5 鎌倉時代

亀前(かめのまえ)北条政子に屋敷を壊された源頼朝の愛人

亀前(かめのまえ)は 源頼朝(みなもとの よりとも)の愛人です。 亀、亀の前とも書きます。 源頼朝が伊豆出る人生活をしているときに知り合いました。頼朝が北条政子と結婚しても付き合っていたようです。 北条政子が身ごもった後は、頼朝は亀の前への...
5 鎌倉時代

比企尼・源頼朝の乳母は頼朝が流罪になった後も支え続けた

比企尼(ひきのあま、生没年不詳)は、平安時代末期の女性。 比企局(ひきのつぼね)ともいいます。 源頼朝の乳母です。 伊豆に流罪になった頼朝を援助し続けました。源頼朝にとっては恩人にあたる人です。 源頼朝が挙兵後は比企氏はより共に味方しました...
4 平安時代

卿局(藤原兼子) 後鳥羽上皇を支えた影の実力者

藤原 兼子(ふじわらの かねこ)は平安時代末期から鎌倉時代前期の女官。 後鳥羽天皇の乳母(めのと)になり、後鳥羽天皇を支えた人物です。 通称は卿局(きょうのつぼね)。位があがるとともに卿典侍、卿三位、卿二位とも言われました。 姉の藤原範子も...
4 平安時代

丹後局(高階栄子)は後白河法皇とともに朝廷を動かした女性

丹後局(たんごのつぼね)は平安時代末期から鎌倉時代の女性。 後白河法皇から信頼され朝廷内で大きな影響力を持っていた人物です。 本名は高階栄子(たかしなの よしこ)です。 丹後局(たんごのつぼね)は候名(さぶらいな=女性が宮仕えのときに名乗る...
5 鎌倉時代

伊東祐親 は源頼朝と対立した伊豆の豪族

伊東 祐親(いとう すけちか)は、平安時代末期の武将。 伊豆国伊東荘(現在の静岡県伊東市)の豪族です。河津祐親(かわづ すけちか)ともいいます。 源頼朝が挙兵する前。娘の八重が頼朝と恋仲になって子供ができました。それを怒った祐親が二人を離縁...
5 鎌倉時代

八重姫(伊東八重)は 源頼朝の最初の妻だった?

八重姫は平安時代末期の女性。 伊豆国の豪族・伊東祐親(いとう すけちか)の娘です。 源頼朝が北条政子と結婚する前に付き合っていた女性です。 頼朝の最初の妻とも言われます。 八重と頼朝の間には千鶴という子供がいたとされます。 八重姫は「曽我物...
5 鎌倉時代

伊東 祐清(いとう すけきよ)平家に味方しながらも源頼朝と親しかった伊豆の武将

伊東 祐清(いとう すけきよ)は平安時代末期の武将です。 伊豆国伊東荘の豪族・伊東祐親の次男です。 伊東一族は平家の配下でした。伊豆に流されてきた源頼朝を監視する役目を与えられていました。でも祐清は頼朝とは親しくしていました。 幕府の記録に...
5 鎌倉時代

鎌倉殿の13人とは誰のことなの?全13人のリスト紹介

2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。 鎌倉殿って誰? 13人って誰? 簡単にいうと 鎌倉殿=鎌倉幕府の将軍。 13人は将軍を助けて政治をする13人の御家人たち。 今風に書けば「KMK13」ってところでしょうか。 でも。これがわか...
6. 江戸時代

尾高長七郎「天狗の化身」と関東に名を知られた攘夷派志士

尾高長七郎とは幕末の志士です。 渋沢栄一・喜作の従兄弟でした。 兄・尾高惇忠たちの影響を受けて熱心な尊王攘夷派になります。 関東の志士の間でも有名な剣術の達人でした。 ところが最後は幕府に捕らえられ牢に入れられたまま明治を迎えました。 尾高...
6. 江戸時代

美賀君(一条美賀子) 最後の将軍・徳川慶喜の正室とは

美賀君(みかぎみ)は、最後の江戸幕府将軍、徳川慶喜の正室です。 本名の美賀子は明治維新後に名乗った名前で、江戸時代は省子と名乗っていました。省君と呼ばれていたようです。 公家の今出川公久の娘。 昭憲皇太后(明治天皇の皇后)の義姉になります。...
7 近現代

