5 鎌倉時代後鳥羽上皇・幕府を支配しようとして挫折した治天の君 後鳥羽天皇(ごとばてんのう)は日本の第82代天皇です。 上皇になってからは「治天の君」として大きな影響力を持ちました。 当初は鎌倉幕府とも良好な関係を気づいていたものの。源実朝の死後、鎌倉との関係は悪化。 「北条義時討伐」を掲げて挙兵... 2022.12.185 鎌倉時代天皇家
5 鎌倉時代後鳥羽天皇(ごとばてんのう)神器のない即位と院政を始めるまでの経緯 後鳥羽天皇(ごとばてんのう)は日本の第82代天皇です。 源平合戦の真っ最中。安徳天皇が平家に連れられて都を出ていった後、4歳で即位しました。 その後は後白河法皇、九条兼実、源通親らが朝廷の権力を握っていました。 後鳥羽天皇は力のない天... 2022.12.175 鎌倉時代天皇家
2 飛鳥時代聖徳太子(厩戸王子)の功績 聖徳太子には様々な伝説があります。その一方で実在した人物としての功績もあります。 この記事では後に聖徳太子と呼ばれることになる厩戸王子が実際に行ったこと、功績を紹介します。 聖徳太子の功績 十七条憲法 朝廷に勤める役人のための規則が... 2019.11.132 飛鳥時代天皇家
1 古代仲哀天皇・九州北部を支配下においたのに存在感が薄いのはなぜ 仲哀天皇は第14代の天皇。 4世紀ごろに存在したと思われる大和の大王です。 ところが倭建命(日本書紀では日本武尊)の息子といいながら妃の神功皇后や息子の応神天皇の影に隠れがちな天皇です。妃や息子が目立ちすぎているためいまいち存在感があ... 2019.05.271 古代天皇家
1 古代倭の五王はどの天皇になるの? 倭の五王は古代中国の歴史書「宋書」「梁書」などに書かれている倭国の五人の王のことです。古代日本史を調べる上で倭の五王が日本のどの天皇(大王)になるのかは大きな問題です。様々な研究者が倭の五王がどの天皇になるのか研究されてきました。 倭の五... 2019.05.231 古代天皇家
1 古代允恭天皇とはどんな人? 反正天皇は第19代の天皇。 5世紀に存在した大和の大王です。 古代中国の歴史書「宋書」「梁書」にある倭の五王の「済」ではないかともいわれています。 允恭天皇とはどんな人だったのでしょうか。 允恭天皇という諡号は奈良時代に付けられた... 2019.05.221 古代天皇家
1 古代履中天皇 兄弟の争いを制して仁徳天皇のあとを継いだ大王 履中天皇は第17代の天皇。 5世紀に存在した大和の大王です。 仁徳天皇の長男であとを継ぎました。しかし即位直前に弟に反乱を起こされて宮殿を焼かれてしまいます。 古代中国の歴史書「宋書」「梁書」にある倭の五王の「讃」にあたる人物ではな... 2019.05.171 古代天皇家
1 古代反正天皇 兄のため、謀反を起こした兄弟を暗殺して次の天皇に 反正天皇は第18代の天皇。 5世紀に存在した大和の大王です。 古代中国の歴史書「宋書」「梁書」にある倭の五王の「珍(彌)」にあたる人物ではないかともいわれています。 反正天皇とはどんな人だったのでしょうか。 反正天皇という諡号は奈... 2019.05.151 古代天皇家
3 奈良時代井上内親王 怨霊になって桓武天皇を呪った?悲劇の皇后 井上内親王は奈良時代に生きた聖武天皇の娘。桓武天皇の父・光仁天皇の皇后です。 斎王となり伊勢神宮で仕えていましたが斎王を引退後。白壁王(後の光仁天皇)と結婚。酒人内親王(さかひとないしんのう)、他戸親王(おさべしんのう)の二人の子供を出... 2019.02.223 奈良時代天皇家
4 平安時代讃岐院と呼ばれて・流罪になった崇徳上皇の生活とその最期 崇徳上皇は保元の乱で後白河天皇に敗れ、讃岐国(香川県)に流されました。 「崇徳」という諡は死後、怨霊騒ぎが始まって付けられた名前です。それまでは流刑地の讃岐の地名をとって「讃岐院」と呼ばれていました。 この記事ではわかりやすさを優先し崇... 2019.02.064 平安時代天皇家
4 平安時代崇徳天皇・運命に翻弄され怨霊になった天皇 誕生から保元の乱で敗れるまで 日本史上もっとも恐ろしい怨霊といわれたのが「崇徳上皇」。「日本最強の怨霊」と言われるほど恐れられました。崇徳天皇は平安時代の人物です。でもなぜ天皇なのに怨霊とよばれるようになってしまったのでしょうか? 天皇として期待される立場にいながらも... 2019.02.054 平安時代天皇家
6. 江戸時代和宮親子内親王・幕末に将軍御台所になった悲劇の皇女 皇女和宮は幕末に徳川家茂の正室になった女性。 正式には和宮親子内親王(かずのみやちかこないしんのう)。幕末に皇族から将軍家に嫁いだ皇女として知られています。 将軍徳川家茂との仲は良かったようですが、大奥内では和宮派と天璋院派の女中の対立... 2018.04.156. 江戸時代天皇家
天皇家光格天皇 江戸時代に朝廷の権威を高め幕末に影響を与える 光格天皇は江戸時代の天皇です。一般にはあまり知られていませんが、幕末の歴史に大きな影響を与えた天皇なのです。 もしかすると、光格天皇がいなかったら尊王攘夷運動は盛り上がらなかったのではないかと思うくらい重要な天皇です。 光格天皇とはどん... 2018.03.15天皇家
6. 江戸時代孝明天皇・孤立する天皇と毒殺論まで飛び出す早すぎる死 幕末に生きた孝明天皇は熱心な攘夷派でした。あくまでも朝廷と幕府が協力するという方針でした。 しかし尊王攘夷派の勢いはとまりません。朝廷内では過激な攘夷思想の公家や下級の役人たちが集まり大きな力を持つようになりました。 いつしか孝明天皇の... 2018.03.126. 江戸時代天皇家
6. 江戸時代孝明天皇・高まる権威と暴走する尊王攘夷派 孝明天皇は幕末の天皇。江戸時代の天皇は力も権威もなく幕府の保護(監視下)で生き延びている存在でした。 しかし幕府の弱体化と攘夷という意思表示をすることで次第に権威を高めていきます。 尊王思想は幕末の水戸から始まりました。しかしその天皇の... 2018.03.106. 江戸時代天皇家
6. 江戸時代孝明天皇・祈るだけの存在から幕府に物申す天皇へ 孝明天皇は幕末の混乱期にあって大きな影響力を持った天皇です。第121代の天皇になります。 江戸時代の天皇は力も権威もない存在でした。幕府の決めた規則(禁中並公家諸法度)に縛られ、収入も幕府に管理されています。官位を授けるだけに生かされてい... 2018.03.096. 江戸時代天皇家
2 飛鳥時代聖徳太子 実在した皇族政治家・厩戸王子の生涯 聖徳太子はかつてはお札の肖像にもなった有名人です。正式には上宮厩戸豊聡耳太子と言います。近年は聖徳太子は死後に付けられた名前だから厩戸王子と呼ぶべきと話題になりました。 聖徳太子は仏教の信仰と深く結びつき現実離れした伝説が広まりました。太... 2017.03.222 飛鳥時代天皇家