文也

4 平安時代

源倫子:藤原道長を出世させた正妻とは?

源倫子(みなもとの ともこ/りんし)は10世紀の平安時代の女性。 藤原道長の正妻です。 源倫子は宇多源氏出身。 宇多天皇のひ孫で父は左大臣・源雅信。 結婚した時は源倫子の方が道長よりも格上で、道長が逆玉の輿婚状態でした。 源倫子は2男4女を...
4 平安時代

東三条院 藤原詮子:弟・道長の権力を支えた皇太后

東三条院 藤原詮子(ふじわらの あきこ)は一条天皇の母。 藤原道長の5歳違いの姉です。 大河ドラマ「光る君へ」では吉田羊 さんが演じます。 円融天皇の女御として宮中に入り唯一の皇子を産みました。 皇后には慣れませんでしたが、一条天皇の即位後...
4 平安時代

蜻蛉日記の作者・藤原道綱の母とは

藤原道綱の母は10世紀の平安時代の女性。 蜻蛉日記(かげろうにっき)の筆者で歌人。 歌が上手く、三十六歌仙にも選ばれ「拾遺和歌集」や「小倉百人一首」にも歌が載っています。 藤原道長の妻の一人。息子の藤原道綱は道長の三男です。 名前がわからな...
4 平安時代

時姫・藤原道長の母、一条天皇・三条天皇の祖母になった女性の生涯

時姫(ときひめ)は藤原道長の生母。 藤原時姫(ふじわら の ときひめ)ともいいます。 藤原氏の北家の一族ですが実家は中堅貴族。 朝廷で力をもっていた藤原北家の藤原兼家と結婚。 藤原兼家は関白になる人物ですが、時姫が生きていた時代にはまだそこ...
4 平安時代

紫式部・源氏物語の作者の本名・結婚歴とは

紫式部(むらさきしきぶ)は「源氏物語」の作者。 平安時代を生きた女性です。 「源氏物語」は有名で紫式部も名前はよく知られていますが。彼女の人生についてはあまり知られていないのではないでしょうか。 紫式部は藤原氏の一族。でも紫式部の家は中流貴...
7 近現代

笠置シヅ子・スウィングジャズとブギで人気を集めた戦前・戦後の大スター

笠置 シヅ子は戦前・戦後をとおして活躍した歌手。 戦前の「笠置シズ子」はスウィング・ジャズの女王として人気を集め。 戦時中は敵性歌手として当局から活動を制限され。 戦後は「東京ブギウギ」などのヒット作を連発してブギの女王と呼ばれました。 そ...
1 古代

雄略天皇と東アジアの国々のできごと

雄略天皇は第21代天皇。 5世紀に実在した倭(やまと)の大王(おおきみ)です。 「宋書」の倭王武と同一人物とされています。 治天下大王(あめのしたしろしめすおおきみ)と名のり、それまでの大王を超えた天下を統治する大王という意識を持っていまし...
徳川家

徳姫(五徳、おごとく)。松平信康の正室は織田信長の娘

徳姫(とくひめ)は、戦国時代から江戸時代初期の女性。 織田信長の長女です。 徳姫は漢字で「五徳」と書くこともありますが「おごとく」とよばれていました。 彼女は松平信康の正室になり。岡崎殿と敬称されました。 徳姫の長女・登久姫(福子)は小笠原...
7 近現代

民権ばあさん・楠瀬喜多は朝ドラ「らんまん」楠野喜江のモデル

2023年朝ドラ「らんまん」には島崎和歌子さんが演じる 楠野喜江(くすの よしえ)が登場します。 楠野喜江は明治初期の高知で自由民権運動をしている女性。通称「民権ばあさん」。 高知の女性は気が強くて自立しているイメージがありますけれど。楠野...
7 近現代

牧野寿衛子・牧野富太郎を支えた妻とは

牧野寿衛子(まきの すえこ)は植物学者・牧野富太郎の妻。 寿衛(すえ)ともいいます。 牧野富太郎は金銭感覚に無頓着。研究のためにどんどんお金を使ってしまいます。そのため苦しい生活をすることになってしまいました。 でも寿衛子は富太郎が研究に専...
7 近現代

