徳川家

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松平昌久・大草松平家の当主は家康のライバル

松平昌久(まつだいら まさひさ)は戦国時代の三河の武将です。 大草松平家の4代目当主です。 徳川家康と祖先が同じ松平氏ですが。松平氏は多くの分家に分かれ争っていました。 大草松平家も徳川家康の家系・安祥松平家と対立した家のひとつです。...
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8代将軍 徳川吉宗の正室と側室

江戸幕府8代将軍 徳川吉宗の正室と側室を紹介します。 吉宗は将軍就任後に大奥のリストラを行なったことも知られます。自身の側室も数は少ないです。 正室・真宮は紀伊藩主時代に亡くなってからは正室は迎えなかったので、御台所のいない将軍でした。...
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徳川家康 年表

戦国大名・徳川家康の一生を年表で紹介します。 まずは誕生から豊臣秀吉の家臣時代の前半生を紹介します。 数え歳で年齢も書いたので徳川家康が何歳のときに何がおきたのかわかるようにしています。 徳川家康 年表  天文11年12月26日...
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酒井忠次・徳川家臣団をまとめた四天王の最年長

酒井忠次は徳川家康の重臣。 徳川四天王の最年長者。 徳川譜代の家臣でも筆頭格の人物です。 家康よりも15歳年上で家康が人質時代から家康を支えました。 左衛門尉(さえもんのじょう)と呼ばれたりもします。 酒井忠次は徳川四天王のひ...
徳川家

寅年生まれ・三寅の徳川家康は卯年生まれだった?

徳川家康には様々な伝説があります。 「三寅(みとら)の福」という伝説もそのひとつ。 徳川家康は寅の年・寅の日・寅の刻に生まれた三寅の福をもつ人物と信じられていました。三寅とは3つの寅が揃うことです。 少なくとも家康の死後「...
徳川家

碓井姫・酒井忠次の妻とは?

碓井姫は酒井忠次の妻です。 酒井忠次は徳川家康の重臣・徳川四天王の筆頭と言われる人物です。 最初は松平政忠と結婚しましたが。松平政忠の戦死後、酒井忠次と再婚しました。 NHK大河ドラマ「どうする家康」では登与(とよ)の名前で登場します...
徳川家

大久保 彦左衛門 忠教「天下の御意見番」

大久保 忠教(おおくぼただたか)は戦国時代末期から江戸時代の武士。徳川家の家臣。 通称の大久保 彦左衛門(おおくぼ ひこざえもん)が有名 です。   「ひこざ」の愛称で親しまれ。「天下の御意見番」として様々なドラマや小説に登場。将軍に意見し...
徳川家

徳川家康の旗印「厭離穢土欣求浄土」の意味とは?

時代劇や大河ドラマなどで徳川家康の軍が「厭離穢土 欣求浄土」と書いた旗を持って行進している場面があります。 「厭離穢土 欣求浄土」は「おんりえどごんぐじょうど」と読みます。 でもいったい、どういう意味なのでしょうか? なぜ徳川家康は馬...
6. 江戸時代

美賀君(一条美賀子) 最後の将軍・徳川慶喜の正室とは

美賀君(みかぎみ)は、最後の江戸幕府将軍、徳川慶喜の正室です。 本名の美賀子は明治維新後に名乗った名前で、江戸時代は省子と名乗っていました。省君と呼ばれていたようです。 公家の今出川公久の娘。 昭憲皇太后(明治天皇の皇后)の義姉に...
6. 江戸時代

本寿院、13代将軍徳川家定の生母とは

本寿院は江戸幕府13代将軍・徳川家定の生母です。 本寿院は12代将軍徳川家慶の側室でした。 将軍家定の生母として大奥の実権を握っていた本寿院。しかし家定の死後は大御台所の役目を天璋院にゆずり、のんびりとした余生をおくりました。 本寿院...
徳川家

