阿波局(あわのつぼね)は鎌倉時代初期の女性
北条時政の娘。北条政子、北条義時の妹です。
本名はわかりません。
2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では 実衣(みい)という名前で 宮澤エマ さんが演じています。
北条義時の妾で北条泰時の母も「阿波局」と呼ばれることはありますが別人です。
阿波局とはどんな人だったのでしょうか。
阿波局 とは
名 前:不明
通称:阿波局(あわのつぼね)
生 年:不明
没 年:嘉禄3年11月4日(1227年12月13日)
父:北条時政
母:伊東入道の娘
夫:阿野全成(あの ぜんじょう)
子:時元(全成の四男)
北条政子の異母妹。
北条宗時・北条義時の同母姉妹
おいたち
生年は不明。
父は北条時政(ほうじょう ときまさ)後の鎌倉幕府、初代執権です。
母は伊東入道の娘。北条宗時・北条義時の同母姉妹
北条政子の異母妹になります。
北条政子と源頼朝が結婚した後。
頼朝の弟・阿野全成と結婚しました。
「吾妻鏡」では全成の「妾」と書かれています。
全成との間には阿野時元(あの ときもと)が生まれました。
建久3年8月9日(1192年9月17日)。頼朝の次男・源実朝が誕生。
阿波局は実朝の乳母になりました。
建久10年1月13日(1199年2月16日)源頼朝が死亡。
源頼家が2代将軍になりました。
梶原景時の追い落としに加担
正治元年10月25日(1199年)。御家人の結城朝光が頼朝亡き後の鎌倉の様子を嘆いていました。朝光は御家人の詰め所で「忠臣は二君に仕えずというが、自分も出家しておけばよかった。なにやら今の世は薄氷を踏んでいるような思いだ」と言いました。
27日。阿波局は朝光に「梶原景時が先日の発言が謀反の証拠だとして将軍に讒訴して、あなたはすでに討たれることになっている」と報告しました。
驚いた朝光は三浦義村たち御家人に呼びかけ、御家人66名の署名を集め、景時を糾弾する連判状を作って将軍・源頼家に提出しました。
梶原景時は頼家から信頼されていましたが、頼家には景時を守る力はありませんでした。
11月13日。景時は鎌倉を追放され、翌年の一族もろとも滅ぼされました。
夫の阿野全成が処刑される
その後、御家人同士の権力争いが激化。実朝を養育した北条氏と2代将軍 頼家との仲も微妙になってきます。頼家は景時を陥れたのは北条氏だと思い、阿波局とその夫・阿野全成を嫌うようになりました。
建仁3年(1203年)。夫の阿野全成が頼家の命令で謀反人として捕らえられ。流罪になりました。
頼家は阿波局も逮捕しようとしました。ところが政子は阿波局の引き渡しを拒否しました。
その後、阿野全成は流刑先で殺害されました。
その後。北条氏が中心になって頼家が将軍の座を追われ、幽閉されました。そして殺害されます。
建仁3年(1203年)。源実朝が3代将軍になりました。
牧氏事件
実朝は北条時政邸に預けられました。実朝はまだ12歳と若く、阿波局は実朝を時政に預けるのが心配でした。というのも阿波局は継母の牧の方を信用していなかったからです。
阿波局は姉の北条政子に「時政邸に若君(実朝)を置いておくのはその妻牧の方に悪意があって、乳母としては危険を感じる」と注意をうながすように言いました。
元久2年(1205年)。北条時政と牧の方は実朝を廃そうと計画。北条政子と義時は父のやり方は強引すぎると思い御家人を派遣して時政邸にいた実朝の身柄を確保。政子邸に連れてきました。
その後は、阿波局がどうしていたのかはわかりません。
建保7年1月27日(1219年2月13日)。源実朝が暗殺されました。
建保7年2月11日(1219年2月27日)。息子の時元は将軍になろうと挙兵。執権・北条義時の命令で討たれました。
このとき阿波局は生きていたはずですが、何をしたかは記録がありません。
貞応3年(1224年)。兄・北条義時が死亡。北条泰時が3代執権になりました。
嘉禄元年(1225年)。姉・北条政子が死亡。
嘉禄3年11月4日(1227年12月13日)。阿波局が死亡。
このとき北条泰時は阿波局が伯母(叔母)になるというので30日の喪に服しています。
テレビドラマ
草燃える(1979年、NHK大河ドラマ) – 演:真野響子(役名は保子)
鎌倉殿の13人(2022年、NHK大河ドラマ) – 演:宮澤エマ(役名は実衣)[1]
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