ファミリアが皇室御用達になったいきさつ

ファミリアといえば宮内庁の御用達。と思う人もいると思います。なぜそういわれるのかというと、皇太子妃美智子妃殿下(現在の皇后陛下)が出産したときファミリアが子供服や子供用家具などの主産準備品を治めたことに始まります。ファミリアの商品はそれほどまでに高い品質なんですね。

正確には現在では宮内庁御用達の制度はありません。戦後に宮内庁御用達の制度は廃止されてしまったのです。でも宮内庁から注文を受けたもの、皇室の方が愛用しているものは宮内庁御用達という言い方をすることがあります。

現在でも、高品質なものの代名詞として”宮内庁御用達”の言葉はステータスになってるのです。

ファミリアはなぜ宮内庁御用達になったのでしょうか。そのエピソードを紹介します。

 

ファミリア皇室御用達になる

昭和34年8月(1959年)。坂野惇子のもとに高島屋から電話がありました。その内容は「皇太子妃美智子妃殿下のご懐妊にあたり、出産準備品を高島屋が用意することになった。高島屋としてはファミリアの品をお見せしたい。至急、これはと思うようなベビー服を持ってきてほしい」というものでした。

いきなりの話に惇子は驚きました。さっそく東京へ向かいファミリアの商品を高島屋に持っていきました。

9月になると再び高島屋から電話がありました。惇子も一緒に御所に来てほしいというのです。

惇子は高島屋の担当者とともに御所に行きました。出迎えたのは牧野女官長でした。宮内庁ではファミリアの商品を気にった様子でした。

ところが女官長「まえからおたくの商品はよいと聞いてましたので、一度、阪急のお店に伺おうと思っていたところですのよ。いつ伺えばよろしいでしょうね」

昭和30年代。ファミリアは東京では数奇屋橋阪急の中に店を持っていました。高島屋とも取引はありましたが人手不足のため期間限定の販売でした。常設店をおいているのは阪急だけだったのです。阪急に行けばファミリアの商品がある。というのは東京でも徐々に知られるようになっていました。

ところが、この言葉に焦ったのは高島屋の担当者です。ファミリアを紹介したのは高島屋なのに、阪急に行かれては高島屋の立場がありません。

「ファミリアと高島屋は経営者が親戚通しです。わざわざ阪急に行かなくても高島屋なら明日にでもファミリアのものを取りそろえてお持ちできます」と答えてしまったのです。

今度は惇子が驚きました。まだ、なんにも用意していません。商品を見てもらったばかりです。すぐに商談が決まるとは思ってませんでした。商品をそろえられるかどうか不安な気持ちなる惇子でした。

女官長が妃殿下に都合を聞くと明日なら都合がいいということでした。運がいいのか悪いのか。とにかく明日、持っていくしかありません。

とはいっても東京で品物をそろえられるのは阪急店。惇子は数奇屋橋阪急が閉店するのを待ちました。閉店と同時に店長の下岡祥浩と二人で商品の運び出しを行いました。衣類だけではありません、子供用ベッド、タンス、物干し、ベビーバスなど子育てに必要なものをできる限り用意しました。タンスやベッドは洗ってラッカーを塗りなおす徹底ぶりです。商品をトラックに積むとマスコミにも知られないように密かに御所に運びました。指定された部屋に商品を並べて妃殿下が来るのを待ちました。

皇太子妃は牧野女官長ともに来ました。美智子妃殿下は惇子をみかけるとこういったといいます。

「牧野さん、いつぞは神戸でお世話になりました。今日はどうもありがとう。まあ、かわいらしい籠ベッド。さっそく、説明してくださいますか」

実は惇子と美智子妃殿下は過去にも会ったことがありました。惇子が会った時の妃殿下はまだ聖心女子大学に通う民間人・正田美智子でした。

惇子とともにファミリアを立ち上げた田村光子の次女・安佐子は大学生時代の美智子妃殿下と同級生でした。昭和31年(1956)。美智子妃殿下と安佐子は春休みに関西旅行しました、そのとき六甲の坂野家の別荘に遊びに来たのです。そのとき惇子は二人にお茶を出したことがありました。そのときのことを覚えていたのです。惇子もそのときの女子大生がまさか皇太子妃になるとは思ってなかったでしょう。

しかし、声をかけられた惇子は動揺しました。宮内庁からは妃殿下と直接話してはいけないといわれていたようです。でも妃殿下の方から惇子に話しかけてきました。それを見た女官長は同行した下岡に「ではあなたは私に説明してくださる?」と言って二人で話し始めました。惇子が話してもよさそうです。惇子が妃殿下に、下岡が牧野女官長に説明しはじめました。

後日、宮内庁から80点の商品の注文がありました。ファミリアの社員は大喜びで商品つくりに励みました。ファミリアの商品は無事納入されます。美智子妃殿下は浩宮様(現在の皇太子)を出産されます。

かつてファミリアが創業間もないころ。阪急百貨店と交渉したとき。ファミリアの名前を外して阪急特選に付け替えるように言われると、田村光子は宮内庁御用達だった大倉陶園を引き合いに出して「大倉陶園も阪急陶園に変えて売るならべつですが」と言った話が伝わっています。しかし今やファミリア自身も宮内庁から注文を受けるほどになりました。どうなるのかわからないものです。

その後、秋篠宮様、紀宮様の出産時にもファミリアが注文を受けました。その後、現在の皇太子の第一女・敬宮愛子内親王、秋篠宮親王の第一女・眞子内親王、第二女・佳子内親王、第一子・悠仁親王のときもファミリアが納めています。それほどまでにファミリアのものは皇室の方々に親しまれているのですね。

 

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