井伊万千代・徳川家康に仕えた若き日の井伊直政の活躍

井伊万千代は井伊直政が元服するまで名乗っていた名前です。 14歳で徳川家康の小姓となった万千代は、家康のそばで仕え手柄をたて続けます。わずか6年の間に300石から4万石に大出世。井伊の家臣だは徳川家康を支える有力な家臣団に成長しました。 ...
徳川家

於大の方・徳川家康の母は苦労人

徳川家康の母は於大の方です。家康は歴史上の超有名人ですが、その母親となると意外と知られていないのではないでしょうか? 松平家に嫁入したのに、実家が裏切り離縁されたり。実家の都合で再婚したり。息子・家康に兄が殺されたり、夫が失踪したりと家康...
今川家

大沢基胤は徳川軍の攻撃から堀江城を守った

大沢基胤は浜名湖周辺を治める領主でした。今川義元の死後、徳川家康に攻められ敗戦続きの今川軍の中で、徳川軍相手に大きなダメージを与えた武将です。 その抵抗ぶりには家康も大沢基胤の城を落とすのを諦めました。大沢基胤は家康の配下になりましたが、...
徳川家

松下常慶・虎松(井伊直政)を徳川家康に引き合わせた功労者

松下常慶は井伊直虎が徳川家に仕官するときに重要な役割を果たしました。武家の出身ですが出家して修験者となり各地を回りました。やがて徳川家康に仕え各地の情報を集める仕事をしていたと言われます。 井伊直政が徳川家に仕官できたのも常慶がいたとも言...
井伊家

鈴木重時・重好。井伊家と徳川家に仕えた井伊谷三人衆のひとり

鈴木重時は徳川家康に従った井伊谷三人衆の一人です。井伊家に仕える武士の一人。井伊谷三人衆の中でも比較的井伊家と関係が深い家柄でした。井伊谷の代官となった小野但馬守を攻めて井伊谷を治めますが、家康が遠江を統一する戦の中で討ち死にします。重...
井伊家

近藤康用・秀用、今川家から徳川に寝返った井伊谷三人衆

近藤康用は井伊谷三人衆の一人。今川家の家臣でしたが徳川家康に味方しました。 家康の遠江侵攻をたすけたことで井伊谷を与えられます。井伊家に代わって井伊谷を治めました。子の秀用は井伊直政の配下になりましたが、直政とうまくいかずに井伊家を出...
徳川家

徳川信康(松平信康)・母とともに命を奪われた徳川家康の長男

德川(松平)信康は徳川家康の長男。謀反の疑いで切腹させられます。 武勇に秀でたエピソードがある反面、よくない噂もある信康。家康の長男なのに徳川の姓をつけてもらえない人物です。 一般的には織田信長の命令で切腹させられたことになってます。 ...
徳川家

松平元康・若き日の徳川家康はどんな人だった?

徳川家康は江戸幕府を開き、戦国時代を終わらせた武将として日本史でも特に有名な人物です。 でも、今川家から独立して江戸幕府を開いて亡くなるまでは数々のドラマや小説で紹介されて有名になってます。でも、若き日の徳川家康が語られることはあまり...
今川家

築山殿(瀬名姫) 徳川家康の正室は悪女だったの?

築山殿(瀬名姫)は徳川家康の長男・信康の母親。武田家と内通して処刑された人として知られています。悪女として語られることの多い築山殿ですが、作られた話も多く本当のことはよくわかりません。 築山殿は家康の母から嫌われていました。瀬名姫が今川家...
徳川家

千姫・豊臣家に嫁いだ徳川将軍の娘

千姫は豊臣秀頼の正室。 徳川と豊臣の懸け橋となることを期待されながらも、豊臣家の滅亡に立ち会う悲劇の女性として知られています。 その後、桑名の本田忠刻と再婚。後に姫路に移りますが二人目の夫とも死別。江戸に移ります。 歴史上は悲劇的な...
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