ファミリアが阪急百貨店に出店したいきさつ

べっぴんさんではすみれたちのキアリスに大急百貨店から商品を仕入れたいという話が来ます。

モデルになったファミリアでも阪急百貨店から出店の依頼があったんですね。阪急に出店したことが後のファミリアの飛躍につながります。

この記事ではファミリアが阪急百貨店に出店することになった経緯について紹介します。

ファミリアの阪急百貨店出店

ファミリアがオープンしてまもなくのことです。

阪急百貨店社長・清水雅は妻・ミナといっしょに神戸の街を散策する習慣がありました。雅が神戸三宮商店街を通りがかったときです。レナウン・サービス・ステーションがあった場所に新しい店があるのを見つけました。それがファミリアでした。気になった雅は店に入りました。可愛らしい子供用品や赤ちゃん用品の並ぶ店内を見て「これは売れる」と直感したといいます。

翌日、雅は部下の鳥居正一郎を呼び出してファミリアをテナントにするよう命令しました。

正一郎は社長命令を受けたものの、まだファミリアは見たことがありません。店に営業にきていた板野通夫にファミリアのことを聞いてみました。当時、佐々木営業部に勤務していた板野通夫は阪急百貨店の担当でした。しかも正一郎にとって通夫は大学の後輩です。気軽に相談できる間柄でした。

正一郎からファミリアの名前を聞いた通夫は「妻が友人とやってる店ですわ」と答えました。正一郎が驚いたのは言うまでもありません。通夫を通してファミリアにテナントの話を持ちかけました。

通夫は惇子に阪急百貨店の話をしました。オープンして1年の店に阪急百貨店から誘いが来るなんて考えられないことです。惇子も喜びました。

通夫は惇子と田村光子を連れて阪急百貨店を訪れました。

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阪急への仕入れを断る?

阪急側は鳥居正一郎とともに宣伝部長の土岐国彦が応対しました。

土岐は出店の条件を一通り説明しました。そしてこう付け加えました。
「今回は特別に阪急特選のマークを差し上げましょ。ネームを付け替えて支給納品してくれまっか」

阪急特選とは「阪急が作ったものではないけど、責任を持っておすすめできる」というお墨付きがついたということです。できて一年の店が「阪急特選」をもらうなんて話は聞いたことがありません。しかも買取価格は高く設定されています。通夫はいい条件だと思いました。

ところが惇子と光子は上から目線で話す土岐の言葉が気に入りません。「ネームを付け替えろ」というのはファミリアのマークを外すことです。光子はネームの付替えを断りました。

土岐が小売店のマークが付いたものを阪急百貨店で販売することができない、と言っても惇子は聞きません。

光子が後々伝説となる言葉を口にするのです。

「阪急さんが売っておられる大倉陶園の食器を阪急陶園という名前に変えるなら別ですが」
大倉陶園とは世界的に有名で皇室御用達の高級食器メーカーでした。

鳥居と土岐は驚いたというよりあっけにとられたでしょう。通夫も頭を抱えたかもしれません。とはいっても、鳥居にも断れない事情がありました。ファミリア製品の入荷は社長命令なのです。「できませんでした」なんて報告はできるはずがありません。鳥居は「阪急ファミリアグループ」という名前をつけて販売するという妥協案を出します。これには惇子と光子も納得しました。

ところが商品の扱いが雑なことに敦子が激怒。阪急百貨店から撤退すると言い出しました。結局、敦子たちが直接阪急百貨店の中で販売を行う直営店を出すことで決着しました。阪急百貨店は好条件でファミリアの商品を買っていたので、直営店にすることはリスクが大きくなります。それでも敦子たちは大切な商品を自分たちの手で売るため直営店を選びました。

出店後も問題が

阪急百貨店に出店したファミリは好調でした。すぐにショーケースが品薄になってしまいました。

惇子は阪急の売り場担当者から「ショーケースが品薄になってるやないですか。どんどん商品を補充してください」と言われました。商品をいくら売るのかは阪急が計画を立てます。計画以上に売れてしまったのでした。本来なら嬉しい悲鳴のはずですが、百貨店側の高飛車な態度が不満だったのでしょうか。惇子は「そちらの予算どおりの商品を手当しました。それなのに叱られるのは心外です。そちらの販売計画が間違っていたのですよね」とやり返してしまいます。

当時、小売業の世界では百貨店の力は絶大でした。出入りの業者が百貨店に対して口答えするのはありえないことでした。担当者としては、惇子たちが口答えするのは腹が立つことだったでしょう。しかも惇子はさらに常識では考えられないことまでやろうとします。

「ショーケースを1台減らしてください」

出入りの業者は百貨店の売り場が欲しくて苦労してた時代です。それをいらないなんていうのは当時の業界では考えられないことでした。

「変わった業者がいる」という噂は阪急の社員の間でも話題になります。そうして清水の耳にも惇子の噂は届いてしまいました。

阪急の社長から呼び出し

惇子は清水から呼び出しを受けます。惇子は「叱られるに違いない」と思いました。でも「私は間違ってはいない、叱られたらショーケースを返せばいいんだ」と覚悟して清水のもとを訪れました。

ところが、待っていたのはにこやかな清水の顔でした。

清水は叱るどころが惇子たちを褒め称え「あなたたちの商売は間違っていない」と励ましてくれました。「返すなどと言わずに2台のショーケースを5台に増やす努力をしてはどうか。ファミリアはいまにきっと阪急百貨店の名物になる」と熱く語ったのです。

自分たちを応援してくれる清水社長に、惇子も頑張ってみようと思うようになりました。やがてファミリアのショーケースは2台から3台に増えます。

7階の展示会場でファミリアの夏服予約展示会を開催するまでになります。展示会は大盛況でした。

ファミリアの発展は阪急との出会いがあったこそなのかもしれません。