1 古代

反正天皇 兄のため、謀反を起こした兄弟を暗殺して次の天皇に

反正天皇は第18代の天皇。 5世紀に存在した大和の大王です。 古代中国の歴史書「宋書」「梁書」にある倭の五王の「珍(彌)」にあたる人物ではないかともいわれています。 反正天皇とはどんな人だったのでしょうか。 反正天皇という諡号は奈良時代に付...
1 古代

百舌鳥・古市古墳群とは

「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」が世界遺産の登録がほぼ確実になりました。 百舌鳥・古市古墳群について紹介します。 百舌鳥・古市古墳群とは大阪府の堺市、羽曳野市、藤井寺市のあたりにある古墳の集まりのことです。大きく分けて百舌鳥古墳群...
7 近現代

北里柴三郎 ノーベル賞候補にもなった細菌学者

北里柴三郎は伝染病や感染症の治療に生涯を捧げた医学者です。 破傷風の血清療法を開発。ノーベル賞候補にもなりました。 慶応義塾大医学科や日本結核予防協会、私立北里研究所、日本医師会の設立に尽力しました。 令和6年(2024年)度からは1000...
7 近現代

渋沢栄一 道徳を持ち近代日本の経済発展に貢献した実業家

渋沢栄一は近代日本の経済発展に貢献した人物です。500を超える銀行や企業の設立に関わり、東京商工会議所、東京株式取引所などの経済団体も設立しました。 渋沢栄一は経営者に高い道徳心を求めました。自分の利益だけを追求するのではなく、人を騙すよう...
7 近現代

津田梅子・古い価値観と闘った女性教育者

津田 梅子は津田塾の創始者として知られる教育者です。女性が学問をするのはふさわしくないという儒教の価値観が根強い明治・大正時代に女子教育に熱心に取り組みました。幕末に産まれ明治を生きた女性でありながら昭和の人々よりも進んだ考えを持つ女性とい...
2 飛鳥時代

大伴旅人 都を守る親衛隊長は酒と風流が好きな歌人だった

大伴旅人は飛鳥時代から奈良時代の公家で歌人です。 百人一首で有名な大伴家持の父親です。旅人は家持に比べるとあまり知名度はないかもしれません。でも元号の「令和」が大伴旅人の屋敷で行われた梅花の宴で詠まれたものなので注目されました。 しかし大伴...
4 平安時代

大河歴史の怨霊伝説誕生と怨霊を恐れる人々

崇徳上皇は保元の乱で敗れ、讃岐国(香川県)に流罪になり。現地で亡くなりました。 崇徳上皇は怨霊として恐れられるようになります。 崇徳上皇の死後、どのようにして怨霊伝説が産まれ人々はどのようにしたのか紹介します。 保元の乱で勝った後白河上皇は...
4 平安時代

讃岐院と呼ばれて・流罪になった崇徳上皇の生活とその最期

徳上皇は保元の乱で後白河天皇に敗れ、讃岐国(香川県)に流されました。 「崇徳」という諡は死後、怨霊騒ぎが始まって付けられた名前です。それまでは流刑地の讃岐の地名をとって「讃岐院」と呼ばれていました。 この記事ではわかりやすさを優先し崇徳上皇...
4 平安時代

崇徳天皇・運命に翻弄され怨霊になった天皇 誕生から保元の乱で敗れるまで

日本史上もっとも恐ろしい怨霊といわれたのが「崇徳上皇」。「日本最強の怨霊」と言われるほど恐れられました。崇徳天皇は平安時代の人物です。でもなぜ天皇なのに怨霊とよばれるようになってしまったのでしょうか? 天皇として期待される立場にいながらも周...
7 近現代

西郷菊次郎・西郷隆盛の息子は京都市発展に貢献した

西郷菊次郎は西郷隆盛の長男です。 西郷隆盛が奄美大島で生活していた時代に愛加那との間で産まれた子供です。菊次郎は長男ですが菊次郎の名前がつけられました。 明治維新後、鹿児島の西郷家に引き取られ、隆盛とともに西南戦争を戦い、その後は政府役人に...
イベント