五代友厚・大阪経済の大恩人の生涯

五代友厚は幕末の武士。明治の実業家です。 明治維新後に衰退した大阪の経済発展に貢献しました。 明治の財界人では「西の五代、東の渋沢」といわれます。 しかし五代本人は自分の財閥を築くことには興味がなく、人との共同で事業を起こし大阪の経済発展に...
6. 江戸時代

平岡円四郎・一橋慶喜に信頼され「天下を動かしているのは平岡」とまでいわれた幕末の幕臣

平岡 円四郎は幕末の旗本。一橋慶喜の家臣です。 豪放磊落な性格で若い人々と議論するのが好きだったといいます。 一橋慶喜から信頼され「天下を動かしているのは朝廷ではなく幕府、幕府ではなく一橋、一橋ではなく平岡」とまで言われました。 渋沢栄一を...
7 近現代

渋沢喜作(成一郎)彰義隊の創設者は明治の実業家

渋沢喜作(成一郎)は幕末の武士。 渋沢栄一の従兄弟です。 豪農出身で、渋沢栄一とともに徳川慶喜の家臣になり。 彰義隊の隊長として活躍しました。 渋沢喜作(成一郎) 名 前:渋沢 成一郎(せいいちろう) 幼 名: 喜作(きさく) 生 年:天保...
三好家

三好義継|室町幕府将軍・足利義輝を殺害した男の前半生

三好義継は戦国時代の武将です。 十河一存の息子ですが、伯父の三好長慶に後継者がなかったので、三好本家の跡継ぎになりました。 室町幕府将軍・足利義輝を殺害してしまいます。しかしその後は織田信長との戦いに敗れ、いまいちあんまりいいイメージはもた...
その他

朝倉義景 年表

越前(福井県)の戦国大名・朝倉義景の一生を年表で紹介します。 数え歳で年齢も書いたので義景が何歳のときに何がおきたのかわかるようにしています。 朝倉義景 年表 天文2年(1533年)9月24日。(数え年で1歳)  朝倉義景誕生。幼名・長夜叉...
織田家

信長に反乱を起こした松永久秀の最期は大仏殿炎上の報いか?

松永久秀は織田信長とともに足利義昭の上洛を助け三好三人衆と戦いました。 ところが三好三人衆と和睦したした久秀は足利義昭と対立します。そして織田信長とも対立することになります。久秀は三好宗家が滅ぼされたあと、織田信長の配下になりました。 織田...
三好家

松永久秀と足利義昭・織田信長との共闘、三好家への復帰

松永久秀が織田信長とともに足利義昭の上洛作戦を成功させました。 そして三好三人衆との戦いを続けました。ところが足利義昭との関係が悪化し、三好三人衆と共闘を選びます。 しかし織田信長との戦いに敗れ織田信長の配下になりました。 敵と見方が頻繁に...
三好家

松永久秀と三好三人衆の対立、足利義昭上洛に果たした役割

松永久秀は三好長慶に仕え室町幕府の要職や大和国を治めるまでに出世しました。ところが長慶の死後。三好三人衆と対立。織田信長と協力して足利義昭の上洛に尽力します。 信長が上洛するまでの間、反義昭勢力を引きつけて畿内で戦いを続けました。その過程で...
6 戦国・江戸時代

近衛前久 |謙信・信長とともに遠征する公家らしくない公家

近衛前久 は室町戦国時代の公家です。 関白になったこともある身分の高い公家でしたが、武家との付き合いの深い公家でした。自ら馬に乗り武将たちに同行しました。さすがに戦場に立つことはありませんでしたが、戦場の近くまででかけたいという行動派の公家...
三好家

矢野駿河守国村|衰退する三好家を支え十河存保の擁立に尽力した武将

矢野 駿河守 国村は三好家の家臣。 阿波三好家に仕える阿波の国衆の一人です。 三好実休の死後、衰えていく阿波三好家を支え阿波衆の一員として四国や畿内に遠征しました。織田軍や毛利軍とも戦いました。 阿波三好家当主・三好長治の死後は長治の兄弟、...
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