牧野 富太郎・草花の研究に生涯を捧げた植物学者とは

牧野 富太郎(まきのとみたろう)は日本の植物学者。 「日本の植物学の父」とよばれ欧米に比べて100年は遅れているといわれた植物学を世界に近づけるよう努力した人のひとりです。 日本人で始めて植物の学名を付け、1500の新種に名前を付けました。...
徳川家

徳川家康の正室と側室たち一覧

徳川家康には正室の他にも多くの側室がいました。 正室・側室との間にはたくさんの子が生まれました。 この記事では家康の正室と側室を紹介します。 ちなみに徳川家康の生年は1543年。没年は1616年。 たちとの年齢差もみてみると面白いかもしれま...
今川家

お田鶴(椿姫)・引間城を守り徳川家康と戦った女城主

お田鶴の方(おたづのかた)は戦国時代の女性。 椿姫とも呼ばれます。 今川家の武将・鵜殿長持の娘で飯尾連龍と結婚しました。 今川義元の死後。徳川家康が今家から独立。 飯尾連龍は徳川家康と内通しました。そのため飯尾連龍は今川氏真に殺害されます。...
徳川家

松平昌久・大草松平家の当主は家康のライバル

松平昌久(まつだいら まさひさ)は戦国時代の三河の武将です。 大草松平家の4代目当主です。 徳川家康と祖先が同じ松平氏ですが。松平氏は多くの分家に分かれ争っていました。 大草松平家も徳川家康の家系・安祥松平家と対立した家のひとつです。 昌久...
徳川家

8代将軍 徳川吉宗の正室と側室

江戸幕府8代将軍 徳川吉宗の正室と側室を紹介します。 吉宗は将軍就任後に大奥のリストラを行なったことも知られます。自身の側室も数は少ないです。 正室・真宮は紀伊藩主時代に亡くなってからは正室は迎えなかったので、御台所のいない将軍でした。 側...
徳川家

徳川家康 年表

戦国大名・徳川家康の一生を年表で紹介します。 まずは誕生から豊臣秀吉の家臣時代の前半生を紹介します。 数え歳で年齢も書いたので徳川家康が何歳のときに何がおきたのかわかるようにしています。 徳川家康 年表  天文11年12月26日(1543年...
戦国の女性

望月千代女・忍者とも噂される歩き巫女の正体は?

望月千代(もちづき ちよ)は戦国時代の伝説的な女性。 千代女(ちよめ、ちよじょ)、千代女房ともいいます。 彼女は歩き巫女で信州・甲斐地方の歩き巫女を束ねる巫女頭をしていたといいます。 また俗説では「くノ一(忍者)」とされます。そのため幾つか...
徳川家

酒井忠次・徳川家臣団をまとめた四天王の最年長

酒井忠次は徳川家康の重臣。 徳川四天王の最年長者。 徳川譜代の家臣でも筆頭格の人物です。 家康よりも15歳年上で家康が人質時代から家康を支えました。 左衛門尉(さえもんのじょう)と呼ばれたりもします。 酒井忠次は徳川四天王のひとり。四天王最...
徳川家

寅年生まれ・三寅の徳川家康は卯年生まれだった?

徳川家康には様々な伝説があります。 「三寅(みとら)の福」という伝説もそのひとつ。 徳川家康は寅の年・寅の日・寅の刻に生まれた三寅の福をもつ人物と信じられていました。三寅とは3つの寅が揃うことです。 少なくとも家康の死後「神君家康公は三寅」...
徳川家

碓井姫・酒井忠次の妻とは?

碓井姫は酒井忠次の妻です。 酒井忠次は徳川家康の重臣・徳川四天王の筆頭と言われる人物です。 最初は松平政忠と結婚しましたが。松平政忠の戦死後、酒井忠次と再婚しました。 NHK大河ドラマ「どうする家康」では登与(とよ)の名前で登場します。 碓...
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