京都国立博物館の刀剣展「京のかたな」で展示される注目の刀剣たち

「特別展:京のかたな・匠のわざと雅のこころ」 と銘打たれた展示が京都国立博物館で行われます。 京都では初めての大規模な刀剣の展示です。 開催場所は、京都国立博物館。 京阪電鉄・東山七条駅から東へ行ったところにある博物館です。近くには三十三間...
史跡名勝

鳥羽富ノ森の戦い:鳥羽伏見の戦い縁の地を巡る2

明治維新の転換点となった鳥羽伏見の戦い。このとき、同じ日に京都の鳥羽と伏見が舞台となり旧幕府軍と新政府軍が戦いました。 慶応4年1月3日(1868年)。鳥羽の小枝橋付近で始まった戦いは2日目に突入しました。 今回は鳥羽の戦いの2日目、主な戦...
史跡名勝

鳥羽小枝橋の戦い:鳥羽伏見の戦い縁の地を巡る

慶応4年(1868年)に旧幕府軍と新政府軍との間で起きたのが鳥羽・伏見の戦い。1年近くに及んだ戊辰戦争の始まりですが、明治維新の流れを決定づけた戦いともいえます。 鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍が敗北した結果、新政府軍が優勢となり、江戸城の開放...
6. 江戸時代

有馬新七と尊王攘夷派が命を落とした寺田屋騒動

有馬新七は薩摩でも強硬な尊皇攘夷派でした。 西郷隆盛とも交流がありましたが、彼らとは意見があわず倒幕のため京都で決起しようとします。 有馬たちの行き過ぎた行動は、島津久光の怒りをかいます。有馬は久光の送った使者と斬りあいになって命を落としま...
7 近現代

嘉納治五郎・柔道の創始者は日本のオリンピック参加にも貢献

嘉納治五郎は講道館柔道の創始者として有名です。 アジアで最初にIOC(国際オリンピック委員会)委員となり。日本のオリンピック参加にみちびきました。幻になった1940年の東京大会を招致したのも嘉納です。 嘉納治五郎とはどんな人だったのでしょう...
7 近現代

田畑政治・1964年東京オリンピック実現の中心人物

田畑政治は1964年の東京オリンピック誘致活動の中心になった人です。 オリンピック開催だけでなく、水泳やスポーツ全般についても発展のために尽くしました。 東京オリンピックの意義は単に国際的な大会の日本開催だけではありません。新興国の経済発展...
7 近現代

金栗四三・日本初のオリンピック選手は日本にマラソンや駅伝を普及させた功労者

金栗四三は三島弥彦とともに日本で初めてオリンピックに参加した人です。 金栗はマラソンの世界記録を持っていました。オリンピック選手に選ばれ第5回オリンピック ストックホルム大会にマラソン選手として出場しました。ところが金栗は途中棄権してしまい...
6. 江戸時代

和宮親子内親王・幕末に将軍御台所になった悲劇の皇女

皇女和宮は幕末に徳川家茂の正室になった女性。 正式には和宮親子内親王(かずのみやちかこないしんのう)。幕末に皇族から将軍家に嫁いだ皇女として知られています。 将軍徳川家茂との仲は良かったようですが、大奥内では和宮派と天璋院派の女中の対立がお...
6. 江戸時代

本寿院、13代将軍徳川家定の生母とは

本寿院は江戸幕府13代将軍・徳川家定の生母です。 本寿院は12代将軍徳川家慶の側室でした。 将軍家定の生母として大奥の実権を握っていた本寿院。しかし家定の死後は大御台所の役目を天璋院にゆずり、のんびりとした余生をおくりました。 本寿院とはど...
6. 江戸時代

幾島:天璋院篤姫に仕え大奥で派閥工作をすすめた老女

幾島(いくしま)は篤姫に仕えた御年寄格の女性です。 摂関家の近衛家に輿入れした郁姫に仕えたこともあるので、江戸や公家の作法に通じていました。 幾島自身も頭の良い声の大きな女性だったと言われます。大奥の侍女からは「ごぶごぶ」と言われ恐れられた...
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