されています。官位を授けるだけに生かされている...
4 平安時代

空海が仏教に目覚めて唐に渡るまで

弘法大師空海は出家する前は佐伯真魚といいました。 役人になるため都に来て大学に入学した真魚でしたが。役人になるのをやめて仏教の道にはいってしまいます。親に反対されながらも修行を続け遣唐使のいちいんになることが出来ましした。 なぜ空海は遣唐使...
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